第6話 天燈が浮かぶ夜空へ

幼い頃の記憶。お姉様の14歳の誕生日の出来事。

私はお姉様の為に珍しいお花を探しに家から少し離れた森に行った時だ。

斜面が急な所に青い綺麗なお花が咲いていて、それを摘もうとした時に足を滑らせて私は大怪我をしてしまった。


「ダメじゃない!!どうしてそんな無茶をしたの?!!」


お姉様が泣き腫らした顔で怪我をして帰ってきた私に怒りを向けている。どうしてそんな顔をするのか分かっている。反論なんてできやしない。


「貴女自身を大切にしてくれないならもう何もいらない…!!自分を犠牲にしてまで手に入れようとしないで…!!!」


大事なお姉様の誕生日を涙で濡らしてしまった。摘んできた青いお花も折れてボロボロになってしまっていた。

ただ、お姉様を喜ばせたかっただけなのに。


全部私のせいね。


私のせいで旅行も…。






「っ…!!!」


懐かしい夢から目を覚ました私が最初に見たのは見覚えのない部屋の天井。雰囲気からして病院ではなくホテルの客室だろう。

服も、さっきまで着ていた白いコートからネグリジェに変わっている。

驚き隠せないままゆっくりと起き上がり、周りを見渡し状況を把握しようとする。


(確か…私は…)

「白雪!!」


いろいろ思い出そうとしていた時、キース様の声が耳に入った。キース様は慌てて私がいるベッドの方に駆け寄ってきた。


「キース様」

「よかった…目が覚めたんだな」

「えっと、私、さっきまで街にいた筈じゃ…」

「天燈を飛ばした後倒れたんだよ。医者が船旅の疲労と船酔いのせいで体力が落ちてたせいだって言ってたぞ」


ぼやけていた記憶が少しずつ蘇ってゆく。


(そうだ。思い出してきた。私、倒れたんだった。調子悪かったくせに無理して…)


頭の中が後悔の渦にのまれる。口から出るのは謝罪の言葉だけ。


「あ、そんな、ご、ごめんなさい!!私…!!」

「いい、そんなこと気にするな」

「で、でも、私のせいで旅行が…お姉様の願い事が台無しになってしまって…!!!全部私のせい…!!」

「台無しになんてなってない。まだまだ取り戻せるから安心しろ」

「でも…でも…」


ショックで泣いてしまった私をキース様は怒るどころか優しく慰めてくれた。なかなか現実を受け入れられない私をそっと抱きしめてくれた。


「大丈夫。カイネだって倒れてまで叶えて欲しいなんてきっと思ってない。悲しいまま願いを叶えたってアイツは喜ばない」


私はキース様のその言葉に何も言えなかった。さっき見た夢の中のお姉様の顔が頭を過ぎる。

お姉様はきっと喜ばない。私自身を犠牲にして叶えた願い事は彼女は拒絶するだろう。

もう、お姉様が悲しみの涙で腫らした顔を見たくなかった。


「もし、今回がダメならまた来年くればいい。俺達には沢山時間がある。叶えてない願い事だってまだまだあるだろう?」


キース様の優しい問いに私はゆっくりと頷いた。


「ならさ、焦らずゆっくり叶えていこう。アイツも、カイネもそれを望むから」

「……ありがとうございます。キース様」


抱きしめていた腕の力を緩め、そっと私からほんの少しだけ離れた。


「あ、そうだ。もう身体は平気か?」

「はい。さっきまで感じていた違和感がもうないので。あまり無理をしなければ大丈夫かと」

「そうか。夜の天燈祭はこれからなんだけど動けるか?」


私はキース様の言葉に驚き、慌てて窓の方に顔を向ける。

窓には青空ではなく、まだ夜に変りたての点々と光る星と紺色の空の色だった。

最大の目的である夜の時間はまだ始まっていないのとを知って私は安堵した。

正直、倒れた事もありあまり無理はできない。これ以上キース様に迷惑をかけられない。

けれど、この夜の天燈祭はどうしても行きたい。今のタイミングで目を覚ましたのなら尚更だ。


(ま、間に合った…!!翌朝だったらアウトだった…!!)


変に慌てる私を見てキース様はフフっと笑った。


「本当、カイネそっくりだな」

「え?どこがですが?」

「そうやって無茶して慌てるところが」


あっと思い顔が真っ赤に熱くなるのを感じる。

確かにお姉様も私と同じで無茶して後悔する性格だった。よくお母様やお父様達を困らせてたっけ。


「全部1人でやらなくていいだろ。俺に頼ってくれ。一応、お前の旦那なんだからさ」

(うぅ…ぐうの音も出ない…)

「それに結婚式の日に言っただろ?カイネの願い事を手伝わせてくれって」


お姉様のことを心の底から愛してくれた人は、私と同じ様に彼女の為に奮闘すると誓ってくれた。

私は彼の決意を疎かししてしまいそうになっていた。

彼の言葉に偽りなんて無い。彼無しではこの度は続けられない。


「ごめんなさいキース様。もうあの様な事はしません。実は夢の中でお姉様に叱られてしまったのです。どうしてそんな無茶をしたのかって」

「カイネが?」

「ええ。パートナーの助言を無視して叶えた願い事なんてきっとお姉様は喜びません。だから、その、キース様のお言葉に甘えてもいいですか?」


キース様は嬉しそうな笑顔で当たり前だろうっと私の頭を撫でた。誰かに頭を撫でられたのは久々だったせいか少し恥ずかしかった。


「あ、キース様。今時間は」


私はキース様に時間の確認をお願いする。キース様はスーツの内ポケットに入れていた懐中時計を取り出し時間を確認する。


「えっと…お、そろそろ出た方がいいかもな」


そろそろ出た方がいいと言う言葉に反応して私は急いでベットから降りて支度を始める。

もう無茶はしないと宣言したが、私の中の野望と好奇心が勝手に身体を動かしてしまう。でも悪い気はしない。


「今すぐに支度します!キース様は先にロビーに向かっててください!!」

「あ!!おめー言ってるそばから!!無茶するなっての!!」

「もう平気ですから!!ほら!!これじゃ着替えられない!!」


私は無理矢理部屋からキース様を押し出した。

彼にはちゃんと埋め合わせをしよう。何か彼が喜ぶ様なことを考えておかなければ。

倒れる前まで感じていた不快感はもう無く、今は胸を躍らせる様な気持ちが駆け巡る。

明るい青空に飛ばした天燈も素敵だったけれど、これから見るであろう夜空に飛ばす天燈も素晴らしいものになる筈だ。

お姉様の悲願の一つが叶えられようとしている。ここで立ち止まっていられなかった。







「次倒れたら許さん」

「分かっておりますわ。私ももう急に倒れてしまうのはごめんですから」


強引にロビーで待たせていたキース様は少しブスッとしていた。まぁ、そうさせてしまったのは私ですが…。

でも、もうあの船酔いから体調不良は完全になくなっている。少しベッドに横になったおかげで夜の天燈祭に間に合いそうだ。キース様にちゃんとお礼をしなきゃ。

私はある事を思い出す。それは、この旅行が始まってからずっと抱いてきた違和感。


(私達まだ夫婦らしい事何もしてない…)


幾らお姉様の願いを叶える為の旅行だとしても、本来は新婚旅行という新たに誕生した夫婦の為のもの。空の上から見てるお姉様に苦言されてしまいそうだ。

私はお母様達がいつもしていた事を思いつく。


「あの…キース様?」

「ん?」

「えっと…腕組んでもいいですか…?」

「な、なんだよ。急に腕組んでくれなんて」

「だって私達夫婦なのにそれらしい事してないから。このお祭りの間だけでもいいので…だめなら…」


恥ずかしさでしどろもどろしてる私に一瞬だけ困惑した表情を見せるも、すぐに察してくれたのかそっと腕を差し出してくれた。それに応える様に彼の腕に私の腕を組ませてもらった。

こんなに密着して街を歩くのは始めてだった。あの昼間の散策の時も2、3歩離れて歩いていたからどこか新鮮味があった。


(お父様達も2人で街にお出かけする時こんな感じだったわね。次は私がやる番だなんて)


少し緊張しながら祭りで賑わうラーナタルの街を練り歩く。さっきよりも人が増えている気がする。

昼間の時と違って光が漆黒の星空のお陰でとても冴えて見える。


「白雪。お前が倒れる前に飛ばした天燈になんの願い事を書いたんだ?」

「お姉様の願い事が叶います様にって書きました」

「そうか。じゃあ自分のやつはまだってことか?」

「そうですけど…でもこの旅はお姉様の願いの為の旅ですから。それに私自身の願いはまだ…」


まだ何も考えていない訳ではない。ただ、彼の前でキース様の前ではまだ打ち明けたくなかった。

一つだけお姉様の為ではない願いがある。天燈に書くのを躊躇してしまう様なものだ。

私は最後の応えをはぐらかす様にキース様が天燈に書いた願い事が何か聞き返した。


「お前にはまだ秘密」

「秘密って…!そんな事言われたら気になるじゃないですか!」

「後でちゃんと話してやるよ。ほら、着いたぞ」


納得のいく応えが聞けないまま天燈飛ばしの会場に着いてしまった。

すでに大勢の人が天燈を飛ばす準備を始めていた。

周りはオレンジ色の火の灯りに照らされていた。


「これが夜の天燈…」

「まだ飛ばす前からそんなんだと身が保たんぞ」

「だってとても素敵だったから…昼間と違うのね」

「まぁ、夜は火を映えさせてくれるからな。そうだ。一斉に飛ばすみたいだから願い事書くなら今のうちに書いとけ」


奥様これをと使いの方から天燈と筆を渡される。

けれど、今回は書く気になれなかった。さっきの私自身の願いが書く為の手を止めさせていたのだ。


(お姉様への鎮魂と…あとは…私自身の願いは…)


私自身の願いは彼だ。キース様のことだ。

政略結婚とお姉様の願いで繋がった絆が違う形に変わる事を心のどこかで願ってしまっている。

そんな愚かな願いをこの神聖な天燈に私は書けなかった。

何も願い事が書いていないまっさらな天燈を昼間に教えてもらった通りに地面に設置されていた蝋燭立ての火を使って膨らませてゆく。


(キース様はお姉様を愛している。私達は形だけなのよ)


そう言い聞かせて私は天燈が勝手に飛んでしまわない様にしっかりと抑える。

キース様の天燈に目をやると彼の天燈にも何も書かれていなかった。

しばらく待っていると、一斉に飛ばす合図としてラッパの様な笛の音が会場に響き渡る。

火が灯る無数の天燈が夜空へと解き放たれてゆく。

私もそっと天燈を離し、夜空に登ってゆく天燈を見守った。

漆黒の夜空に天燈の暖かい光が漂う。海面にもその光が鏡の様に映し出されていて幻想的だった。


(これがお姉様が叶えたかった願い。夜空を照らす天燈の光…)


いろんな願いと鎮魂が込められた光。昼間のものとは全く違う。

その光景に感激して立ち尽くしてしまう。不安も緊張もどこかに行ってしまった。

動けなくなっていた私の手を誰かがぎゅっと握ってきた。私は驚いて気配を感じた方を身体を向ける。


「き、キース様?!!」

「驚かせてごめん。大丈夫か?」

「あ、はい。ごめんなさい。予想以上に凄くて…お姉様に見せてあげたかったって…」


また一つお姉様の願い事が叶えることができたが、こんなに素晴らしい光景を彼女本人の目で見せてあげられなかったのが悔しくてたまらない。

彼女の目の代わりになれると思っていたが、もうその人はこの世にはいない。


(神様はどこまで私達に残酷なの?)


まだ元気だった頃のお姉様の顔が頭に浮かび、堪えていた涙がボロボロと流れてゆく。感情が爆発する。


「っ…!どうして?どうしてお姉様なの?本当は私じゃダメなのに。此処にいなくてはいけないのはお姉様なのに」

「白雪っ」

「こんなに素敵な空を見せてあげたかったのに。どうしてお姉様が死ななければいけないの…!」


白雪姫と蔑まれる私には眩し過ぎる光だった。

溢れてゆく涙にも暖かく優しい天燈の光が映る。

優しい手に頰を触れられている様な感覚がした。


!!」

「っ…」


キース様の声が私を現実に引き戻す。白雪ではなくアンナとしっかりと私を呼んでくれた。

私は堪えきれない想いを必死に抑えながらキース様の胸に飛び込む。

止まりそうにない涙が彼のスーツに染み込んでゆく。それでも何も言わずにキース様は私を受け入れてくれた。


「ごめんなさい…私…」

「カイネもちゃんと見てるさ。この光景を」

「お姉様も…?」

「言ってたんだ。アイツが亡くなる前に。ずっと側で見守ってるからって。アンナの幸せを願ってるって」

「……」

「俺とカイネの最後の約束と、さっき天燈に書いた願い事。教えてやるよ」



私の知らないキース様とお姉様の約束と願い事。



それは。

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