第14話 十三章 心肺蘇生人形の名は、異世界の悪役令嬢の名前になりそうである

 それは去年のこと。


 この学園ではだいたい夏休み前に、生徒指導部の教員や、保健体育の教員及び養護教諭が、健康教育を行っている。


 去年は保健体育の教員が、赴任したての若い女性だったので、保健室からは加藤が加わり、指導を行うことになった。


 高等部の生徒を対象にした、AEDと心肺蘇生の内容なので、加藤もあまりヘンなことは言うまい、と白根澤は思った。


 この時は、まだ。


 授業前に、対象学年から取ったアンケートには、こんなことが書いてあった。


「加藤先生は、日頃、ジェンダーフリーとか言ってますケド、なんで、心肺蘇生の練習するための人形は、全部男なんですか?

 これは女性に対する、差別じゃなでしょうか!」


 書いたのは高等部生徒会役員で、成績優秀な生徒であった。


「たしかにな。そりゃあ、そうだ。 言ってることに、大きな間違いはない。よし、分かった!」


 何が分かったのかは不明であるが、生き生きと授業準備をする加藤に、白根澤は何も言えなかった。

 言いたくもなかった。


 それから一週間後、心肺蘇生並びにAED使用に関する健康教育が、体育館で行われた。


 初任の女性教員の研修を兼ねた授業なので、校長や教頭、主任なども見学に来る。

 女性教員はジャージ姿で、時折、目をぎゅうっと瞑った。


 蘇生訓練用のマネキンは、学園に十二体用意してある。

 一体につき、五、六人の生徒が交代しながら練習するのだ。


 今、その人形たちには、白い布がかけられている。



 加藤は新任の女性教員を完全に無視した状態で、勝手に授業を始めた。


「俺は、感動した! 君たちの意識の高さに! 特に湯沢君!」


「はっ、はい」


 呼ばれた生徒はビックリして立ち上がる。


「君の『蘇生訓練用の人形が、男ばかりというのは、ジェンダーフリーに反する』という意見に、俺は衝撃を受けた! 全くその通りだ! 

 だから、今回は特別に、ジェンダーフリーでインクルーシブな人形を用意した!」


 加藤は人形に掛けられていた布を取り払う。


 生徒は勿論、教員たちも、加藤が準備した心肺蘇生用のマネキンを見て絶句した。


 普通、心肺蘇生用のマネキンは男性と思しき人形である。

 特に表情などはついていない。


 ところが加藤が並べた人形は、七体は男性で五体は女性。

 目も口も、眉まで描いてある顔は、苦悶の表情をうかべていた。白髪のウイッグも付けている、後期高齢者の風情である。


「いいか、君たち。年間、救急車で搬送される人数は、およそ三百五十万人。うち、二百万人が高齢者だ。そして、その六割は男性なんだ」


 加藤は語る。


「今回の訓練用の人形は、その比率を守って、表情にも工夫を凝らした! 苦しそうにしているだろう? さあ、生徒諸君! 緊急事態に見舞われた、高齢者を助けようではないか!」


 しゃれのつもりで書いたアンケートを、湯沢は心より後悔した。

 せめて、人形の年齢指定をするべきだった!


  だがもう、賽は投げられた!


  湯沢が、うおーっと叫びながら走りだすと、他の生徒もそれに続いた。


 訓練は盛り上がったが、授業としての評価は微妙だった。


 新任の女性教員は、加藤を睨んだまま、何も動けなかった。自分で立てて来た授業計画が、真っ白になったのだ。

  

 その後、彼女は公立の学校に移っていった。


 授業終了後、校長と教頭、主任らは、白根澤に通告した。

 健康教育は、今後すべて、白根澤がやるように、と。


 そして現在。


「去年、俺は二度と教壇に立つな、って言われたぞ!」


 加藤が口を尖らすと、白根澤も頷く。


「うん。知ってる」


「それなのに、どこをどうすると、『命の教育』の担当になるんだ? しかも文科省の視察の時に」


「ああ、しょうがないのよ。その文科省からの、ご指名なんだから」


 加藤は小さく舌打ちをした。


 あいつか、やっぱり。


「授業するの来週だから、指導案、良く見ておいてね」


 まあ、テンプレ通りの授業をすれば、特に問題ないだろう。

 加藤はそのまま、日々の業務に忙殺された。


 金曜の夜、再び氷沼から連絡があった。


「頼まれていた踏み台、用意できたよ。ディモルフォドンの体長くらいあるぞ」


 加藤は、ディモルフォドンを全く知らなかった。

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