激情

夜海ルネ

第1話

 弓手ゆんでの親指の付け根を無性に触りたくなるときがある。この部分だけは、私の努力を認めてくれている気がするから。弓道において、弓を持つ方の手は左手。これを弓手という。反対に、弓を引く方の右手は妻手めて


 弓道をやっていると、弓手の親指の付け根あたりの皮が硬くなっていく。この付け根で弓を押すことで、まっすぐ、伸びやかに弓を引けるからだ。この部分の皮の硬さが、弓引きの努力量の証と言ってもいい。


 私——樋口悠希ひぐちゆうきは、授業中もずっと、弓手の親指の付け根をいじっていた。だって、私にはそれ以外に、自分の努力を示す証がないから。




「一番的、三中。二番的、皆中……」


 入部したばかりの頃は、希望でいっぱいだった。同学年では10人以上も入部して、これから新しい仲間たちと、一緒に成長して、歩いていくんだという希望が胸の中で膨らんでいた。


「三番的、一中です」


 私は内心でため息をつきながら、射位から退場した。三年生にもなって、皆中の拍手なんてまだ一度も浴びたことがない。


 弓道の試合は、基本四本の矢が的にあたった合計の本数で勝敗を決める。的に中ったのが一本なら“一中”、二本なら“羽分はわけ”、三本なら“三中”、四本全部中ったなら“皆中”。


 皆中するとその場にいる人から拍手が送られる。四本の矢を全て中てた精神力を讃えるのだ。私には、縁のない話だけど。


「さくらちゃん皆中おめでとう!」


「ありがとう、緊張したぁ〜」


 遠凪とおなぎさくら。弓道部エースで、インターハイの選抜メンバーにも選ばれている。私は彼女の洗練された射形が好きだ。見ていて心を奪われる。無駄が少しもなくて、全然ブレることがない。まっすぐな射形。対して私は——。


「悠希、また会0秒だったね〜」


 苦笑いでさくらに言われた。


 私は、“早気はやけ”だ。弓を引いて横に伸びる時間を“会”という。横に伸びる“伸びあい”がない状態を、早気と呼ぶ。会についてすぐに離れてしまうので、私の会はいつでも0秒だ。


 弓道において、早気ほど致命的な射癖しゃへきはない。十分に伸び合うことができず、矢がまっすぐ飛ばないからだ。そして矢の速度も遅くなるため、的の下に抜くことが多い。


「うん、もう慣れたよ」


 私も苦笑いで返すと、さくらはなぜか一瞬間をおいてから、「今日、一緒に帰らない?」と言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る