本文第一話 

 夏は夜が良いと言う。『枕草子』第一段では、春夏秋冬それぞれにおける趣深い情景や風物詩などが述べられている。その中で、夏は夜が良いとされる理由としては、月明かりが出ている間は言うまでもなく、闇夜もまた、蛍が飛び交う様も良いからである。雨が降るのも良いらしい。そういう理由から、「夏は夜」とはじめられるのである。しかしながら、私が思うに、本当は情景やら風情やらはどうでも良く、ただ夜の方が涼しいからではないかと考える。

 

 八月初頭、大学生も夏休みを迎える頃、照りつける太陽がアスファルトを焦がすような暑さの中、私は学生食堂で涼んでいる。


「…それにしても、昼前だというのに、盛況だなぁ」


現在の時刻は十時半。昼食を取るにはやや早いこの時間帯に、席の約六割を埋め尽くさんとする量の学生は、なかなかに珍しい。エアコン代が勿体無いという、私と同じような理由からであろうか。エネルギの節約、ご苦労様である。


「まぁ、東京という都会に住んでいる以上、避けられない暑さなのかもしれない」


特に東京はヒートアイランド現象が顕著に進んでいるらしい。「巫山戯るなぁ!」と声を高らかにして、それはもう引かれるほどに叫びたいものだ。


「憂鬱…憂鬱だなぁ。はぁ、melancoliaだ…」


暑さは人を怠惰に堕とす。このあと図書館に行くつもりであったが、それすらも嫌になりそうだ。


「………あのーすいません。この席ってー、そのー空いていますか?」


私が机に伏せていると、そのような声が聞こえてきた。顔を上げてみると、一人の女性が野菜炒めとその他諸々を持って立っていた。


「あー!すいません。どうぞどうぞ」


「失礼します」


他の席も空いているのだからそこに座れば良いと思ったが、この席がお気に入りなのだろうか。


「私は贄暈理瑳にえくま りさ、二回生です。開駿台曁かいす だいき先輩ですよね?」


「え、ええまぁはい。私に何かご用ですか?」


私の名前を知っているということは、どうやらブランチを目当てに来ただけではなさそうだ。


「開駿先輩って頭が良いんですよね?」


「いや、同じ大学に通っているのだから、同じようなもの…」


「是非この暗号を解いて欲しいのです!」


「いや話聞けよ」


どうやらこの後輩は私に暗号の解読を依頼したいらしい。いや、別に私…そういうので売っていないんだが?


「開駿先輩は知識人なんですよね?」


「いやまぁ…自称だけど…」


「でしたら、この暗号も解けますよね!」


「その理論はおかしい」


「知識があるから暗号が解ける」訳ではない。ああいうのはひらめきが必要だ。私にひらめきがない訳ではないが、あるとも言い難い。


「はぁ…じゃあ、えーと…」


「贄暈です!」


「贄暈さん。その暗号とやらを見せてくれるかい?」


こういうのは、実物を見ないと始まらないからな。見るだけ見てみるか。


「えーと、こちらです」


“頭を抱え憂鬱に沈む天使の背後、新しき武器が赤い頭を叩いた時を刻む魔方陣、そのΣが、翠の威光を貫く鼠と馬から乖離した場所を示す石標へ行け。”


「…何言ってんだこいつ」


私らしくない言葉が出てしまった。

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