悪友
日中であるにも関わらず、人通りの絶えないオリオールの町。その風景を、とある建物の窓から眺める男の姿があった。
わずかに皺の刻まれた目尻は年季を感じさせるが、その瞳にはまだまだ衰えぬ光が宿っている。後ろに流して一つにまとめた茶色の髪はしっかりと手入れされていて、身だしなみからも清潔感が漂っていた。
この町の領主、エマニュエル=デ=オリオールその人である。
彼は現在、領主の館にある執務室から外を眺めていた。
そして、そんなエマニュエルの背後ではローブを身に纏った人物が片膝をつき、頭を垂れている。
エマニュエルが視線はそのままに口を開いた。
「シキガミという男はどうだ」
ローブの人物もそのままの姿勢で返事をする。
「ただならぬ者にございます。実際に手合わせはしておりませんが、あのマデオラを倒したというのも間違いではないかもしれません」
そこで領主はようやく背後を向いた。
「何と、お前にそこまで言わせるか」
「はい」
「一体何があった? カーマイン」
カーマインとよばれた男は顔だけを上げる。そうすることでフードの隙間からは仮面を着けているのがわかった。
「指示通りにあの男の偵察に向かったところ、人間では視認すら難しいはずの距離でこちらに気付かれてしまいました」
「何だと?」
「しかも、こちらを挑発するかのように不敵な笑みまで浮かべてきました」
「まるで悪魔のような男だな」
「あまり笑えない冗談でございますね」
「お前にとってはそうだろうな。今は誰もいない。仮面とフードを取ってもいいのではないか」
「そうですね」
カーマインが言われた通りにフードを取り、仮面を外すとそこから出て来たのは人間のものではない頭部だった。
犬の顔をした人型生物、コボルドだ。
「しかし、元魔王軍幹部にただ者でないと言わせるとはな。暗殺は無理そうなのか?」
突然に物騒な単語が飛び出るも、カーマインは口角を吊り上げる。
「まさか。勇者と魔王様以外であれば可能です」
「頼もしい限りだ。では頼むぞ」
「かしこまりました」
そこで会話は終わりかと思われたが、カーマインはその場を動こうとしない。
エマニュエルが訝し気な視線を向けながら尋ねた。
「どうした。まだ何かあるのか?」
「そこまでしてお嬢様を団長の座から降ろそうとするのは何故なのですか?」
領主の肩がぴくりと動くのをカーマインは見逃さない。
この男は自らの娘がせっかく騎士団の団長なる役職に就いたというのに、それを辞めさせたいのだという。今まで自分には関係ないと思っていたカーマインだが、ここに来て突然そのことに対して興味を持ち始めた。
いくら人間とはいっても大盗賊を倒すほどの実力者だ。それを葬るというのはいくら自分でも一筋縄ではいかないかもしれない。そこまでする理由には興味がわくというものだろう。
「珍しいな。お前がそのようなことを知りたがるとは」
「興味本位です」
「それにしては随分と踏み込んでくるものだ」
エマニュエルはふうと一息つくと、再びカーマインに背を向けた。
カーマインはといえば、姿勢は維持したまま現在の主となる男に視線をやり、身動き一つせずに返事を待っている。
「親心だよ」
「親心、ですか」
それはカーマインにとって中々に興味深い解答だった。
「ああ、お前には親は?」
「わかりません。恐らくいないのだと思います」
人間は子供を産む。そして子供は自らを産み育てた人間を親と呼ぶらしい。
例外はあれど基本的に親と子は特別な絆で結ばれ、親は無償で子の面倒を見て、子は無条件で親を慕う。カーマインにとっては到底理解の出来ないことだ。
「そうか」
しかし、エマニュエルは「親心」について説明をしようとしない。そのことを少し残念に思いながらカーマインは次の言葉を待った。
「あいつは本来、剣の似合わない優しい子なのだ」
「そのように伺っております」
「母さんに似て器量よしでな。大きくなったらすぐにでも嫁に行くのだろうかと思っていたら騎士になると言い出した。しかも、内部の者から領主の娘ということで推薦もあったらしく、あれよと言う間に団長にまでなってしまった」
「お気に召さないのですか?」
そこでエマニュエルはカーマインの方を向き、大きくうなずく。
「ああ。私としては剣など放り捨ててどこかに嫁ぎ、普通の女としての幸せを享受して欲しいと考えている」
普通の、女。カーマインには理解することの出来ない単語の組み合わせだ。
「人間の女とは通常、男と結婚することが幸せだと考えられているのですか?」
「そうだ。まあ、人によって多少の差異はあるがな」
「それは子孫を残すこととはまた違うのですか?」
「違うな」
種の保存を幸せとするのならわかるのだが。相変わらず人間の生態というのはカーマインにとっては難しい。
しかし、次の質問を投げかけようと口を開きかけたところで、領主は咳ばらいを一つしてから話を戻した。
「とにかくだ。お前にはシキガミ=トオルの暗殺を頼みたい。出来るな?」
「仰せのままに」
立ち上がり恭しく礼をしたカーマインは、ある言葉を発した。
「ハイド」
その瞬間カーマインの姿が消える。しかしエマニュエルは驚いた様子もなく、カーマインがいるであろう方角を見つめながら言った。
「いつ見ても便利な魔法だな」
「恐縮です。それでは失礼致します」
もっと話を続けたかったが、あまりしつこく問いかけをしても不興を買うだけか。
カーマインは開いている窓から飛び降りて館を後にする。カーテンがばさりと音を立ててなびき、彼が通過した痕跡を示した。
「さて、どうしたものか」
姿を隠しつつ、念入りにローブのフードを被り仮面をつけて町を歩くカーマインは、依頼について思案を始めた。
主の手前、容易い風は装ったものの、正直なところあのシキガミという男を殺せるかどうかは未知数なところがあった。勝てはするだろうが、苦戦するというのがカーマインの予想だ。
偵察の時は不覚をとった。さすがに常時魔法を発動し続けるわけにはいかないため、ここまでなら絶対に気付かれない、という場所まで近付いてからハイドを使おうとしたらそこで気付かれてしまった。
エマニュエルが先ほど冗談で悪魔かもしれない、などと言っていたがあながち間違いとも言い切れない。
カーマインは首を振り、愚かな考えを自ら否定した。確かに人間離れはしているが悪魔や魔物の類であるはずがない。
さすがに同類であれば会った瞬間に何となくわかるはずだ。
元魔王軍幹部のカーマインは魔王が討伐された後、魔法を使って命からがらオリオール自治領までやってきた。
この地を目指した理由は魔王生誕の地となる山があるからだ。何とかここで生き延びつつ魔王が復活したらまたすぐに仕えようという想いがあった。
しかし、問題は生活する手段だった。魔物の生態は種類によって様々だが、カーマインの場合は普通に腹が空くので飯を食わなければならない。そうなると人間の街で食料を買うことは出来ないしそもそも金がなかった。
かと言って、町の外で食料を探すことは出来ない。万が一にでも人間に見付かれば面倒なことになる。
そこでカーマインは魔法を使って領主の館の執務室へと侵入し、領主に直接面会した上で取引を持ち掛けた。
暗殺や諜報をする代わりに報酬をくれと。
カーマインは当時のことを思い出し、自嘲気味に笑う。かなり切羽詰まっていたのだろう、我ながら大胆不敵なことをしでかしたものだ。
だがあの領主も中々に肝の据わった人物だった。最初は突如現れた人型の魔物に取引を持ち掛けられて困惑していたが、一度落ち着くと、しばらく思索を巡らせた上で応じてしまったのだ。
これは後から知ったことだが、人間の政治というのはどうにも一筋縄ではいかないらしい。それがカーマインにとって幸いした。
魔物は単純だ。自分より強い者に服従するし、その点において魔王という絶対的な権威が存在した。
だが人間の政治は強さや金があればいいというものではない。他にも人望や他人を欺くずる賢さ、など他人を蹴落とす為の要素が必要になってくる。そうなれば領主にとってカーマインは強い武器になり得るわけだ。
例え魔物と手を組むと言う、悪魔に魂を売るに等しい行いをしてでも。
歩みを続けるカーマインは陽の光の届きにくい、薄暗い場所にやってきた。
オリオールの町の西南の方角には居住区がある。
そこには貴族や豪商などではない、平民の家が建ち並んでいるのだが、その中には貧民街と呼ばれるさびれた一角があった。
貧民街にはその名の通りあまり裕福ではない者たちが住まっており、建物も他と比べて明らかに廃れている。おまけに、自分たちの手で増築や改築を重ねたが故に歪な形をした家屋も多く、全体的に薄気味の悪い雰囲気になってしまっていた。
そんな貧民街の中にあって、際立って朽ちた建物がある。もう主がいなくなって久しいのか、植物の蔓が装飾物のように張り巡らされていた。
木を隠すなら森の中、という言葉がある。
同じ放棄された建物でも、町の外よりは町の中にあった方が目立たず、誰も関心を持とうとしない。姿を隠すにはうってつけだ。カーマインが最初の報酬ついでに所望したのがこの家だった。
それの扉を開けて中に足を踏み入れる。居間まで進んで周囲を確認し、魔法を解除すると途端に声がかかった。
「お帰りなさい」
「また来ているのか。人間の子供よ」
そこにはカーマインの言葉通り、人間の子供がいた。
声をかけられた子供はふくれっ面で抗議をする。
「ティオ!」
「人間の名前というのはどうにも覚えづらい」
〇 〇 〇
このティオという子供は、ある日突然この家にいた。
カーマインが来るまでは明らかに放棄されていた家だし、住むようになってから特に手入れもしていない。
だから人がいると思わなかったのか、居間で声を抑えてしくしくと泣いていたが、カーマインの姿を見た瞬間に泣き止み腰を抜かしていた。最初は殺そうと思ったが、領主から、領民は何があっても殺すなと言われている。
少し考えたカーマインは「自分の存在を誰かに話せば殺す」とそう脅した。とりあえず口止めをしておいてエマニュエルに相談しようとしたのだ。
しかし、その言葉を聞いた子供は眉根を寄せてぶっきらぼうにこう返した。
「話す相手なんていない」と。
話を聞けば、どうやらティオはこの貧民街において、同じ種族であるはずの人間たちからのけものにされているという。
最初はよくわからなかったが、後に領主に対し、子供の存在は伏せた上でこのことに関して質問をすると一定の理解が得られた。
人間は人間の上に人間を作りたがり、上に立って下を見ることで一種の精神的な安寧を得ようとするらしい。実に興味深いことだ。
ともかく、ティオからカーマインの存在をばらされる心配はあまりしなくて良いらしいということで、油断は当然出来ないが多少安堵した。
しかし、その後しばらくしてもティオはどこかに行こうとする気配がない。カーマインとしては都合がいいが好奇心が勝ち、家に帰らなくていいのか、と聞くとその返事はこうだった。
「帰る場所なんてない」
人間は大半が住居を構えて一つの場所に定住するものと思っていたが。
カーマインは首を傾げつつ、家がないということか、と尋ねる。
「家はあるけど家じゃない」
言葉の内容も原因もわからないが、それでも聡いカーマインは理解した。この子供は家に帰りたくないのだと。
なるほど、と心躍るカーマインは次の質問をした。親はいるのかと。答えは予想した通りのものになった。
「親はいるけど親じゃない」
ここら一帯の住民どころか、親からものけものにされているということか。
見れば子供の服はぼろぼろだし身体のあちこちに痣もある。
人間の親は子供に対して無償で面倒を見るものと思っていたが、そうでない場合もあるということだろう。やはり人間は面白い。
どうせ手を出せないのなら、知識欲を満たすための贄になってもらおう。そう思い、カーマインはこんな提案をした。
「いつでもここに来るといい。だが出入りするところはあまり見られるなよ」
「いいの!?」
ティオが笑顔になるところを、その時初めて見た。
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