プレゼント in the sky

鐘古こよみ


 エメラルドグリーンの海に点在するのは白砂の島。世界最大の珊瑚礁の上を、海亀の青い影が過る。

 進行方向で時折きらめくのはジュゴンの背中だということを知らせると、機内の観光客たちは一斉に歓声を上げて左右の窓に齧りついた。


 俺は機体を右に傾けてジュゴンの上を旋回し、次いで左に傾け、三名ずつ両側に振り分けられた客たちが同じ光景を見られるようにしてやる。

 グレートバリアリーフの上空を回遊する小型飛行機のパイロットになって、もう十五年は経つからな。こういう時のサービスは我ながら心得たものだ。


 バンクす傾けると酔うと文句を言われることもあるから、フライト前には丁寧な説明を怠らないことにしている。そうなるのは大抵、両方の窓から風景を見尽くしてやろうと、欲張りすぎる客だってな。

 窓は自分の隣を使って、海が見えない時間は空を見ること。それが鉄則だ。


 だって、飛びながら空を見るのだって、いいもんなんだぜ。

 そりゃ海亀やジュゴンはいないが、波の代わりに雲があり、夜にゃ珊瑚礁みたいな星が輝く。染み一つない青空もいいが、昼と夜の間の、あの特別な時間に見せる色ときたら、世界遺産の海だって裸足で逃げ出す美しさだ。


 空と海の間にいると、四十五分間のフライトなんて一瞬で終わる。

 白いビーチを囲む緑の樹々を飛び越え、密集する家々のカラフルな屋根を見下ろしながら、俺はオーストラリア大陸の北東部にあるケアンズ空港へと帰還した。


 なるべく普段通り、いつもと変わらない態度で過ごしたつもりだ。

 妻にも同僚にも言っておいた。俺はなるべく普通に、今までと何も変わらない、ありふれた日常みたいに今日を終わらせたいんだってな。


 それなのに、まったく、あいつらときたら。


 滑走路に降り立ってラダーペダルを踏み込んでいると、前方に二つの人影が見えてきた。妻のキミカと社長のマークだ。

 キミカは花束を、マークは酒瓶を抱えてやがる。

 おいおい。話が違うじゃねえか。


「お帰りなさい、あなた。お疲れ様」


 コックピットから降りた俺は、キミカをハグして花束を受け取った。

 皺が増えたな。それに、黒々としていた髪には白いものも増えた。俺と過ごした年月がそれだけ長いってことだ。妻はますます美人になった。


「ルーク、長い間、ご苦労だったな」


 頭は寂しいのに口元だけ茶色の毛をふさふさと生やしたマークが、よれたシャツに似合わない、洒落たワインの瓶を差し出してきた。俺の好きなタスマニア産のスパークリングだ。小さな茶色い目は心なしか潤んで、何度も瞬きをしている。


「すまない。本当はもっと、飛び続けてほしかったんだが……」

「わかってるよ。時代の流れってやつだ。誰にも止めらんねえのさ」


 あんたはよくやってくれたよ。思いを込めて、俺は力強くマークの手を握った。

 さすがに何かを察した観光客に事情を訊かれたキミカが、これが夫の最後のフライトで、パイロットを引退するのだと話しているのが聞こえる。


 拍手が湧き上がった。俺は内心でやれやれと思いながら彼らに向き直り、片手を上げたり、お辞儀をしてみせたりした。

 お辞儀は日本人移民が増えてから定着したジェスチャーの一つだ。ちょこちょこ頭を下げる仕草が最初のうちは滑稽に思えたが、キミカがいつもそうするので、気付けば俺にもうつってしまった。


 日本は四十年ほど前、海底火山の噴火の影響を受け、国土の40%を海面下に水没させる運命を辿った。全国民の脱出計画が実行に移され、日本にルーツを持つ人間は世界中のどこでも、日本と滞在国の二重国籍が認められることになった。


 妻のキミカは災害当時、オーストラリアの大学に留学中だった。

 そのまま故国に帰ることなく、日系オーストラリア人となって、今に至る。


 客たちは小型飛行機を背景に記念写真を撮り始め、そこに花束とワインを抱えた俺も加わることを希望した。やがてマークが送迎車へと誘導を始める。


「あなたも撮りましょうよ、飛行機と一緒に」


 客がいなくなったところで、通信端末のカメラを起動しながらキミカが言う。

 俺は素直にカメラの前に立つと、機体に軽く手をかけた。サングラスを取ったらと言われたが、それには首を横に振った。

 パイロットはサングラスをかけるものだ。これが俺だ。


 シャッター音が止んだところで、愛情を込めて機体を掌で叩く。

 今までありがとうな。

 お前は例の墓場でちょっと休んだら、完全自動操縦機フルオートパイロットに生まれ変われよ。


     *


 飛行機のパイロットになるのが、ガキの頃からの夢だった。


 きっかけは、サンタクロースの出てくる絵本だ。赤い服を着たファンキーな爺さんがトナカイに引かせたそりで夜空を飛び回る。おまけにプレゼントを無差別にばら撒くんだぜ? かっこいいじゃねえか。


 最初のうち、ガキの俺はサンタになりたいと言っていたらしいが、少し大きくなると、将来の夢は飛行機のパイロットに変わった。


 パイロットにもいろいろあるが、目指したのはやっぱりエアラインの機長だ。大勢の人間を乗せたデカい機体で国から国へ飛び回るってのは、サンタに負けないロマンだからな。


 ただ、時代は俺に冷淡だった。

 

 パイロット養成学校で教わったことの一つに、航空機の自動操縦オートパイロット技術が、いかに大昔から発達しているかって話がある。


 晴れてエアラインの機長になった奴がコックピットですることと言えば、離着陸と機内放送くらいのもの。しかも数年のうちには、その離着陸すら人間がやらずに済む見込みらしい。初めからそんな話を聞かされた。


 貨物輸送は既に、全てが無人の完全自動操縦機フルオートパイロットで賄われるようになっていた。人間のパイロットは地上の管制室で、複数の機体を同時に監視すればOKだ。


 オーストラリア国内の大手エアラインに就職し、ようやく副操縦士になれた二十九歳の時、俺は数年来の恋人だったキミカと結婚した。

 いいタイミングだと、同僚から冗談交じりに褒められた。これがもっと後だったら、パイロットの夫なんて花嫁の親に反対されていたかもしれないぞ。


 翌年、一人息子のジョージが生まれた。

 まだろくに喋れないあいつが、絵本の空飛ぶサンタを指差して「ダダパパ」と言った時、思わず興奮して高く放り投げたのを覚えている。

 お前、俺の仕事が空を飛ぶことだって、わかってるのか!

 キミカが飛んできてひどく叱られた。


 念願の機長資格を得た四十歳。

 エアラインの全パイロットが密かに抱いていた懸念が、現実のものとなった。


〝長距離用旅客機および事業用小型飛行機の段階的な完全自動操縦機フルオートパイロット化〟


 国連宇宙部がそんな計画を発表したのだ。

 前者は五年以内、後者は二十年以内の達成を目標としていた。

 

 なぜそんな馬鹿げた計画が実現しちまったかというと、その頃、赤道上の海面に設置された人工浮島メガフロートで、地球と宇宙をぶっといケーブルで繋いじまおうっていう、国家を超えた大ブロジェクトが進行中だったからだ。


 その名も軌道エレベーター。


 安全な運用のために、何年も前から国連宇宙部の専門家たちによって、国際法や細かい使用ルールが話し合われていたらしい。

 完成を五年後に控え、いざお披露目となった安全対策の一つが、「飛行機のコックピットはもういらないから外せ」というお達しだったわけだ。


 客が空中でテロリストの人質になる可能性は依然として残るが、少なくとも暴力的にコントロールを奪われる心配はなくなる。

 軌道エレベーターの周囲は広範囲に渡り飛行禁止区域となるため、結果的に過密状態になる航路を円滑に使用するべく、地上で複数の航空機を管理した方がいい。

 そういう結論になったらしい。


 その後の職場に吹き荒れた嵐のことは、あまり思い出したくない。

 完全自動操縦フルオートパイロット旅客機の導入に伴い、パイロットたちは次々と整理されていった。


 俺の番がやってきたのは、四十五歳の時だ。

 地上勤務を勧められたが、俺はその場で辞職を願い出て、帰宅の足で養成所の同期だったマークの会社に飛び込んだ。

 長距離を飛ばない事業用小型飛行機は、当面は今まで通りの有人飛行が許されると知っていたからだ。


 ジョージは高校一年生。オーストラリアじゃ進路決定の時期だった。

 誰かの生き写しみたいに、あいつは小さい頃からパイロットに憧れていた。

 まだ「パイロットになりたい」と言うようなら、俺は、やめておけと諭してやるつもりでいた。憧れだけで先のない仕事なんかに就くな、と。


 それなのに。


「ロボット工学をやる」

 あいつが迷いなくそう言うものだから、俺はつい、思っているのとは真反対のことを言っちまっていた。

「パイロットはどうした」


 ジョージは鼻で笑って、大人びた仕草で肩を竦めた。

「パイロットはもう駄目だって、父さんが一番わかってるだろ」

「なんだと!」


 衝動に駆られたとしか言いようがない。

 俺は頭に血が昇って、気付けば息子にひどい言葉を浴びせていた。


「ロボットなんざ人間の仕事を奪うしか能のない奴らだ。そんなものがいいのか!

 一体誰が、どんな方法でお前を育ててきたと思ってる!」

 

 今ならわかる。

 どんなにみじめな気分だったとしても、あんな言い方はするべきではなかった。


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