第8話 七章 健康診断には深い意味があるらしい

 音竹は手を振りながら、母の元に走った。

 音竹の母は、加藤の姿を認めると、頭を下げる。

 その隣の男性は、「誰?」と聞いていた。


 加藤も音竹の後から、音竹母に歩み寄る。


「先生、お世話になりました」

「いえ。お借りした布団は、あとでご自宅に届けます」


 加藤も音竹母に挨拶をする。


「先生、だったのですね」


 音竹母の隣の男性が、笑顔で加藤に話しかけた。

 背の高い、端正な男性。加藤より少し年上だろうか。


 加藤は相変わらず、ぼさぼさ頭でトレーナー姿。

 今日のトレーナーは、猫が段ボールに入って、丸まっているプリントが施されている。

 確かに、一見、教員には見えない。


 対する男性は、高そうなスーツを着ている。髪もぴっちりと分け、フチなしメガネがいかにも頭良さそうだ。


 ふと、加藤は気付く。

 どこかで見た顔だ。


「はあ、まあ、養教の加藤です」

「加藤先生、わたくし、こういう者です」


 男性は慣れた仕草で、名刺を加藤に差し出す。


 男性の名は、篠宮亘しのみやわたる

 肩書は、浄化生活アドバイザー。浄霊相談員。

 そして最後に、内科医とあった。


 名刺を見た加藤の目が、いつもの倍くらいの幅になる。


 例えていうなら、素麺の太さから、稲庭うどんの太さに変わったのだ。


 加藤の脳内に保存された画像が、一気に過去に向かってスクロールを始める。

 そしてコンマ三秒くらいで、加藤は求めた情報に行きつく。


 篠宮……亘。


 その名を見たのはパワーポイント上だ。

 パワーポイントの背景は『しずく』。フォントが小さくて見にくかった。


 確か演題は、「脳内ネットワークを曼荼羅図から解明する」だ。


 控えめに言って、クソつまんない研究発表だった。


 篠宮が口頭発表するだいぶ前に、同じようなテーマの優れた研究を、加藤はいくつか読んでいた。



「篠宮先生は、十二年、いや十三年前か、名古屋で行われた『国際脳医科学情報システム学会』で、曼荼羅と脳についての発表をされた人ですよね」


 篠宮は一瞬眉を寄せ、すぐに笑顔に戻って答えた。


「よくご存じですね。さすがに養護教諭の先生方は、勉強熱心でいらっしゃる」

「あ、いや、俺そん時はまだ学生でしたが、先生のパワポ、胎蔵界と金剛界の曼荼羅図が、逆だったので覚えていました。面倒だから、質問しなかったですけど」


 そういうことは、普通、初対面の相手には、言わない。


 篠宮も、ぎょっとした顔に少し、赤みがあらわれていた。


「あの、篠宮先生、そろそろ」


 音竹母が介入してくれなかったら、加藤の失礼な発言は更に続いていただろう。


 音竹母は篠宮に寄り添うように、帰っていった。

 篠宮は会釈だけして、振り返らずにいった。


 音竹は振り返って、加藤にぺこり、頭を下げた。


 加藤は三人が帰ったあと、校舎内に入り、保健室に寄った。

 退勤時間は過ぎていたが、白根澤がお茶を淹れて待っていた。


「どうだった?」


 茶菓子の大福を食べながら、白根澤が訊く。

 共食いか、とツッコミたいのを加藤は我慢した。


「まあ、滞りなく」

「それは何より。明日から、忙しくなるしね」


 そう、四月の保健室は忙しい。

 明日は全校一斉の、内科健診がある。


 加藤が赴任して、初めての健診の日のことだった。

 生徒は全員体操服に着替えるが、学校医の前では、その場で素肌をさらす。


「上半身裸にするのって、運動器検診のため?」


 加藤は白根澤に尋ねた。


 数年前から、脊柱側弯の早期発見のために、「運動器検診」という項目が加わった。

 その検診では、両肩の左右差を確かめたり、背骨が曲がっていないかを診る必要がある。そのため、基本、裸の状態で行うことが望ましい。


 ただし、下着などを着用した状態で、行う学校も少なくない。


「ええ、それもあるけど」


 白根澤の答えは、加藤に衝撃を与えた。


「ここ、葛城学園においては、虐待やいじめをいち早く見つけるため、上半身を裸にするの」

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