第9話 八章 プロの養護教諭には、時折後光が射すらしい
それは、加藤が葛城学園に赴任して、間もない頃のことだ。
公立の教員採用試験に落ちた加藤、本人は結果に納得していなかったが、本人以外は受かると思っていなかった。
仕事もしないでフラフラさせたままだと、また、寺に行きたいとか滝で修行したいとか、加藤は言い出すであろう。
心配した身内が、昔から付き合いのあった白根澤に頼んで、葛城学園に押し込んだのである。
そして、押し込めるだけの力を、加藤の家は持っていた。
ところで、日本における児童虐待の件数は、年間十九万件を超えている。
そして、虐待による子どもの死亡件数は、毎年五十人以上と言われている。
「けど、葛城は私学だろ? 経済的にはソコソコ裕福な家、多いんじゃね? 虐待なんてあるの?」
児童虐待の早期発見が必要と聞き、加藤は白根澤に尋ねた。
「そうね、たしかに貧困は虐待のハイリスク要因ね。でも、子どもの虐待をする親って、決してトクベツな人たちではないのよ」
白根澤は、当時、「養護教諭見習い」といったレベルの加藤に向かって、一語一語嚙みしめるように言った。
「せいちゃん。あなたのことだから、きっと厚労省の虐待に関するデータなんかも、全部知っているでしょう。虐待が起こるプロセスとかも、ね。
だからこそ心にとめておいて欲しいわ」
白根澤の次のセリフを聞き、加藤の脊椎には、電流が走った。
「目の前の子どもに対峙する時、その子を数値で見てはいけない。万が一、虐待が疑われる子どもがいたとして、それは単に、十九万分の一の現象ではないの。
その子は、尊い命を持って生きている、たった一人のかけがえのない存在。
それを、忘れないで」
瞬間。
白根澤に後光が射した。
観音様か、あんたは!
加藤は脳内で白根澤の顔貌をトリミングして、彼女を見つめた。
目と鼻と唇のパーツだけを見るなら、白根澤は、いにしえの銀幕を飾った、女優のようだった。
同時に。
加藤は、「養護教諭見習い」から「新人養護教諭」へと、レベルが上がったのである。
そうして、今年度の健康診断が始まった。
葛城学園は契約をしている病院から、複数の医師と看護師、放射線技師などを招き、一斉に種々の健診内容をこなす。
教員は、生徒を並べて誘導するだけ。
養護教諭の主な業務は、健診の記録のみ。
他の学校の健診に比べると、比較的楽なものである。
とはいえ、白根澤は、医師らにお茶出しをしたり、技師さんに挨拶したりと、あっちこっちへ動き回っている。
その姿は、大きなスライムが跳ねているようで、ぼよん、ぼよんという擬音が、聞こえてきそうだった。
加藤は内科医の側で、健診用紙に記録を行う。
そして、健診を待つ生徒らの、健康観察を行っていた。
一年生の健診が始まる。
一ヶ月前までは、小学生だった生徒たちである。
全体的に華奢な身体つきだ。
生徒らは、上半身の着衣を脱ぐと、互いに笑ったりくすぐったりしながら、順番を待っていた。
音竹のクラスの番がきた。
音竹の腰あたりには、古い傷跡が見えた。
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