第16話 十五章 授業の準備には、授業時間の三倍かかると人は言う

 加藤は寝不足の月曜を迎えた。


 彼は特異的な脳の使い方をするために、脳性疲労もハンパない。

 例えて言うなら、脳内のマルチスクリーンに、いつも複数のウィンドウが開いていて、それらすべての処理を、同時に行っているようなものだ。


 なお、加藤の「特異的」というのは、ニアリーイコールで、「変態」の意味も持つ。


 加藤は音竹をめぐる諸事情と、そこここに散らばる、きな臭さの解決策を考えながら、週明けに行う、『命の大切さについて学ぶ』という授業の組み立てを、一晩考えていた。

 よって、ほとんど寝ないまま、朝を迎えたのだ。


 出勤すると、ちらりと加藤の顔を見た白根澤が、すぐに蒸しタオルを作って加藤に投げた。


「ああ、あっちっち!」

「熱くても、我慢して顔拭いて、しゃっきりしなさい!」


 適当に顔を拭いた加藤だが、鏡を見ると、確かに目の下の隈が薄くなっていた。

 白根澤のプロの技と言える。だてに超長く、養護教諭を勤めているわけではない。


「せいちゃん、授業準備出来た? 明日よね」


 加藤は頷きながら小声でつぶやいた。


「クソつまんない指導案だがな」

 

 どのくらいつまらないか。


 まず、授業の事前準備を行うのだが、指導案にはこう書いてある。


「命の大切さを知るために、生徒が産まれた時の写真とメッセージを、保護者から預かる」


 それが悪いとは言わない。


 ただ、何らかの事情のため、出生時に写真を撮っていない、撮ることが叶わなかった親子がいるかもしれないことを、なぜ想定しないのだろうか。


 幸い、この葛城学園は、経済的に困窮している家庭はほぼない。

 だが、複雑な家庭状況が、ないわけでもない。


 授業のエンディングには、取り込んだ写真とメッセージをスクリーンに映しだし、生徒に人気のあるいずれかの曲を流し、生徒も教員も一緒に感動するのだという。


 感動?

 出来るのか?


 この内容で、命の大切さを、実感できるのだろうか?

 思春期の男子だぞ!


 加藤はぶつぶつ言いながら、写真とメッセージを確認していく。

 あるところで、彼の手は止まる。


 そして加藤は、指導案をカスタマイズした。



 翌日の三時間目。


 加藤は資料を揃えて、教室に向かう。

 担当クラスは、一年二組。

 音竹のいるクラスである。


 その頃、校長以下、管理職の教員が、校門の前に雁首揃えて、畏まっていた。

 一台の、ごく普通の乗用車が入校する。


 車のドアが開き、一人の男性が現れた瞬間、一同は顔が膝に付くくらい、深々とお辞儀をした。


「お待ちしておりました!」


 男性は、これまた普通のスーツに、使い古したカバンを持ち、頭を軽く下げる。


「お忙しいところ、突然の依頼、受けていただき恐縮です。早速、授業を拝見したいのですが」


 教頭が、来校者のカバンを持って、校内へ案内する。


 雁首の一人、主幹教諭が、小声で校長に訊く。


「あの方が文科省の……」

「そうだ。わずか三十台で私学行政課の課長になった、『文科省の妖刀』、加藤憲章かとうのりあきだ」


 確かに、シュッとした顔つきは、いかにも頭が良さそうだ。

 主幹教諭の新島は、その顔貌と眼差しから、『妖刀ムラマサ』をイメージした。


 それよりも、校長、なんて言ったっけ? 文科省から来た人の名前。


 加藤なんだっけ

 加藤憲なんとか


 加藤?



 教頭が恐る恐る、一年二組の教室まで、加藤課長を案内する。


「ええと、今日の授業は、養護教諭が行っておりまして、その、授業に慣れていないというか……」


 加藤課長の目が鋭くなる。


「構わないですよ。平素の学校の様子を、我々は知る必要がある」


すると、養護教諭が授業を展開している教室内が、どっと沸いた。

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