正義と正義
カーマインだったものは黒い灰になり、樹々の間を通り抜ける穏やかな風に乗って、さらさらとどこかへ流れていった。
そこにはただ月明かりを反射して鈍く光る、ダークブルーの魔石だけが残される。縦長な正八面体のそれを拾って懐にしまいながら、徹は相手が魔物だったので死体の処理をせずに済むことに安堵の息を漏らす。
襲われた立場なのでこちらには一切非がないとは言え、もし戦っているところを誰かに見られたら説明というか言い訳が大変だ。今後もこのようなことが続くなら、先程の魔物が誰の命令でどこから来たのかを探る必要がある。
徹は立ち上がって村の方を見やった。
宵闇にどっぷりと浸かり、物音すらも一切しない。どうやらこの騒ぎを聞きつけてこちらに誰かがやってくる、というようなことはなさそうだ。
こちらの世界に来てからの日課となっている、力の操作の練習をしていたのだが、今日はもうこれ以上やる気にはなれず、帰路につく徹であった。
教会の裏手には、こんな時間だというのに灯りが灯っている。扉を開けて中に入ればそこにはガンドとパティの姿があった。
「よう! 遅かったなぁ、兄貴」
「お帰りなさいトオルさん」
「ただいま帰りました」
笑顔で迎えてくれる二人に、徹もわずかに微笑みかけながらテーブルにつく。
二人共力のことや、その操作の練習をこの時間にしていることは知っているので、何をしていたのかは聞いてこない。だから徹から問い掛ける。
「お二人は今日も夜更かしですか?」
「おう」
「失礼ですね。夜更かしではありません。私は誘惑に抗うことの出来ない、罪深き子羊の一人なのです」
夜中に目が覚めたら小腹が空いていたので、間食をしに来ていたようだ。
「だったら俺もその子羊ってやつだな」
もしゃもしゃとスコーンを頬張りながらガンドが言う。
「ガンドさんは子羊っていうよりは熊さんですね。それもすごく大きな」
「よくわかんねえけどよ、主神ってのは熊の面倒も見てくれるのか?」
「マリア様はこの世に生きとし生けるもの全てを平等に愛し、見守ってくださいます。熊さんも例外ではありません」
「ふ~ん。じゃあ熊でいいか」
自身が熊になることを許容しつつ、ガンドはテーブルの上にあった菓子を全て平らげてしまった。
パティはそれに対して残念そうな表情を見せることもなく話題を切り替える。
「でも、ガンドさんが来てくださってから、罪人仲間が増えて楽しいです」
「何だそりゃ。夜中に一緒に菓子食ってるだけだろ。まあ、姉さんが楽しいってんならそれでいいけどよ」
「ええ、それでいいのです」
一見して何から何まで正反対な二人なので最初はどうなるかと思ったが、見ての通り意外に上手くやっているようだ。徹としても彼らのやり取りは見ていて飽きない。
「では、私は少々疲れたのでこれにて失礼します」
「俺も~」
「私も、お休みなさい」
徹の一言でその場はお開きとなった。
しかし、徹は自室に戻るように見せかけてガンドに声をかけ、そのまま彼の部屋へと向かう。
「魔物に襲われたぁ?」
そこで、徹は先刻起きた出来事の報告をした。
パティは徹の力のことは知っていても盗賊団を壊滅させたこと、もっと言えば人を殺したことまでは知らない。それに荒事には極力関わって欲しくないので、さっきはこの話を切り出せなかったのだ。
「ええ、人型の犬、という感じの出で立ちで、文献ではコボルドと称されていたような気がします」
「コボルドねえ、そりゃちょっと前までは結構見たけどよ」
文献というのはゲームの攻略本のことだったのだが、どうやらこの世界でも同じ種族名が付けられていたようだ。説明の手間が省けて助かると、徹は幸運に感謝する。
「意思疎通が出来て、誰かの命令で来たようでした」
「誰かって誰だよ?」
「それが情報もなく一切不明で。ガンドさんには何か心当たりはありませんか?」
「ねえなあ」
「そもそも私の存在を知っている人物に限りがあります。騎士団には私を殺すメリットがありませんから、マデオラファミリーの生き残りかとも考えたのですが」
「その線もなくはなさそうだけど、現実的じゃねえな。数日間しかいなかったけど、ファミリーから魔物と関りがあるような気配はなかった」
「私も少しお話しただけですが、マデオラさんなら魔物を雇ったりはせず自分で行きそうだなと思いました」
「それに暗殺ってのは、表向き善人面してるやつが頼むもんじゃねえのか? 王様が自分に歯向かう貴族を殺したりよ」
不敬な上に偏見に満ちた見解だが、一考の価値はあると徹は思った。
であればオリオール政府や、考えたくはないがグラスの村の住民が依頼主として浮上するが……やはり徹を暗殺するメリットがない。特に後者は不足している働き手が更に減ることとなり、デメリットの方が大きいように思える。
わからない。徹は首を左右に振った。
「いずれにせよ、また同じことが起きない限り、私は犯人を捜さなくても良いと考えています」
探したところで見付かる保証もない。生活が脅かされない限りはこちらから打って出る必要もないだろう。
「まあ、兄貴がそういうならそれでいいんじゃね?」
「ご理解、感謝します」
話がついたので、瞼の重そうなガンドはベッドに寝転がり、徹は部屋を後にした。
寝室に戻るとランタンに火を灯して就寝の準備をする。その最中、徹は窓の外に目を向けながらふと今日のことを思い返していた。
魔物に襲われたのは災難だったが、昼間の仕事は充実していたし、さっきのおやつを食べながらの歓談は楽しかった。
しかし、だからこそ徹には薄っすらと思ったことがある。
あの魔物は意思疎通が可能で、それは人間同士の場合となんら遜色のないレベルだったし、戦いの最中にも、彼は驚きや怒り、苦痛に顔を歪ませて悲鳴をあげるなど、様々な表情を見せていた。
魔物とは言うが、かなり人間臭かったのだ。だから毛深い腕を見ても、仮面が割れて顔を確認するまではそうだとはわからなかった。
ならばあの暗殺者にも仲間がいたのではないか。
先程徹がしていたような食事をしながらの歓談を、いつの日か彼もしていたのではないのかと、そう思うのだ。
別に彼を殺したことに罪悪感があるとかそういう話ではない。向こうが襲って来た上に殺しの許可も得たのだから。
ただ、そう思うだけだ。
だが何故そのようなことが気にかかるのか。
目を瞑れば、瞼の裏には、自らの命と引き換えに仲間を逃がした盗賊団の首領と、人間と変わらない表情を浮かべる魔物の姿がある。
目を開け、就寝の準備を終えてベッドに横たわった。
夜空に浮かぶ朧な月の姿を眺めながら、徹は眠りについたのであった。
〇 〇 〇
「式上徹は完全にイカれている」
とある一室にて、男はそう言ってワインの入ったグラスを傾ける。
部屋は石造りで床には豪奢な赤のカーペットが敷かれていた。必要最低限の調度品以外には、壁に何も描かれていない白い紙が額に入れて飾られているくらいだ。
「あいつは許可さえ得れば何をしてもいいという価値観を持っている。にも関わらず倫理観がぶっ壊れているから、相手が冗談でもいいよと言えば殺してしまう。この世界では地球ほど法も整備されていないから、死神になるにはうってつけだ」
右目を前髪で隠したアシンメトリーの黒髪。頭部からは二本の角が生えていて、微笑で歪んだ口元からは鋭利な牙が覗く。
部屋の中央に設置されたテーブルにつき、羽織ったマントの中で優雅に足を組み替えながらその男は言った。
「なあ、そう思うだろう? マリアよ」
「やはりあなたでしたか。ヴァイス」
マリアと呼ばれた女性は部屋の入り口に立ち、ヴァイスと呼ばれた男を睨みつけるように赤と青のオッドアイを輝かせている。
一歩、二歩と踏み出して石畳の床を鳴らせ、ウェーブがかかったオレンジ混じりのブロンドの髪を揺らしながら口を開いた。
「この世界においてあの力は特異過ぎます。隠す気もないようですが」
「当然だ。あれが俺の仕事なのだからな」
その言葉に、マリアはぴたりと足を止める。
「……私が誤った方向に民を導いていると?」
「逆に問うが、お前は自分が間違っていないと言い切れるのか?」
「神とて万能ではありません」
「ああ、そうだな。俺たちは大きな力を持っているが、基本的には人間と同じだ。過ちを犯すことだってある」
「そしてあなたは私の過ちを正すために存在している」
それに頷くこともなくヴァイスはグラスをテーブルに置き、腹の底からゆっくりと込み上げてくるような笑い声を漏らし始めた。
「にも関わらず下界の民たちは勝手だ。お前を万能と崇め、生きとし生けるもの全てを平等に愛し見守っているなどと謳っている」
「私としてはそのように努めているつもりです」
「真に平等だからこそ、病気で死ぬ者、魔物に喰われて死ぬ者、自然災害で死ぬ者はただ運がなかったのだったな。ああ、盗賊に襲われて死ぬ、なんて場合もあるな」
「……」
「そして真に人間を愛するからこそ魔王を、そして魔物を生み出し襲わせてその数を減らし、人口増加による食糧危機や領地の奪い合いによる共食いを防いでいる、それがお前の方針だ」
「そんなの今更でしょう。まさかそれに異を唱えるつもりですか?」
「いや、お前のすることは間違っていない」
「なら」
「だが、正しいとも思わない」
ヴァイスはそこでワイングラスを持って立ち上がり、マリアに背を向けた。
「マリアよ。『正しい』とは何だ? 『正義』とは?」
「私にとっての正しさは、人類を絶滅させないこと。それが全てです」
「だが、それでは救われない者が出てくる」
「全てを救うことが出来ないのなら、個別に手を差し伸べるのは平等ではありません」
「確かに病気で死んだ者を救うことは不可能だろうな。際限がない。だが、魔物や盗賊に殺された者、その遺族や友人知人の無念はどうだ?」
「やはりその為に式上徹を?」
そこでヴァイスはまた一口ワインを口に含む。
「あいつは状況さえ揃えば人を殺すことに躊躇がない。『死神』にはうってつけだ」
「なりません。神が人に直接介入するなどと」
「直接ではない」
「詭弁です」
グラスのワインが空になったのを見て、ヴァイスはため息を一つついた。
「それに、人が人を殺せばその怒りや憎しみによってまた人が殺され、永遠に負の連鎖が繰り返されることになります」
「別に良いではないか。人が人を殺す。それもまたあるべき下界の民たちの姿だ」
「神がその状況を導いているとなれば話は別でしょう」
「魔物に人を喰わせているお前が言うのか?」
「語弊のある言い方をしないでください」
「事実だ」
「自然災害では人類の数を調整するのに限界があります。それに、先程あなたも間違っていないと言ったではありませんか」
ヴァイスの手からグラスが、まるで魔法のように消える。そしてマリアの方へと向き直ると、両腕を広げて言った。
「俺はな、許せんのだ」
「何をですか」
「人を殺しておきながらのうのうと生きている者たちをだ」
「それが下界の民たちのあるべき姿なのでは?」
「ああ、そうだな。先程の俺の言葉とは矛盾した感情だ」
そこでヴァイスは腕を下ろした。
「だが神とて万能ではない。むしろ感情や倫理観は人間と大して変わらない」
「感情に身を任せて、本来導くべき彼らを式上徹に始末させると?」
「導くべき? 違うな。あいつらはただの罪人だ」
「それは大義名分であり、本当は式上徹を使って遊んでいるだけなのでは」
「さあ、どうだろうな」
何を言っても無駄だと悟ったのか、マリアはヴァイスを鋭く睨みつけている。
「いずれにせよ、親父は俺を処分しない。それは俺のやっていることが役割の範疇を逸していないことを意味する」
「あなたを止めるなら私が自力でやるしかない、とそういうことですか」
「そうだ」
「考えておきましょう」
そう言ってマリアは背を向け、扉へと歩みを進めた。だが退出する直前に振り向かないまま、ぽつりと呟く。
「全てがあなたの思い通りにはなりませんよ、ヴァイス」
ヴァイスは何も答えない。
ただ去り行く女神の背中を静かに眺めていた。
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