第6話 五章 宿泊学習の夜、怪談はしないほうがいい
加藤の睡眠時の脳は、一般的な成人の、レム睡眠、ノンレム睡眠の波形を取らない。
一分で入眠し、目覚める時は瞬時。
加藤の学生時代の友人が、彼の睡眠状態に興味を持ち、研究対象にしたことがあった。
結果、加藤の眠りは、新生児とほぼ同じ脳波となり、特異体質という一言で片付けられた。
生徒の叫び声により、加藤は覚醒し、その瞬間駆け出した。
向かう先は音竹の部屋。迷うことなくそのドアを開ける。
「バカもーん!」
加藤がドアを開けると同時に、怒鳴り声がした。
一足先に入室していた、体育の玉田の声だった。
怒鳴られた生徒は確か木ノ下だ。
木ノ下は音竹の隣の布団で、ぐすぐすと涙ぐんでいた。
音竹も上体を起こし、俯いている。
「お前、自分が何をやったか、わかっているのか!」
木ノ下は、涙ぐみながら、小さく「ごめんなさい」を繰り返す。
音竹の布団の横に、会館名が印字された枕が放り出されていた。
察するに、理由は分からないが、木ノ下が音竹に枕を与え、それに頭を乗せた音竹が発狂したような声を上げた、というところだろう。
玉田の叱責は続いている。
うざい。
しかも玉田、お前、酒臭くないか?
同じ部屋には、あと三人の生徒が、皆、玉田の威圧に怯えて、身を寄せ合っていた。
緊張しながらやって来た、合宿の初日である。
身体も声も、態度もデカイ大人に怒鳴られたら、テンション下がって、嫌な思い出しか残らないだろう。そんなことも分からないのか。
そもそも合宿の第一目的は、「生徒同士の親睦を深める」ではなかったか。
加藤は玉田を押しのけて、するりと音竹の横に入り込む。
そのまま、左腕で音竹を、右腕で木ノ下を抱き寄せる。
「玉々先生、俺が付き添いますから、あとは任せてください!」
玉田は「たまたま、じゃなくて玉田だ!」などと、ぶつぶつ言いながら、退出する。
そして、ドアの外で様子をうかがっていた、他の部屋の生徒たちを、手で追い払った。
「木ノ下君、君の間違った行為に関しては、明日もう一度、音竹くんに謝りなさい」
木ノ下は何度もコクコクと頷く。
「でもね、君は多分、音竹君のことを心配して、やったことだろうと俺は思う。その気持ちは、決して間違っていない」
木ノ下が鼻を啜った。
「音竹くん。枕は『浄化』されてないモノだったんだろ?」
音竹も頷く。
「俺が今夜は一緒にいるから、も一度横になって寝ても大丈夫だ、死んだりしない」
怪訝な表情の音竹に、加藤は言う。
「俺は密教の寺で修行して、
加藤はいつの御時にか分からないが、得度を受けている。その気になれば、僧侶資格も取れるそうだが、白根澤からは止められているのだ。
「大丈夫、です」
音竹は恐る恐る、布団にもぐる。
間もなく寝息が聞こえてきた。
「君も眠れるか?」
加藤は木ノ下に尋ねる。
木ノ下は、荒い息のまま、無言である。
「君たちはどうだ?」
加藤は同じ部屋の生徒らに訊く。
三人の生徒らは、ごそごそと布団にもぐる。
叫び声と怒鳴り声を聞かされたあとなので、すぐには寝付けないだろう。
加藤は右腕で木ノ下を抱えながら言う。
「しょうがない。せっかくだから、君たちが寝付くまで、本当にあったっぽい、恐い話でもしてあげよう。身長が、二メートル四十センチくらいある女性の話か、猿の運転手が出て来る夢の話、どっちがいい?」
「どっちもネットで見た」
小声で誰かが言った。
「そうか。では、ある駅についたら、そこは異世界だった話とか」
木ノ下が、ようやくくすっと笑った。
「二月の名前の駅ですか?」
「いや、『弥生駅』という実話だ。総武線の終点のイッコ前にある駅でな、今は西千葉駅という名前なんだが」
「先生?」
「なんだ?」
木ノ下が布団に入る。
「先生の使ってるコロン、懐かしい香りです。落ち着きました」
白根澤には幾度となく、加齢臭には気をつけなさいと言われているので、加藤は、男性向けのコロンを薄くつけている。
「そうか、それは良かった。君のお兄さんかお父さんが使っていたのか?」
「あ、いえ、ウチのおじいちゃんが使っていました」
一瞬、能面顔になった加藤であったが、照明を落とした生徒らの部屋で、結局朝まで付き添っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます