第2話 カイネが遺した願い

式を終えた夜。夫婦になった2人が初めて迎える夜だ。

純白のウェディングドレスから着慣れた薄紫のネグリジェに着替えて夫であるキース様をベッドの上で座って待っている。

本来なら夫婦としてやるべき事があるのは知っている。けれど、それはお互いを愛し合っている場合だ。私達は違う。

私にはキース様に伝えなければいけない事がある。彼との結婚を承諾した日にはぐらかした話を包み隠さず全て話さねば。

私1人では成し遂げられない壮大な計画を。お姉様が遺した想いを彼に知らせねば。


「白雪」


背後からキース様の声が聞こえた。

入浴を終えたのだろう。ゆっくりとこちらに近づいてくる。

緊張して心臓の鼓動が激しくなる。キース様に聞こえてしまわない様にぎゅっと胸を抑える。


「き、キース様…あの、」


震え声になっている私の隣に少し間を開けて座る。緊張と不安のせいで俯いている私にキース様は優しく話しかけてきた。


「大丈夫だ。怖がらなくていい。お前が考えている様な事はしない。これはお前の家系を救う為だけの結婚。それ以上は求めない」

「あの、その…」

「今日は疲れただろう?早く休め」


労いの言葉をかけるキース様の声に少し緊張が和らぐ。

私は気持ちを落ち着かせようと静かに深呼吸をし、ぎゅっと目を瞑り意を決して言葉を発した。


「あ、あの!!!あ、貴方に、キース様に伝えなければならない事があります…!!」

「……伝えなければならない事?」

「はい…。とても大事な…私の人生を賭けた大事な話です。これはキース様なしで進められない計画があるのです。聞いていただけますか?」

「まさか、カイネも関わってたりするのか?」


キース様の口から出たお姉様の名前に私はゆっくりと頷いた。


「ええ。お姉様も関わっております。お姉様が生前に願っていたことでしたから」

「カイネが…」

「キース様。これをご覧になってください」


私は枕下に隠していた分厚い赤いノートを取り出しキース様に差し出した。

この赤いノートはお姉様が生前にある事を書き遺したもの。計画の全てが書き記されたノート。

ノートを受け取ったキース様は、そっとノートを開きページを捲る。


「これは…っ」


そのノートに記されているのはお姉様が叶えられなかった願い。




"これは私が叶えたい全て"


『キース様ととても素敵な結婚式を挙げること』

『早くこの病気を治していろんな国に行くこと』

『新婚旅行は天燈を飛ばせる国に行きたい。そこで天燈に願いを書いて空に飛ばすこと』

『アンナに素敵な人が現れて、その方と結婚する姿を見届けること』…



びっしりとページに書かれた願い事。

自分の身体を蝕む病が治ると信じて書いた願い事は叶う事はなかった。悔しくて仕方がなかっただろうという証拠が転々とページに沁みて硬くなった涙の痕が物語っている。


「アンナ。貴女にこれを託すわ。全てじゃなくていい。このノートに書いた事を私の代わりに叶えて欲しいの」


意識を保つのがやっとになってきた頃にお姉様が私に言った言葉。

ベッドの上で日に日に変わり果ててゆくお姉様に私は何もできなかった。ただ、弱ってゆく姿を、死にゆく姿を見ているしかなかった愚かな私はお姉様に「大丈夫よ。必ず治るわ」なんて嘘をつき続けるしかなかった。

そんな私にお姉様はこの赤いノートを託したのだ。

病で倒れる以前から書き始めていたので空白のページは一枚もない。

最後の数ページは私達家族とキース様への想いを認めてあった。もうその想いを書く頃には手の力が入らない程衰弱していたのであろう。書き殴りに近い文面だった。


「アンナお願い。私の目になっていろんなモノを見てきて。いろんな素敵なものを目に焼き付けてきて」

「お姉様…!!!」

「ごめんね。もう時間がないから…他に方法がないの……我儘な私を許してちょうだい…」


申し訳なさそうに涙を流すお姉様の両手を握りながら私の決意を伝えた。断る気なんて最初からない。


「必ずお姉様の願いを私が代わりに叶えます。どんなにかかっても必ず成し遂げますから…!!!」

「ありがとう。アンナ…」


お姉様は赤いノートを託したその日の深夜に静かに息を引き取った。ようやく苦しみから解放されたのだと思うが、やはり大切な人を失う悲しみの方が優る。当然だがすぐには計画を進めるなんてできなかった。

ようやく動き始めたのはキース様との婚約の話が来た頃。私がお姉様の替わりに公爵家に嫁ぐと確定した頃。

フルーネル家は他の貴族と違ってお金が無く、贅沢な暮らしはしていなかった。ほんの数名のメイドを雇うのがやっとというほど困窮していた。

そんな状況ではとてもじゃないがお姉様の願いを叶えられなかった。

だから、この縁談はチャンスだった。最初で最後のチャンスとも思えた。

フルーネル家を救う事にもなるその縁談を断る理由も、当然拒否権も無かった。

私はキース・ロジャーの公爵の財産を利用しようとしている。

なんて酷い女だろう。ただ、家系とお姉様の願いの為に私はこの人と結婚したのだから。

皆に祝福された日の夜に私の目的を全てキース様に打ち明けた。全てを知った後のキース様を見るのが怖い。


「私がしていることはとても愚かなのは分かっています。結婚したからといって付き合わせるつもりはありません。全て私1人では成し遂げるつもりです」

「……」

「せめてカイネお姉様が叶えたかった願い事を私ができる範囲で叶えてあげたいのです。とても迷惑をかけてしまいますがどうか」


キース様の顔を見るのが更に怖くなる。逃げてしまいたいに気持ちが湧き上がってくる。


「ごめんなさい。もし、許せないなら…」

「なんで全部1人でやろうとしているんだ」

「え?」


予想していた言葉とは違うものが出てきて、わたしは思わず顔を上げてキース様に目を向ける。

ノートを見ていたキース様は愛おしそうに願い事が記されたページをそっと撫でていた。


「キース様?」

「俺の財産を使うのは構わない。だがな、一つだけ条件がある」


キース様はポンと音を立てながらノートを閉じ、身体を私の方に向けて真剣な眼差しで見つめてきた。

その目に冷徹さはなく、大事な人を見つめている様な優しい目付きだった。


「白雪」

「え、は、はい!!」

「このノートに書かれてるカイネの願い事、俺にも手伝わせろ」

「へ……?手伝わせて…?えぇ?!!!」

「ったく。全部一人で抱え込んで、誰にも頼らねーでやろうとしやがって。しかも、俺の財産まで勝手に使おうとして」

(うぅ…その通りなのよね…)


図星過ぎて何も言い返せない私は2人顔を下に向ける。キース様は私のことなど構うことなく話を続けた。


「しかも、こんな結婚式の日の夜に打ち明けるとか」

「ご、ごめんなさい…」

「それに俺ら夫婦になったんだから手伝うのは当たり前だろーが。金だけじゃなくて俺にも頼れ」

「で、でも、キース様もお仕事等で忙しいですし、迷惑かけられません!!!それにコレは私達姉妹の我儘から始まったものですから…」

「俺だってカイネの元婚約者だ。手伝う権利はあるだろ?金出すのは俺だし」


最後の一言が胸に刺さる。意地悪そうな顔でこちらを見てくるが私は必死に見ないふりをする。


「……でも、俺にもやっと目的ができた。やっと、カイネが隠してた事を知れたし、カイネの役に立てる日が来た。話してくれてありがとな」

「キース様…」

「俺、カイネが病気で苦しんでる時、何もしてやれなかった。悔しかったんだ。愛する人が死にゆく姿を見るのを」


私はある光景を思い出した。その光景とはお姉様が亡くなってすぐのこと。

ようやく苦しみから解放され、寒い満月の深夜に愛する家族に見守られながらお姉様は息を引き取った。その遺体はベッドの上で眠る様に彼女の自室に安置されていた。

夜が明けて、太陽が見え始めた頃に慌ただしくキース様はフルーネル家に訪れた。その時の彼の顔は悲しみに染まって今にも泣き出してしまいそうだった。

眠る様にベットに横たわるお姉様の遺体を見たキース様は「すまないがしばらくふたりきりにして欲しい」とお父様達に懇願した。

お父様の許可を得たキース様はお姉様の自室に入ってゆく。バタンと扉が閉じると彼が泣く声が聞こえてきた。


(お姉様も私と同じ政略結婚としてキース様と婚約していた。でも、2人はちゃんと愛し合っていたんだ。だって…そうでなければ…)


そうでなければ、扉の向こうから聞こえるキース様の啜り泣きとお姉様にかける愛の言葉は全て嘘になる。

私が渡した赤いノートを愛おしく撫でていたのも頷けた。

彼の口から出た手伝うという言葉は、私と同じ気持ちからくるものだろう。

この世からいなくなっても愛しているという気持ちと会いたくて仕方ない気持ち。そして、彼女を病から救えなかった自分達への贖罪。


「せめて、このノートに書かれてる事を叶えてあげたい。だから頼む。俺にもカイネの願い事を手伝わせてくれ。この通りだ」


キース様が私に向かって頭を下げてきた。私は慌てて顔を上げる様に促した。


「え、ちょ、そ、そんな、キース様!!顔をお上げください!!!」

「だが…」


申し訳なさそうに顔を上げるキース様に私は自分の気持ちを伝えた。


「最初は全て私1人で成し遂げるつもりでした。ですが、カイネお姉様はそれを望まない気がしてたんです。お姉様はきっとキース様とその願い事を叶えたかったんだと思います」

「……」

「さっきも言いましたが、私達家族はキース様達に迷惑をかけてしまっているし、これ以上負担をかけたくない。だから、この事を黙っておこうとも考えたのですが、私との結婚とキース様の意思を聞いて気が変わりました」

「じゃあ…」


私はゆっくりと深呼吸してキース様の目をしっかりと捉える。もう迷いはなかった。


「あの、私達はまだお互い何も分かっておりません。お姉様の願い事を叶えてゆくこの旅はきっと私達を導くモノだと思うんです」


私の手元にはお姉様が遺したノート。そして、お姉様と結婚する筈だったキース様が隣にいる。

私達夫婦に空から見守るお姉様は光と共に手を差し伸べている。私達はその手に触れようと歩み寄ろうとしているのだ。


「カイネお姉様みたいに私は器用ではないですし、足手纏いになるかもしれません。だけど、キース様と一緒ならお姉様の願いを全て叶えられる気がするんです。だからお願いします」


私はキース様に誠心誠意を込めて頭を下げ手を差し伸べた。


「私と一緒に叶えてくれませんか?」


キース様へは感謝してもし足りない。これから行く願いの旅で恩返しできたらいい。

お姉様が亡くなったその日から彼の顔から笑顔が消えたと彼の執事から聞いてる。この願いの旅は笑顔を取り戻す旅にもなるだろう。

差し伸べた私の手をキース様は優しく両手で握った。



偽りの愛を誓い合った日が私達の旅の始まり。

これが愛する人が遺した願いを叶える旅行記の全ての始まりとなったのだった。

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