スーパーナチュラルノックダウナーズ
和無田剛
序章「天狗隠し」
「
高級旅館であってもこれ程の広間はそうあるまい、と思わせるような大広間。何畳あるのか数える気も起きなくなるような広さである。
華美な装飾などは一切ないが、すべてが一流品である事によって醸し出される雰囲気は寺社仏閣のような荘厳さ。
鎌倉の山中にある、広大な敷地を占有した純和風の屋敷。明治時代に建てられたこの家屋は、
櫛木家は明治から続く財閥系の名家で、その当主は現在も数多くの巨大企業の重役、主に名誉顧問などの職に名を連ねている。
そのお屋敷の大広間で水無藻刀毅と刀哉の親子が緊張しながら畏まっているのだが、幼い刀哉は場の空気のせいで大人しくしているものの、内心退屈で仕方がなかった。
『ここはちょっと、トクベツなところみたいだね☆』
刀哉の傍らで宙に浮かんでいる羊のぬいぐるみが言う。全体にデフォルメされたフォルム、もこもこの羊毛にちいさな巻き角。
「とうじんも、おぎょうぎよくしなきゃダメだよ?」
刀哉がたしなめるように言う。『とうじん』は刀哉のすぐ隣で宙に浮かんだまま、器用に肩をすくめてみせた。正確には肩ではなく前足の付け根であるが。
『ま、ニンゲンのぎょうぎさほうをボクにもとめるのもどうかとおもうけどね☆』
見た目にそぐわない皮肉めいた口調で言う羊に、
「だめだよ、えらいひとのおうちなんだからここ」
保護者のような口調で刀哉が言う。しかし、とうじんは普通の人間には姿も見えず声も聴こえない。
他人からは独り言にしか見えない会話をやめさせようと刀毅が口を開きかけた時、広間の襖が開いた。
「良いのですよ、別に偉い人ではありませんから」
穏やかな笑みを浮かべたその人物は仕立ての良いブラウスにニットカーディガン、緩やかにフレアしたスカートという服装の婦人。この屋敷の主人で櫛木家の現当主、
屋敷の純和風な作りと裏腹な洋装であるが、不思議とマッチしているようにも思える。刀哉たちをこの部屋へと案内してくれたのもクラシカルなメイド服に身を包んだ女性だった。当主は西洋式が好みなのかもしれない。
櫛木家は女系一族である。たとえ第一子に男子が生まれたとしても家を継ぐのは女子と定められている。必ずしも長女とは限らないが、直系の女性が家督を引き継ぎ、他家より婿を迎え入れてきた。
令佳も長女として生まれ、結婚した相手が婿として櫛木の家に入っている。一度離婚しており、現在の夫は大手家電メーカーの役員である。
「本日はお忙しいところお時間を割いていただき……」
崩していた足を慌てて正座にして頭を下げる刀毅に刀哉も倣う。
いえ、どうぞ楽になさってと穏やかに微笑んで上座に腰を下ろす。背筋を伸ばして座るその姿は洗練され、自然な威厳と品性がにじみ出ている。
「こんにちは」
優しい声音で令佳が話しかけると、刀哉はやや萎縮しながらも挨拶を返す。
「刀哉くんね。一緒にいるのはどなた?」
明らかにそれは刀哉の、見えない同行者を指していた。
「とうじん。ボクのともだちなんだ」
と、傍らの羊を指し示す。
「そうなの。仲良くなさいね」
それがどういう存在なのか理解している彼女は言う。刀哉は元気にうんと返事をした。
「あの、本日は」
言いかける刀毅を軽く手で制して、先刻自らが入室してきた襖に向けてお入りなさいと声をあげる。
「失礼いたします」
襖が開き、刀哉と同世代らしき女の子が顔を出す。
白銀に輝く艶のある長い髪、陶磁のような白い肌。顔の造作は日本人的だが瞳の色も水色がかった灰色で、まるで人形のようだった。
「娘のみやです。刀哉くんと同じ五歳なのよ。みや、これから刀哉くんにお庭を案内して差し上げて」
「はい、お母さま」
言葉遣いや所作が妙に大人じみていることもあり、現実感の希薄な印象の少女だ。 行きましょう、という彼女の声に少し逡巡しながらも刀哉は従う。
「さて……お子様の能力を封じてほしいとのことでしたね」
子供たちを見送り、大人だけになると櫛木令佳は口火を切った。刀毅が頷くのに対して、
「それは、普通の生活が送れないほどの能力なのですか? 能力を封じるというのは非常に難しい上に危険を伴う行為です」
今も、と刀毅は子供たちが出ていった襖の方を見て言う。
「あの子は幼稚園に通わせていません。視えるだけでなく、時には一般人にも見えるくらいに実体化させてしまうほどなんです、あの子の能力は。場合によっては命の危険もあります。視える……気づくから向こうもこちらに手を出そうとするようで……」
そう、あの年齢で……と令佳は物憂げな表情になる。
「多分、生まれてすぐに視えていたんだと思います。今もあの子のまわりはバケモノだらけですよ」
憂いを含んだ口調で刀毅は言う。
「最初はまさか、と思ったんです。僕も水無藻の人間ですから知識はそれなりにありますが……あまりに早すぎるし、能力が強すぎる。あれでは生まれたときからずっとあの世を見ているようなものです」
不憫な息子を想う父親の表情に令佳は頷いた。
「わかりました。お手伝いさせていただきます。水無藻家とは浅からぬご縁もある事ですし……」
櫛木家の庭は、そう呼ぶのがためらわれる規模の広さだった。公園と言っても大袈裟ではない広大な敷地には石を敷き詰めた遊歩道が伸び、様々な種類の樹木が植えられている。それは日本庭園とも違うし、西洋風の庭園とも違う。元は日本庭園だったところに西洋のものを追加していって折衷になったような、不思議なバランスで成り立っている庭だった。
子供たち二人の後ろにメイド服姿の中年女性が一定の距離をあけてついてくる。
刀哉がそれを気にして振り返ると、
「どうぞお気になさらず」
と彼女は無表情で言う。
「鹿間さんはメイドちょうなの。こうしてわたしを見守るのもメイドのおしごとだから」
さも当然という顔でみやが応じる。
「ところで、お魚はすきかしら」
そんなことよりと言わんばかりに大人じみた口調で聞く。魚は見るのも食べるのも別に好きじゃないと思った刀哉は曖昧な反応をした。
「すきではないのね? あちらの池にコイがいるのだけど……ではブランコでもどうかしら?」
豪華な白木でつくられたブランコへ。清掃の行き届いたそれに腰かけたみやは、隣のブランコへ刀哉を誘う。おずおずと腰をおろした刀哉は、
「ねえ、あの人はだれ?」
先ほどから気になっていた事を訊く。
鹿間というメイドの更に後ろの植え込みや灯籠の影に隠れながら一定の距離をあけて中学生くらいの男の子がついてきているのだ。ああ、とみやは簡単にうなずき、
「兄さまは、みやのことが心配なのです。いつもああやって見守ってくださるの」
またも当たり前のように言う。
年の離れた兄、
ぎいぎいとブランコをこぐみやの隣で刀哉もやってみようとするがうまくいかない。
「あら、ブランコははじめて?」
ひどく意外そうに彼女が言う。子供にありがちな相手を揶揄する響きは一切なく、自分よりも遊びに疎い子供が居るのかという純粋な驚きからの言葉であった。
「うん。こうえんはたくさんいるから」
行ってはいけない、そう両親に禁じられているのだ。刀哉は不満であったが仕方ないと子供心に思っていた。簡易的な魔除けと結界が張られている自宅には彼に好意的な存在しか入って来られないが、外には危険なものも居る。何度か危ない目にも遭っている。
「あなた、『視える』のよね? そのせいでまわりのモノたちをひきよせているのかしら」
隣からじっと刀哉の目を覗き込む彼女の瞳。淡いグレーに水色が混ざった瞳で見られていると不思議な気分になってくる。
「でも、ここに来ればみえなくしてもらえるんだって。とうさんが」
そう聞かされて東京から鎌倉の山の中までやって来た。そうすれば他の子と同じように幼稚園に行けるようになる、人が集まるところに行っても大丈夫になると聞かされている。
「けど、そうすると、とうじんともおわかれなんだよね」
自分が他の子供と違う事はわかっていた。普通の子供になれるというのはもちろん嬉しかったが、生まれたときからずっと一緒にいた刀尋と別れるのはとても、寂しかったのだ。
彼の記憶が曖昧な頃からその存在は確かに在った。最初はこれほどはっきりとしていなかったのだが、刀哉が成長するに伴ってカタチを確定させてきた。
見た目が羊のぬいぐるみになったのは彼が以前に見ていたテレビ番組のキャラクターの影響だ。子供向けの教育番組のマスコットキャラクターに似た外見、話し方で、最初に話しかけてきたのが『ぼくは刀尋。きみの守護神のような存在さ』という言葉であったが、幼い彼には内容が理解できず、とうじんという名前だけが受け入れられて今日に至る。
すると、隣のみやは強い口調で否定した。
「おわかれじゃない。視えなくてもそれは、居るの。それはただ、気づくか気づかないかだけ。あなたのおともだちはこれからもずっと、となりにいるはずよ」
刀尋に目をやると、もこもこ羊はうんうんと頷いている。刀哉は嬉しくなった。
「そうか、教えてくれてありがとう。じゃあさ……」
いきなり、みやの姿が消えた。
「……え?」
一瞬おいて、付き従っていたメイドの鹿間が駆け寄ってくる。
「お嬢様!」
続いて、物陰に居た彼女の兄、尊も。
「みや! みや! ……これは」
つい先程までみやが腰をおろしていたブランコが小さく揺れる。なんの前触れもなく人間が消える現象。
「天狗隠し……」
一般には神隠しの方が有名かもしれないが彼女の場合は別。櫛木みやには『天狗に狙われる理由』があるのだ。それは彼女が生まれたときからずっと危惧されてきたことである。
鹿間は屋敷へ事件を知らせに走った。
「おい、お前。水無藻の小僧」
尊が妙な呼び方で刀哉に詰め寄る。
「何か、視なかったか? お前、視えるのだろう。みやが連れ去られるとき、何か視ていないか」
その口調には鬼気迫るものまで感じられた。
刀尋に助けを求めるように視線をやると、
『だいじょうぶ。きみが視たものを言っていいんだよ』
自分が見たものを他の人に言ってはいけないと両親からきつく言われている刀哉はそれでやっと頷き、
「あの、てんぐじゃなくて。白いふくのおとこの人がみやちゃんをつれていったんです」
自分の視たものを率直に告げると、みやの兄は目を見開いた。
「お前、それは……それが、天狗の姿なのか? それが」
後半はつぶやくようになってしまった彼を遠くから呼ぶ声がする。
「尊くん! みやちゃんが消えたと」
駆け寄ってくるその男性の姿に刀哉は驚いた。白装束に赤い袴、黒い烏帽子を被ったそれは平安時代からタイムスリップしてきたような服装だったのだ。
「倭先生! みやが天狗隠しに……白い着物の男に連れ去られたと」
倭と呼ばれた男性は刀哉に向き合って、腰を屈めて目線の高さを合わせた。
「初めまして、水無藻刀哉くん。僕は倭と言います。言ノ葉遣いです」
丁寧な口調でよくわからない自己紹介をする。
「ああ、こんな服装だからね。驚いたかもしれないけど、元々君の能力を封じるために呼ばれたから。難しい術式は形から入ろうと思ったんだけど……それより今はみやちゃんだ。急がないと取り返しがつかなくなる」
と、視線を移し、
「ああ、その方が刀尋さんかな。初めまして倭です」
宙に浮かぶ羊のぬいぐるみに律儀に頭を下げる。
「きっと、刀哉くんよりもあなたの方が事情をご存じでしょう。みやちゃんを拐ったのは大天狗です」
そう聞かされた刀尋は、ふむと頷く。もこもこ羊の姿のままであるが深刻な表情に見える。
「あの先生、お母様は」
不安げな表情で尊は問う。
「ああ、もう祠にお篭りになって御伺いをたてているよ。それで少しでも手がかりがつかめればいいけど」
『やまと、言ノ葉遣い……そうか。この時代の……』
刀尋は何やら納得したように、感慨のこもった口調で言う。
『大天狗とは知りませなんだが……やんごとないあやかし、魔物でしたなあれは。しかし、あれほどのものが従者や遣い魔でなく自ら人を拐しに来るというのは』
普段とはまるで口調が違う。外見はデフォルメされた羊のままなので何ともアンバランスである。
「ええ。それだけの理由があるんです。かの大天狗が櫛木みやに執着する理由がね」
『では、刀哉に探させるとしましょう』
刀尋が簡単に言う。
「え、ちょっとまってよ。とうじん」
慌てて言う刀哉に、羊のぬいぐるみは大丈夫と頷く。
刀尋の姿がぼんやりとしか視えず、声もよく聴こえない尊は不安そうに所々欠けた会話に耳を傾けている。それでも倭という男に絶対的な信頼をおいているからだろう、会話に割って入って邪魔をする気はないようだ。
『刀哉はまだ能力を自分で制することができませぬ。ですが言ノ葉で援助して頂ければ……大天狗と接触したばかりですゆえ』
なるほど、と倭は頷き、白装束の懐から短冊のようなものを取り出す。
「ではまず、みやちゃんが連れ去られた時の様子を見てみましょう」
言いながら人差し指と中指を揃えて伸ばした右手を宙に走らせ始めた。
口のなかで何か呪文のようなものを小さく呟きながら、ゆっくりとだが確信を持った動き。それは青白く輝く光の線となって空中に残った。すると左手に持った短冊……特殊な札の表面に毛筆で記された文字も輝き始めた。右手の記す光の線はやがて、ひとつの漢字となる。
それは『覚』という文字であった。そして、札の文字『視』と合わせて二つの文字が一際強い輝きを放つ。
その二文字が浮かび上がり、すうっと吸い込まれるように刀哉の頭に飛んでいき、消えた。
わわっと驚く刀哉の目の前に、つい先程彼の視た光景が浮かび上がった。
ブランコに座る櫛木みやの後ろに腰まである長い黒髪を垂らした、青白い顔の白い着物を着た男が立っていた。
美しく整っているが完全に無表情なその顔はじっとみやを見つめ、質量を感じさせない動きで片手を動かす。その手が彼女に触れた瞬間、二人の姿が消滅した。
全員が息をするのも控えるようにして見つめていたそれが消えると、溜めていた息をゆっくりと吐き出すように倭は言った。
「……まさか、あんなにはっきりと姿が視えるなんて。昔から大天狗はヒトには視認できないとされていたんだよ? それを、君は……」
幼い刀哉の顔を、まじまじと見つめる倭。その表情には畏怖があった。
「確かにこれは、とんでもない能力のようだ。少なくとも今はまだ手に余るだろう……さて刀哉くん、悪いけど協力してもらうよ。これから君の能力と僕の能力、言ノ葉を同調させる。君の力を僕がコントロールする感じかな。そうして大天狗の居場所を突き止める」
倭は地面に何枚もの札を並べ、それを囲むように何かの図形を指で描き始めた。ふたつの三角を反転させて重ねたような形。
「先生、居場所って……あんなものがまだその辺りに隠れてるんですか」
既にこの世ならぬ、手の届かない異世界へ瞬間移動でもしてしまったのではないかと尊は考えていたのだ。
「尊くん、君も観ただろう。あれだけはっきりと姿を視られたんだ。大天狗は現世の理に囚われているはずさ。天狗は天に還るものだが、みやちゃんを連れてはいけない。人間は天には昇れないからね。それが理っていうものだ。それにね……天狗隠し、神隠しに遭って帰ってくる人は存外多いんだ。むしろ帰ってきた人の方が多いくらいじゃないかな」
話を続けながら倭の指は地面にいくつもの文字と図形の組みあわさった奇妙な模様を完成させていった。それは密教の曼荼羅のようでもあり、六芒星のような図形や、一見無秩序に並べられたような漢字も散見された。そしてその中央に札が数枚。
つまりね、と倭は言葉を繋ぐ。
「神隠し、天狗隠しというのは隠す方にとっても無理な横車なんだ。神であれ天狗であれ万能じゃない。彼岸のモノが問答無用で現世に生きる人を連れ去るなんて赦されるはずがない。そう、そんな事はあっちゃいけないんだ」
既に、誰に語るというわけでもなく倭は口を動かしていた。それは口頭による言霊であり、自分に言い聞かせているかのようでもあった。
さあ、と地面にできあがった奇妙な図形を確認するように一瞥すると、ブランコに座っている刀哉に視線を移す。
「悪いけど、これから君の能力を拝借させてもらうよ。なに、心配しなくていい。刀哉くんはちょっと寝ていてもらうだけだ。その間に僕がみやちゃんを探してくるからね……ああそうだ。そもそも僕の役目は君の能力を封じる事だったね。じゃあ彼女を助けたらそのまま君の能力を封じてしまおう。といっても君の能力は強すぎるから、とても僕が抑え込めるようなものじゃない。君にはここであった事をすべて忘れてもらう。そして今までに視てきた妖怪や怪異、そんな『現実には居ないはずのもの』の記憶はすべて夢だったように……そう、小さいときに空想していた事だったんだと、現実感をなくすくらいの事はできる。人間ってのはね、自分の信じられないものは見ようとしないし、それで本当に視えなくなってしまうのさ」
その言葉を聞きながら、刀哉の意識は遠のいていった。それは安心するような、どこか残念なような、不思議な気持ちだった。
これであの子が助かるならいいや。とうじんも居なくならないって言ってたし……そう思ったのを最後に、彼の意識は暗転した。
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