第39話 第一部最終章 夏休みの宿題を、早く終える奴と三十一日まで引っ張る奴
公園とアパートの一室を使い、火事のトリックを明かした加藤は、その後夏バテだかなんかで、ゴロゴロと過ごした。
単にだらけていたかった、というわけでもない。
咽喉に刺さった小骨が、結局抜けてないような、微妙な違和感が残っていた。
あれから……。
篠宮は母の啓子を引き取って、一緒に暮らすことになった。
音竹樹梨は、蘭佳と氷沼の伝手で脳検査を行った結果、高次脳機能障害と診断を受けた。現在はリハビリを始め、自宅を含めた環境調整中でもある。
音竹伸市は、長尾に引き取られることが決まり、最近長尾の住まいへ引っ越した。
秋になったら、ブラッドパッチの治療を受けるのだという。
そして教員の夏季休暇は終わり、残暑のさなか加藤は出勤した。
保健室の戸を開けると、白根澤が角三封筒に何かを入れている。
「何それ」
「あら、おはようせいちゃん。久しぶりねえ。事務長から、資料が欲しいって言われてね」
「資料?」
「うん、ほら今日、私学フェスティバルでしょ。本校も出るから、健康関係の資料が欲しいとか言ってたわ」
「私学、フェス……」
「生徒募集の一環よ。関東近県の私立学校が集まって、学校の特色とかを宣伝するの。去年もあったでしょ?」
そうか、そんなイベントがあったような、気がするような……。
「文科省も協賛しているわ」
パチン。
「ああ、そう言えば、去年文科省来賓で挨拶したの、憲ちゃんだったわね」
パチンパチン!
違和感があった、謎解きをした会館で。
憲章にペコリとお辞儀した、音竹の姿は。
加藤の脳内に、大小種々の御仏たちが、印を結んで並んでいく。
それが、最後の解答だった。
その日午後から休みを取った加藤は、長尾に聞いた新しい住まいへ向かう。
そこは陽当たりの良い、新築のマンションだった。
「あ、先生!」
モニター越しに、音竹の声がする。
明るい声だ。
パタパタと音竹が階段を降りて来た。
「どうしたんですか?」
「うん、ちょっとな」
エントランスで加藤は、音竹に訊く。
「君は去年、私学フェスに参加したよね」
怪訝な顔をしながらも、音竹は頷く。
「そこで、挨拶に来ていた加藤憲章と、何か話をしたのか?」
音竹はにっこりと笑う。
良い笑顔だと加藤は思う。
「はい。去年の今頃、どこを受けるかまだ迷っていて。そしたら、加藤さんが教えてくれました。
『迷っているなら、葛城中が良いよ』って」
いや憲章、文科省が特定の私学に肩入れしちゃダメでしょ。
「そして入学して、困ったことや悩みがあったら、保健室に行くと良いよって、おっしゃってました」
そうか。
やはりそうだったか。
心の揺れを隠して、加藤は音竹に訊く。
「ウチの学校で、良かったか?」
「はい!」
上手く進みすぎると、加藤は思っていた。
あのタヌキ親父が、一文の得にもならない公園改装に、金を出したこと。
そして工事を最短で終わらせたこと。
何よりも入学早々、保健室に音竹伸市がやって来て、謎めいた発言を残したことだ。
その内容は加藤の好奇心を掻き立てて、無理やりにでも解決しようと思わせたものだった。
その裏で、アイツが段取りしていたのだろう。
文科省の妖刀、加藤憲章が。
「やだなあ、悪役みたいじゃない。僕だって一応、子どもの健全な育生を目指す公務員だよ。僕はただ、せいちゃんのやりたいことを、陰ながら応援しているだけだって」
電話の向こうの憲章は朗らかに言う。
「僕ってさ、段取りとか計画とか、元々得意だから。夏休みの宿題をさっさと終わらせるタイプだもん。あ、せいちゃんは、ぎりぎりにならないと、やらないタイプだよね」
ムカついた加藤は電話を切った。
ムカつきはしたものの、咽喉の小骨は取れたのだ。
見上げた空は、秋の到来を告げる色だった。
同じ頃。
氷沼は例の公園で、子どもたちとすべり台で遊んでいた。
恐竜のすべり台は夏休みが終わったら、撤去されるからだ。
一人の子どもが、氷沼に訊ねる。
「ねえ、おじさん、昼間からこんなトコで遊んでいるなんて、何してる人?」
「おじさんじゃなくて、『天才科学者のお兄さん』だ」
「ふうん。じゃあ、この前おじさんと一緒にいた、髪ぼさぼさの男の人も、『天才かがくしゃ』なの?」
「アレか? アレは確かに天才だな。まあ、俺には負けるけど。アレね、学校の保健室にいるぞ」
「保健室? 何しているの?」
「保健室の先生。養護教諭やってるよ」
子どもはゲラゲラ笑う。
「似合わねえ! 保健室に、おっさんは似合わねえ!」
「ああ、俺もそう思うよ」
「保健室におっさんは似合わない」第一部 了
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