クラゲの恋

高校生

クラゲの恋

クラゲには色んな漢字がある

海月や水母、蚱、例を上げればきりがない

そんなクラゲにまつわる病気、クラゲ症候群を知っているだろうか

これから話すのはヒト身体軟化無痛水恐怖症症候群通称、クラゲ症候群と呼ばれる難病に罹った1人の少女とこの難病に名前をつけた1人の大学教員の恋の物語だ。




「クラゲはプランクトンです。プランクトンなので骨もないし、感覚神経も、心臓や脳みそだってひとつもないです。

クラゲは何も考えずにただただ海の波に流され続け、メスと出会うと交尾をし子孫を残すと殆どのクラゲは1年経たずに死んでしまいます。ただ、ベニクラゲなど一部、寿命で死ぬことのないクラゲもいます。

ベニクラゲの若返りの原理はまだ解明されていませんが、もしかしたらこのベニクラゲの若返りの原理がわかれば昔の体に戻れる時代、つまり不老不死になれる時代も来るかもしれませんね。」

時計を見た。針は12:20分を指している。

「少し早いですが今日はここまでとします」

と僕は生徒に向かって言う。

ラッキー!、昼飯どこ行く?、今から打ちに行かね?

皆それぞれの大学生らしい青春の声が大教室に響く。

僕はそんな声を聞くこともなく急ぎ足で大教室を出て研究室へと向かった

今日は珍しく客人が来ているからだ

ガララ、と研究室のドアを開ける

海月の水槽と大量の本に実験器具だけがある閑散とした僕の実験室には椅子に座っている1人の老人と僕の実験助手が居た

僕は実験助手に話をするからといい部屋を出るように言うと

「こんにちは」

と軽い会釈をし老人の対面に座った

少しだけ生えてる白髪にシワの入った顔、垂れ下がった頬、凸レンズをかけ目が小さく見えている。70歳って所か

「今日は時間をとってもらい誠にありがとうございます。」と客人は申し訳なさそうに謝る

「まさか本当に広町先生に聞いてもらえるとは思ってなかったです。なんせ世界的に活躍されている先生なんですから。」

「いえいえ、そんな大層な存在じゃないですよ、、、」と笑いながら答える

軽い会話を済ました後

「では早速ですが本題に入りましょう。」と言うと客人は私の目を見て話し出した

「私の孫なのですが、最近どうも様子がおかしいんです。病院に行っても見たことのない症状だ、と。それで大学病院に行くと、その時孫が急に「私はきっとこのまま海月になるんだわ」と言い出しまして、「検査の結果が出るのに少し時間がかかるので広町先生に相談してみては?」とその時担当してくれた大道寺先生に紹介してもらい、今広町先生にお会いしているといった感じです」

私は「そのお孫さんはどちらに?」と問いかけた

「孫は「日に当たるのが怖い」と言うので車で待たせています。少し性格に難があるんですが連れてきましょうか?」

「いえ、僕が車に行きますよ。」

僕がそう言うと老人は立ち上がり僕を車の方に案内した



「どうぞ」と客人に言われ促されるままガチャ、と車の扉を開けると助手席に座り客人は運転席に座る。

後ろを覗くと一人の少女がいた

シュッとした骨格につり目をしており肌は白く、口は小さい。まるで生きた人形のようだ。座高から推測するに150cmってとこだろう。

ファーストピアスらしい銀色の丸い物を耳につけ、髪は肩ぐらいまで伸びていた。夏だと言うのに少女は長袖のカッターシャツに紺の長ズボン、長い靴下にローファーを履いていた。暑くないのか?


僕は後ろを向き後部座席の方に

「初めまして」と声をかける

「…綺麗ね」と返答が返ってきた

なんのことだ?と思い返答を考えていたら

「それ、ピアス」と言ってくれた

「あぁ、これね。イルカンジクルゲって言うんだ。世界で1番ちっちゃいクラゲでね。このクラゲの名前を取った病名もあるんだ。」僕が左耳のピアスをいじりながら話を続けようとすると

「イルカンジ症候群。見た目が小さすぎてダイバーが知らないうちに刺されると不整脈とか引き起こして死んじゃう。でしょ?」と言ってきた

「すごいね、正解だよ」

「常識よ。よくそんなクラゲを耳に刺すわね。」

素直に照れれば良いところを…なんとも生意気なガキだ

「なんで知ってるの?」

「昔、クラゲのことが好きだったから」

なにか話を変えようと思い

「その制服、聖女だよね?」と問いかけた

「なんで知ってるんですか?女子高生眺めるのが趣味の変態なんですか?」

と返してきた。やっぱり生意気なガキだ

「昔僕が落ちた高校だよ。昔は共学だったんだ。制服変わってないんだね」

「そう、聖女落ちるぐらいならあなた相当な馬鹿ね」

「水月、いい加減にしなさい。広町先生に失礼だろ。」と隣から声が聞こえた

「別に大丈夫ですよ」と僕は言ったが結構イラついていたのでラッキーと言った感じだ

少女は不貞腐れたように僕から目を逸らす。

「とりあえず、自己紹介しよっか」と僕が提案する

「えーと、僕は広町海です。年齢28歳でこの大学で海洋学者兼医師研究者をしてます。呼び方はなんでもいいよ。広町でも先生でもなんでも。専攻はクラゲ。好きなものはクラゲ。」

言い終えたので目で少女にサインを送った

少女は溜息をつき

「貴方に名乗る名前はないわ」と睨みながら言ってくる

「水月!全く…こいつの名前は高坂水月です。年齢は17歳、聖華女学院高校の二階生です。

そして私は高坂菫。血縁上水月の祖父に当たります。

水月、あとは自分で話しなさい。」

チッ…と舌打ちをして少女は話し出した

「そこのおじさんが言ったのは全部あってる。呼び方は水月以外ならなんでもいい。よく知らない人に呼ばれると鳥肌が立つ。」

なんなんだこいつは、と思って僕は絶対心の中では水月って呼ぼうと決めた

「はぁ…」と菫さんは疲れ切ったようなため息をした。なんて気まずい空間なんだ…

「…まぁよろしくね。

それじゃあ早速だけど高坂さんの今の症状について教えてもらえる?」

と話を持ちかける

水月は視線を下に落とし話し出す

「症状が出始めたのは丁度1年ぐらい前

私の体はそこから、まるで触手のようになってる

なにがなんだか分からないけど、手首がタコとかクラゲの触手みたいにうねうね出来るようになってて、外に出ると体がヒリヒリする。日焼けの感覚に近い気がするわ。それと水が飲めない。体に水がかかると気分が悪くなる。食塩水なら大丈夫。食事に使う分には水は大丈夫。感覚が疎くなっている気もする。あまりに痛みも感じない。これが現状。」

と言った。

「なんで「私は海月になる」って思ったの?」

水月は視線を僕に合わすと足を組み、手で膝を抱え込んで淡々と話す

「私にもわからないわ。勝手に口が動いたって言えばいいのかしらね。」

「なるほど、おおよそ大道寺から聞いてた通りだね。

初めて聞く症状だ。」

僕がそう言うと少しの沈黙が生まれた

クーラーのゴーッという音だけが車の中に響き、僕の鼓膜を僅かに震わせる。

水月は静寂を切り裂くほどのハッキリとした声で

「これから私はどうなるの?」と聞く

「そうだな、今は検査の結果を待つとして、結果が原因不明ならとりあいず大道寺のところで入院生活かな

僕は研究者集めて一緒に高坂さんの病気のこと調べるよ」

そう…と返事すると水月は視線を下に落とし黙った。

僕は菫さんに

「今日できることは話を聞くぐらいですのでもう帰ってもらっても大丈夫です。恐らく明日には検査の結果が届きますので、その検査結果を見てどうするか決めましょう。明日大道寺の病院に行ってください。大道寺には私から連絡しておきます。」

と言い車から降りた。

僕が降りると菫さんも車を降り車を挟んで「ありがとうございました。」と深々とお辞儀をすると水月を乗せた車で去っていった。

なぜあの人から水月のようなやつが生まれたのか甚だ疑問だな。と思いつつ僕は研究室へと戻った。


その翌日、水月は大道寺に入院を言い渡され、水月の入院が決まった。

検査の結果分かったこと、それは水月の骨が少しずつなくなってきていることだった。

そんなことを聞かされた水月の気持ちは僕には到底計り知れないものだろう。と思いながら水月の晩飯を持ち病室に向かった。

ガララと病室のドアを開けると水月がベッドに横たわりながら窓際で海に沈んでいく夕日を見つめていた。

水月の病室からは海が見えるだけで他は一面真っ白で棚に置かれたテレビがベッドの横にあるだけの無機質な部屋だった

「調子はどう?」と聞くと水月がこっちに顔を向ける

僕と目が合うと目を細くして

「いいわけないでしょ考えなさいよ」と言った。

僕は水月のベッドの横の椅子に腰掛ける

「どうして私の骨は無くなっていってるの?」

水月は首を傾げて聞く

「まだ詳しいことはわからないけど、多分溶けていってるんだと思う。血中カルシウム濃度が高くなってる。」

水月はそれ聞いて少しの間黙り込む

「…最終的には、どうなるの?」と鋭い視線を向けてきた

「まだ何もわからないよ。世界で初めての症状だし。」

僕がそう言うと水月は窓の方に顔を向け、また少し黙り込むと

「そう、優しいのね」とまるで独り言を言うかのようにささやいた

「本当にまだ何もわからないからね。何が起こるかなんて未知数だよ。」

そう言ったが水月からの返答はなかった

食べ終わったらこの錠剤を飲んで、といい椅子から立ち上がり水月の晩飯と錠剤を置き病室を後にし、研究所へ戻った。

研究室でパソコンを開き生で見た水月の姿や、大道寺から届いていた検査結果から今日の検査結果の報告書を作成した。


「高坂水月の検査結果の報告

彼女の骨はなんらかの要因で骨が溶けだしている

血中カルシウム濃度が上がってきているので、濃度調節のために副甲状腺ホルモン(カルシウム濃度を下げるホルモン)を投与するのが良いと思われる

骨はレントゲンの結果、尾骨や手首などの骨密度の小さい場所から溶けていっていると推測する

そして、元々骨があった場所は筋肉が異様なほど発達しており、じきに触手のように動かせるようになるだろう

腕の骨や脚の骨も少しずつではあるが溶けていっているのが確認できる

このまま症状が進行するならば、やがて脊髄や頭蓋骨まで溶けてしまい最終的に脊髄、頭蓋骨が筋肉に置き換わり、筋肉によって脳が潰れ死んでしまうだろう。

彼女のいう「太陽に当たると痛い」や「水恐怖症」「感覚麻痺」などの症状の原因はまだ分からないが、骨を溶かしている原因と同じと推測する

この病気をこれから「ヒト軟化無痛水恐怖症症候群」と呼ぶ」

水月には言わなかったがやはりこのまま「骨が溶ける」なら、確実に死んでしまうだろう。

本当にこの病気はまるでクラゲになっている様だな。と書きながら思った。


僕はそれからずっと大学の講義が終わる17時すぎには水月の部屋に通った。そこで水月とたわいのない話をずっとしていた。

最初の方は水月の見舞いに来る人はいつも菫さんだけだったし話相手になればいいと思ったからだ。が、数ヶ月してからは話していて笑う水月が可愛かったからだ。まぁいつも水月に適当にあしらわれたり、揶揄われたりするばかりだったが。


「なんで広町ってずっとそのピアス付けてるの?」

と水月は聞く

「まぁ、昔色々と、ね。」

僕が返答を濁すと水月は何も言わず窓から日が海に沈む様子を見だした

そこから何も話さず僕は水月の為に林檎の皮を剥いていると

「死ぬのはさほど怖くないわ。人はいつか死ぬんだから、いつ死んでも別にそこまでだったって思うし」

水月はベッドに座りながら唐突にこんなことを言ってきた

僕はナイフを横にあるテーブルに置き

「なんでそんなこと言うのさ、高坂さんはまだ死ぬって決まったわけじゃないでしょ。僕が絶対病気のこと解明して助けてるからさ」と言った

「広町が?無理無理。だって広町私のこと嫌いでしょ?私誰からも好かれたことないし」

「もし嫌いだとしても死んでほしいと思う患者なんていないよ。僕は高坂さんのこと全然嫌いじゃないけどね」

水月はそれを聞くと少し考える素振りをみせ

「ふぅん…じゃあ広町は例えばどっちか必ず選ばなきゃダメって状況なら、死のうと思っても死ねなくて、死ぬ時の痛みもあるけどこれから先永遠に生きるか、その場で楽に死ぬかどっちがいい?」と言う

僕が黙り込んで出てきた言葉は

「…ずるいよ」だった

「どっちなの?」と無邪気な子供のようにニヤニヤする

「ちょっと考えさせて。」

水月は「はぁ…」とため息をすると

「私が死なないうちに答え出してよね。」といいつまらなそうな顔をし、窓の方に目を向ける

「だから僕が助けるって!」と言うと水月は窓からニヤニヤした顔をこっちに付けると

「広町を揶揄うのほんと面白い。」と笑った。僕は水月を見て

バン!と薬を水月のベッド机に置くと

「薬!早く飲んで!!」とだけ言い残し研究室に帰った。

水月の病室に振り返ったわけではないがきっと水月は後ろで指を差しながら爆笑してただろうな


そこから半年が経った

半年の研究の結果わかったことがある

骨を溶かしていた原因は単球細胞(骨を分解する細胞)の急激な増加だった

体内の単球細胞の数は指数関数的に急激なほど伸びていた

そこで僕は単球細胞の数を減らす薬を投与し始めた

そうすると、軟化の進行をある程度までは食い止めることに成功した

だが同時に水月の体に大きな異変が現れ始めた

水月の水恐怖症が悪化した

今までは水が気持ち悪いと言いながらも水を飲んでいたが、水を飲むと嘔吐するようになった。

少し塩を入れた温い塩水なら飲めたが、人の体は塩水では適応しない。乾きは潤せなかった。

その日から点滴で水を体内に直接入れるという方法を取った。

その時水月の手脚の指の一部、腕の一部、脚の一部、そして、脊髄の少しが溶け始めていた。溶け始めた所が空気に触れると痛いらしく初期の方から溶けていた手首などの部位には塩水に浸したタオルを巻かないといけなくなった。

そして、クラゲのような生物にしか現れない「刺胞細胞」が手先や腕の毛穴から生えてきた。少しではあるが、毛根からも生えていてきた。

刺胞細胞が生えてきたあたりから感覚がなくなっていった。麻痺ではなく完全に無となった。

その刺胞細胞を検査した結果、クラゲ毒が流れていた。

この時僕は確信した。

もう、高坂水月は助からない、と。


刺胞細胞が現れ始めてから数日間研究に追われていて病室に行くことができなかった

研究がある程度落ち着いてきてから数日ぶりに早朝から水月に会いに行く

部屋に入ると水月はベッドに横たわり、全身が出ないように布団の中に全身をうづくめていた

「高坂さん」と僕が呼びかけると水月は布団に体をうづくめたまま体をこちらに向けニット帽を被った顔だけ出して話し出す。

「広町…この体がどうなってるかは祖父から聞いたわ。本当クラゲみたいね、私」

孤独死寸前のウサギのような目をしながら水月はそう言った

「そっか」と言いながら水月のベッドの椅子に腰掛ける

「なんで座るの?体のこと言いにきただけじゃないの?」

そう言われて僕はこいつ最近僕がいなくて悲しかったんだなと思ってニヤニヤしながら

「もしかして高坂さん怒ってる?僕が最近こなかったから」と言った

「はぁ?そんなわけないでしょ。自意識過剰よ。」とまたいつもようにあしらわれた

「座った理由は僕が高坂さんと話したいからだよ」

少しの沈黙のあと

「なにそれ…意味わかんない」と水月は小声で言い顔から布団を被った

「ねぇ高坂さん、今からどこか行きたいところある?」

そう言うと水月は顔を出し嬉しそうな顔をしたが、やがてすぐに暗い顔になり布団に顔をうずくめた

「こんな体で外出できないでしょ、出来もしないことを考えるのは嫌いなの」

顔をうづくめてたまま答える水月の声は少し震えていた

「で、どこ行きたいの?」

僕がそう言うと水月は顔を突き出し

「…水族館。まだ一回も行ったことない」と言った

「そっか、じゃあ今から行く?僕も研究疲れたから休暇欲しいんだ。」

少しの沈黙のあと水月は

「…うん。」と言った

「決まり、じゃあ外出るから着替えてね」と言うと僕は外出許可を取りに行った


「外出許可証取ってきたよ」と言いながら水月の部屋に入る

水月はまだ寒くないのに手袋とニット帽をして、白の長スカートに紺のコートを着ていた。耳にはピアスをつけていて、髪は後ろで結んでポニーテールをしていた。なんだかいつもより大人びてる。誰がどう見たって普通の女の子にしか見えない。

「…どう?」と水月が聞いてきた

「かわいいよ」と言うと水月は口角をあげ陽気に

「でしょ?広町のピアスも似合ってるよ。じゃあ早く行こ」と言う

「高坂さん歩ける?ここから水族館まで電車やら諸々使って片道3時間だけど」

「まだ脚は骨が残ってるから歩ける。そんなに電車とか乗ったことないからちょっと楽しみ」と手を後ろにし、子供のような笑顔をした顔だけ突き出してそう言う

そっか、というと僕は病室を出て日傘を水月に差し一緒に最寄り駅まで歩くことにした

外は早朝だったからかなんだか少し青く、地面は一面雪景色であまり強くない太陽の光を乱反射し虹色に光っていた

息をするとスッと潮の匂いがする冷たい空気が肺の中に満たされて、今にも肺が凍りそうになるほど寒い

だが久しぶりに外に出て余程嬉しかったのか水月は外に出るなり近くにあった雪溜まりまで走って、笑いながら積もった雪を僕に投げつけたり、雪の上を走り回ったりしていた

水月がこんなにはしゃぐ姿を見たことなかったのでなんだか新鮮な気分になった

そんなこんなで外ではしゃぎまくりながら道を歩いてると駅まで着く頃には僕の服はびしょびしょになっていた

「広町びっちょびちょじゃない」と水月は笑いながら言う。本当に悪魔の笑い声かと思った

「高坂さんが雪投げてきたせいだけどね」

僕がそう言うと私知らない〜と言いながら水月はさっき渡したICカードをタッチすると駅構内を駆けて行く

僕も水月の後をつけて駅構内に入り、水月を連れて水族館行きの電車に乗り込んだ


次は和倉温泉〜のとじま水族館をご利用の方はこちらでバスにお乗り換え下さいと無機質な声でアナウンスが流れる

僕と水月はそのアナウンス通りそこで降りてのとじま水族館行きのバスに乗り換える。

僕達は駅を出るとバス停でバスを待った

数分待つとバスが来た。

僕達はバスに乗り込み座席に座った。平日だったのでバスは想像してたよりガラガラだった。僕たち含め8人ぐらいしか乗ってない

バスが走り出すと水月が肩を叩いて

「ここからあと何分ぐらい?」と聞いてきた

僕の方を叩いた水月の手は蒟蒻のように柔らかかった。指の骨がなくなっているからだろう。触られているというよりもなにかを肩に乗せたような、そんな感触だった。

こんな普通の女の子が、そう思うと胸が痛くなる

「ねぇ、あと何分ぐらいなのって」

水月がほっぺを少し膨らませて言う

「あぁごめん、んーよくわからないけど多分30分ぐらいじゃない?」

「へぇ楽しみね」

「そうだね」

いつもならここで「本当適当すぎだわ」と罵倒されるのに今日は水月の機嫌がいいからかいつもより丸くなってた

バスが走り出して20分程度すると水族館が見えてくる

「広町見て!あれ水族館じゃない!?」とまるでカブトムシを見つけた子供のように目を輝かせて僕の肩をバシバシ叩いた

「痛い痛い」と言ったが水月はそんなことお構いなしといった様子で僕の肩を叩きまくった。なんとも迷惑な話だ

何か話を変えよう、と思い

「高坂さんは水族館で何か見たいものあるの?」と聞いた

水月は視線を外からこっちに向けると

「イルカとかペンギンとかあと、クラゲとかかな」と返す

「意外とかわいいもの好きなんだね」

「意外とって何よ。あとクラゲは可愛くないわよ」

とちょっと不機嫌になった。地雷踏んでしまったようだな

「いやクラゲはかわいいでしょ」と反論する

「多分そう思ってるの世界で広町だけよ」

「僕以外にもいるかもしれないだろー」

いつもの調子に戻っちまったなぁと思って早々に話を切り上げた

それから程なくしてのとじま水族館に着いた

バスから降りるとあんなに寒かった気温も収まり、太陽も出始めていた。雪もこっちはあまり積もっていなかったのかもうほとんどが溶け始めていた

「はい」と僕が水月に日傘を渡す

水月は日傘を手に取ると「ありがと」とにっこり笑った

その笑顔を見る度に彼女が難病だなんて信じ難いと思ってしまう。神様はなぜ水月を選んだのだろうか、と

水月は僕がそんなこと考えてるなんて思ってもないんだろう。水族館に入る前なのに終始ニッコニコだ

「ペンギンいるかなぁ〜」

「水族館だからいるに決まってるよ」

「クラゲは?」

「そりゃいるよ、水族館だもん」

「水族館ってなんでもいるのね〜」

そんな会話をしながらバス停から水族館まで少し歩き、水族館内の受付口に着いた

「すいません」と僕が受付員に言う

受付員は僕を見るなり笑顔を顔に貼り付けた

「のとじま水族館にようこそ!入場料は2人様合計で3780円になります。」

「いや、年間パスポート2人分お願いできませんか?」と言う。水月がえ?と声を漏らした

「かしこまりました。年間パスポート2枚のお買い上げで8380円になります。」

「カードで」と言い一括で払って年パスの一枚を水月に渡した

その時の水月は狐につままれたような顔をしていた。

「お楽しみくださいませ」と受付員が笑顔で会釈をする。

それを見て僕らは水族館への入り口である魚が織りだす少し水色がかった空間にキラキラと光る鱗のアーチの水槽を歩き出した

水月が魚のアーチの真ん中に差し掛かったあたりで「なんで年間パスポートを買ったの?」と歩きながら聞く

「さぁ、なんでだろうね」と僕は水月の目を見ずに返答を濁した

僕は話を変えるために「そんなことより魚綺麗だね」と言った

水月も察して「うん、すごい綺麗」と返してくれた

「僕、魚研究したこと殆どないからよくわからないけどね」

「私もよくわかんない。けど海洋学者がそれ言っちゃダメでしょ」

と話して二人ともふふっ、と笑った

アーチを抜けると目に入ってきたのは薄暗い部屋の中の水色に光る巨大な水槽と、そこに入っているジンベイザメだった

水月はそれを見るとテンションが上がって「すごい!」と言いながら巨大な水槽の前に走る

僕は走りたくなかったから水月が走っていったのを歩いて水月の後をつけた

僕が水槽の前に着くと水月は

「でっかいのね、ジンベイザメって」と巨大な水槽を見上げて驚く

「ジンベイザメは世界で一番でかい魚類なんだよ」と僕が言う

水月は顔をこっちに向けて

「流石にそれぐらい知ってるよ。もっと他ないの?」と言ってきた

「僕は海洋学者だけど、クラゲに特化した海洋学者だからクラゲ以外のことはあんまり知らないよ」

僕がそう言うと水月は

「もしかしたら私の方が詳しいかもね?」と首を少し傾げいたずらに笑う

意外とそうかもと僕が言うと水月は笑いながらそんなわけないでしょ馬鹿じゃないのと言った

水月はジンベイザメの部屋の展示物を一通り見終わると置いてある椅子に座り

「イルカ見に行きたい」と言った

「イルカショー11:00からだから、あと10分あるけど」

「それじゃ、もう行って席取っとこ」と水月はいい会場に向かった

イルカショーの場所に着くともう席が結構埋まっていて結局見ることのできたところは後ろの方だった

「結局後ろだったわね」と水月は太ももに肘をつけ拳に顔を乗せると不貞腐れたように言った

「まぁ、見れるだけ良しとしよう」

「そうね」と納得してないように返事する

それから程なくしてイルカショーが始まった

イルカショーが始まってから水月はさっきまで不貞腐れたのが嘘みたいにはしゃぎ出した

イルカがお辞儀をしたら「可愛い!」とかフラフープをくぐったりしたら「すごい!!」、歩き出したら「天才だ!!」とかもう最後の方なんてただ泳いでるだけなのに「凄い!」って言い出す始末だ

水月の言うことに返答する暇もないぐらい弾丸トークをしては僕の肩をバンバン叩くのでイルカショーが終わる頃には僕の肩は死んできた

そんなことなんて露知らず、水月は僕に

「すごかったね!!」とテンションマックスで言ってきた

「…うん。そうだね」と僕はテンションの低い声で返す

少し休みたかったから昼飯にしよう、と僕は水月に提案して昼飯を食べることにした

フードコートは昼時だったので満席に近く奥の方しか空いてなかったから仕方なく奥の方に座った

席に座るとそれぞれ適当に好きなものを頼みに行った

僕はカレーと水を取りに行き、水月はラーメンを頼みに行った

水月は水が飲めないから、喉が渇いた時応急処置としてアクエリアスなどのナトリウムイオンやカリウムイオンが多く含まれている機能系飲料で代用した


僕はスプーンにのったカレーを口に運ぶとスプーンを置き

「次どこ行きたい?」と水月に聞く

水月はラーメンを啜っていたが僕が聞くとすぐに麺を歯で切り、スープの中に切った麺を沈め

「ペンギンショー行きたい」と言った

「…わかった」と僕はまた肩が痛くなるのかぁと思いながらOKを出す

水月は「何その間」と言うとまたラーメンを啜り始めた

水月は麺を一通り啜り終わると

「広町はクラゲ以外に見たいものとかないの?」

と聞く

「僕は楽しそうな高坂さん見れるだけでいいよ」

とカレーを口に運びながらそう言った

「なにそれ」と水月は笑う

水月はだいぶ食べるのが遅かったから僕の方が先に食べ終わった。食器を片して僕は水月にちょっとトイレに行ってくると水月に言った

水月は「早くしてよね」と冗談交じりに言うと行ってらっしゃいと手を振った

僕が向かった先はトイレ、ではなく水族館のショップだ

欲しいものがあった。水月には内緒で

それを買うと僕は水月の元へ戻った

行って帰ってくるまでに6分ぐらいかかったから席に帰ると流石の水月でも食べ終わって腕枕をしながら僕のことを暇そうにして待っていた

僕が席に戻ると

「遅い」

と文句を言われたが「中々頑固でね」と返すと水月は立ち上がりながら

「それを女子に向かって言うの中々気色悪いわよ」

と至極真っ当なことを笑いながら言う

僕が返答に困っていると水月は僕の前を歩き出して

「早く行くよ」と手を取られペンギンショーの会場に連れていかれた

ペンギンショーはまぁ予想通りというかなんというか、水月のテンションがまたおかしくなって肩をバンバン叩かれた。とても痛い。

ペンギンショーのご来場ありがとうございました〜!!と水族館のクルーの声でペンギンショーは終わりを告げた

そこから水月は余韻に浸っていたのか少しの沈黙が生まれた

数秒した頃

「ペンギン、可愛かったね」

と僕がショーの会場から立ち上がりながら言う

つられて水月も立ち上がり

「本当、可愛かったわ」と言った

「じゃあ、クラゲ見に行こ」と水月が言うと、クラゲの展示場所へと歩き出した


クラゲの展示場所へ着いた僕達はその光景に見とれた。


クラゲの展示場所はとても薄暗かった

展示場所に入って1番最初に目につくドーム状の水槽はライトがクラゲを照らして、クラゲは赤や青、紫など多種多様な色へと変化していく。まるで天の川のようだ。

入ってすぐ右には柱状の水槽があり、その中に入ったクラゲは傘をひらひらさせて水中を漂っていた。

まるで溺れているようだ。だが、溺れているが泳いでるようにも見える。不思議な感覚だな

「綺麗…」と水月は声を漏らす

「うん。綺麗だよね。海月」

僕はそう言うと水月を連れてドーム状の水槽の中に入った

水月はドームの中に入ると水槽に手を当てると覗き込むようにクラゲをずっと見続けて

「まるで宇宙のようね」と言った

「それ、僕と同じこと考えてるよ」

僕は水月にそう言い笑った

水月も僕が笑うと、口に手の甲を当て口角を上げた

それから直ぐに水月は水槽に目を移し、1匹のクラゲを指さすと

「ねぇ広町、このクラゲ、キタミズクラゲ?」

と聞く

「うん。キタミズクラゲだよ

ミズクラゲよりおっきく成長するんだ。ミズクラゲとの見分け方は触手が茶色っぽくて、傘が緑がかってたらキタミズクラゲ。よくわかったね?」

「昔、クラゲ好きだったから。」

と言うと水月は少し悲しそうな顔をした

そこから水月は水に漂うクラゲをじっと見て

「クラゲって、どうやって生きてるの?

私たちみたいに脳とか、心臓とか見た感じないよね?」と聞く

「クラゲは脳とか心臓とか、骨とかないんだ

全部が感覚神経でね、クラゲの行動の全ては反射で起こってるんだよ

人間で言う「食べ物を食べたら唾液が出る」とか「赤い玉を見たら唾液が出る」みたいな反射で生きている

プランクトンを食べるのも反射だし、人間に毒を刺すのもただの反射

クラゲは考えたりしないんだ。ただただ海に浮かんで子孫を残したら1年経たずに死ぬ。

心臓の部分をクラゲは傘で代用してる

浮かんでる時傘の部分が動いているでしょ?あれが心臓のポンプの役割をしてるんだ

血管はなくて、血管の代わりに水管っていうのを体全体に張り巡らせて海水を体全体に届ける役割を持ってる」

「そうなんだ…」と水月は言うと水槽に付いた手を握りしめ少し黙った。少しして水槽に目を向けたまま話し出した

「ねぇ広町、私昔はクラゲ好きだったって言ったじゃん」

うん、と僕は返す

「あれね、ちょっと原因があって、私のお父さん、ダイバーしてたんだ。もう今は死んじゃったんだけど、お父さんダイバーだったから魚とかの海の生物にめっちゃ詳しかったんだ。

それで一番お父さんが好きだったのがクラゲでね、お父さんが家に帰ってくる度に私はお父さんにクラゲの写真見してもらってたんだ。だからクラゲのこと詳しいし、昔は好きだった」

水月は話し出すにつれ、視線が水槽から下の方に行き、震えた声を出すようになった

「私が12歳の時、お父さんと喧嘩してさ。本当くだらないことだったんだけど、それで喧嘩したままお父さんダイバーの仕事でオーストラリア行ったんだ。後々考えたら私が100%悪かったから帰ってきたら謝ろうって考えてた矢先、」

水月の話を遮り

「イルカンジクラゲ…?」と僕はピアスを触りながらおそるおそる聞く

水月は

「正解」と震えた声で答えた

「そこでお父さん死んじゃったんだ。

元々家族全員仲良かったからお父さんの死は結構みんな響いてさ、お母さんはそれで病んで育児放棄して、毎日遊び歩くようになった

学校から帰ってきたらテーブルの上に1000円が置かれてるだけ。

このままこの生活がずっと続くのかなって思ったら、2年もしない内にお母さん自殺しちゃって。

言われたら心中したのにさ、本当自分勝手な人だよ。自分だけ楽になろうなんて、ね。

それで叔父に引き取られて今生活してるの

だから、昔はクラゲは好きだった。」

水月はここまで話すと視線を完全に下に向けていた

相当強がっているのだろう。体をピクピクと震わせえいた。泣いているのに泣き顔を見せたくないからずっと下を向いている。

僕が肩を優しく叩くと水月は泣き出した。声を上げるまでは行かなかったが、ヒック、ヒックと確実に周りの客は分かるぐらいには泣き出した。

幸い周りに客は僕達含め4人だけだったので良かったが…

そこから5分ぐらい水月は泣いた。僕は水月の肩をずっと叩き続けた。そしてじきに水月は手で最後の涙を拭き取ると涙袋の目立つ顔を上げ

「次は広町の番ね」

と言う

「…?」と僕は困惑した

水月はそんな僕を察して

「そのピアスのこと、話して。なんでずっと、1日も外すことなく付けてるのか」と言う

あぁ、と言われて始めて分かった

「なんで知りたいの?」と僕が聞くと

「私が広町のこと、もっとよく知りたいから」

と答えた。

僕は回答を渋った。これ以上踏み込むと、また取り返しのつかない事になってしまいそうだったからだ。

「広町、お願い」

と水月は視線を僕に向ける

僕は考えて

「いつか、ね…。」

と僕は水月からの視線を外し言った

水月はとても悲しそうな顔をして、視線を下に落とす。なんだか悪いことをした気分になった。

水月は視線を下に向けたまま

「私、広町の事が好き」と小声で言った

続けて水月は

「だから私、クラゲのことまた好きになろうと思った。

広町が好きなこと、嫌いなこと、全部共感したいから。

だからクラゲのこと入院してからちょっとだけど勉強しだした。好きになりたい。

でも、やっぱり無理なのかな…」と言う

僕は水月に視線を合わせず

「ごめん…」とだけ言った

水月の顔は分からなかったが、きっと僕が想像してるよりも悲しい顔をしていただろう。

そこから先はもう覚えていない。適当に水族館を見たが、記憶がない

帰りも、水月と適当になにかを話したが、何を話したかの記憶が一切ない

水月を病室に連れ帰り、自宅に帰るとただ焦燥感と渡しそびれたグッズが残るだけだった。


そこから僕はあまり水月の病室へ顔を出さなくなった

研究が忙しいと言うのを言い訳にして、研究に没頭した

「私、広町のことが好き」

その言葉が脳を駆け巡り、研究もろくに出来なかった

また、昔と同じことが起きそうで怖かった。

そしてその状態が1ヶ月続いた頃僕はもう水月に顔を出さなくなっていた

そして僕がそうしてる間に最悪の事態が起きる

ずっと懸念していた頭蓋骨が溶けだし、頭蓋骨の一部が筋肉に置き変わろうとしていた。

もうここまで来たら死ぬのは時間の問題だ。

僕はここでようやく水月の病室を訪れた。あまりにも遅すぎる。そんなことはわかっていた。だけどちゃんと伝えないといけないと思った。

夜7時、僕はガララ…とドアを開け水月の病室に入る

水月は衰弱しきっていた。髪はほとんどが抜け落ち、抜け落ちた部分からは刺胞細胞が生えてきていた。クラゲの触手が頭の上に乗っているような感じだ。

水月は顔を窓に向け、ベッドで横になり布団を掛けて横になっていた

「高坂さん」と僕は声をかける

水月はこっちを振り向き

「広町…?」と細い声で言う

僕は水月のベッドの前まで歩き

「今まで顔出せなくて、ごめん」と深々と顔を下げた

「死ぬ前にまた会えて良かった…」と水月はこっち見て微笑んだ。

「だから、死なせないってば」

と僕は半分泣きながら答え、いつもの定位置に腰掛けた

「広町…なんの用?」と水月は言う

「高坂さんと、話したいなと思って。」

「何の話?」

僕は一呼吸置いて

「僕の、ピアスの話。」と答えた

水月は

「どーゆー風の吹き回し?」と言う

「言わずに後悔するより、言って後悔したい」

と僕が言うと水月は微笑んだ


「僕には昔、人生で1度きりしかできたことの無い恋人がいた。

その人は同じサークルで農学を学んでた人なんだけど、その人何故か僕と同じでクラゲが好きだったんだ

だから意気投合して基本どこに行くにもその人と行った

それで向こうから告白されてそのまま付き合った

でも、その子自殺しちゃったんだ。元々メンタルが弱い子でね、それで小中学校で虐められてたみたいなんだ。高校大学は地元から抜け出して遠い所にしたから大丈夫だと思ってたら大学で同じ中学校だった人に会ったらしくてね。それであらぬことを大学内で言いふらされて精神的にキツくなってそのまま…

その時僕は丁度卒論を書いてたんだ。うちのゼミは結構卒論が厳しくて、他に時間割いてる余裕がなかった。それに僕は教授になりたかったから、余計にね。

それで事を後回しにしちゃった。そしたら取り返しのつかない事になっちゃっててね。

僕が悪いんだよ。彼女が死んだのは。言い訳するつもりも無い。僕がそばにいてあげたら死んでなかったかも知れない。

そう思って僕は、自殺しようとした。彼女が死んだところで一緒の時間に。

それで、死ぬ前に彼女の部屋に行ったんだ。

そしたら「海くんへ」って書かれた手紙があって、横にイルカンジクラゲのピアスが置いてあった

「私が死ぬのは海くんのせいじゃない。私が死のうと思ったから死ぬ。それだけだよ。だから海くんが気に病むことはない。これからも勉強頑張って。

最後、私からの最後のプレゼントとしてピアスあげるね。海くんピアス開けてなかったよね、だったら最初はファスピはこれで決定ね!イルカンジクラゲを選んだのは私みたいに死んで欲しくないからだよ。毒を以て毒を制す!ってことね。ファイト大学教授!!」

ってね。それで死ぬのやめて大学教授に向けて頑張った。

そこからはもうずっと付けてるよ。だって毒の抗体ってずっと毒を与え続けないと勝手には産み出されないからね。」

と僕は泣きそうになりながら話した。

水月は視線をこっちに向け、手を僕の頭に乗せると

「よく頑張ったね。」と頭を撫でた

その瞬間僕は涙が溢れてきた

あぁこの感じ、彼女と同じだ。そこでようやく気がついた。僕はずっと水月が好きだった。

僕はそう思うと水月の病室で泣き喚いた

一体何分経ったのだろうか

数分?数十分?それ以上?よく分からないがとにかく泣いた。人生でこれ以上ないほど泣いた

水月は僕が泣いてる間背中を叩いてくれた

泣けば泣くほど水月が背中をさすってくれる。その度に彼女がチラついてまた涙が溢れてくる。無限ループだ。


僕は落ち着いてから

「今まで、話せなくてごめん。」

と水月に謝る

「話してくれて、嬉しかったよ」と水月は微笑む

僕は涙を拭い落ち着いてから水月に

「顔、こっちに突き出して」と言った

水月は困惑しながらも体をこっちに寄越して顔をこっちに寄せる

僕は水月の髪、刺胞細胞を手で掬うと右耳の後ろに掛ける

水月は声を上げた

「広町!危ない!!」

水月の刺胞細胞が僕の手の甲に刺さる

「ごめん!制御出来なくて…」

ドク、ドク、と毒が流れてくる感覚がヒリヒリと伝わってくる。まるで感電したような感覚だ。

「良いよ。これぐらい」

と僕は刺さった刺胞細胞を抜くと水月に問いかける

「前にさ、高坂さんが僕に質問したの覚えてる?」

水月は少し考える素振りを見せ

「永遠に生きるか、楽に死ぬかってやつ?」と答える

「そう」

「それがどうしたの?」

と水月は不思議そうに言う

「これが僕の答えだよ」

と僕が言うと水月の右耳に「ベニクラゲ」のピアスを着けた

「これって…」と驚く

僕は自分の左耳に着いたイルカンジクラゲのピアスを取り、それをポケットに入れると代わりにベニクラゲを着けた

「僕は高坂さん、いや、水月と生きていきたい。

死ななくても、水月が居たらそんなことどうって事ない。そんな気がするんだ」

僕は水月の頬に手を当てそう言った

「私も広町となら生きていける。」

水月はそういうと目をつぶり僕の額と水月の額を当てた。僕も合わせて目をつぶった

水月の刺胞細胞がまた僕を襲う。が僕はそれを気にせずそのまま額を合わせたままにする

病室にコツン、と音がなり響き静寂が2人を包む。

ドク、ドクとまた毒が体に流れてくる感覚が襲う。

それから数秒して、水月と僕は目を開け額を離した。


水月は額を離すと視線を下に向け淡々と話し出す


「私ね、自分自身のことが嫌いだった。広町を最初見た時強く当たったのは多分お父さんと重ね合わせたから。頭の中では私が悪いのは分かってても、心のどこかで悪いのは私じゃないって思ってる。

クラゲは透明で、影の部分があったら自分で分かるのに、私は透明じゃないからわからない。だから私はクラゲになりたいって思った。お父さんにまた愛されたいって思った。だから「クラゲになる」って言った。自分が嫌いなものなのに、なりたいと願ってしまった。クラゲのことを好きになりたかった。私は自分のことを、好きになりたかった。」

水月は視線を僕に合わせ優しい声で

「でも、もう大丈夫みたい。ちゃんと自分のこと、好きになれたよ。」

と衰弱しきった顔で笑う

水月は僕の手を握り、

「広町は私が死んだら、また救えなかったって嘆くかも、後悔するかもしれないけど、私はもう十分救われたよ。」

泣きそうなのを悟られないよう、強がるように

「救うって、何なんだろうね。」と僕が問う

水月は僕の手をさらに強く握り

「救うっていうのは多分、相手を思う気持ちの現れの言葉だと思う。

誰かを助ける時も、相手のことを思ってその人を助けようとする。

私は広町に救われた。

私、お父さんが死んでから早く死にたいってずっと願ってた。早く死んでお父さんに会いたいなって。だからこの病気にかかった時、嬉しかった。私ここで死ねるんだって。またお父さんに会えるんだって。お父さんが死んだ日から私の心はもうとっくに死んだの。

でも、広町が私の死んだ心を救ってくれた。

久しぶりに生きたいって思えた。それだけで私は十分救われたよ。

たとえこの命が尽きても、私は広町に救われたって思う。

広町が救ったのは命じゃない。私のもっと大切なものだよ。」

水月は握っていた僕の手を離し自分の太ももに置くと

「広町が昔付き合っていた彼女も、命は救えなかったけど、本人は救われたって思ってるんじゃないかな…」

と下を向きながら言った

僕は笑って

「そうだといいな」と言った

目頭から水が垂れてきてた気がするけど、多分気のせいだろう。

僕はそう言い聞かせ泣くのを我慢した。

泣いていては向こうの月夜に申し訳ないと思ったからだ。

そうこうしていると外は完全に暗くなっていた。

海には月が浮かんでいた。

僕はそれを見て水月に

「水月知ってる?海月の漢字の由来」と聞いた

「確か、海に月が浮かんでるように見えるから、海に月でクラゲよね?」と外の海に浮かぶ月を見ながら水月は答える

「そう。でも海月って他に水に母とか、虫に作るの右側の部分の漢字、鏡に虫って書いたりとか今上げたの以外にも色んなのがあるんだ。それぞれ由来は様々だけどね」

僕は水月の方を見てそう言う

「そうなの?それ以外の漢字はどんなのなの?」

「…水月」

「私?それってどーゆー…」

僕は水月の言葉に被せるように言った

「…さぁ、なんて言おうとしてたか忘れちゃった」

水月は窓からこっちに視線を向けると何それとちょっと頬を膨らませる

「そうだな…水月の病名、クラゲ症候群にしよっか」と僕は提案した

「はぁ?なんで急に」

「水月はもう十分、クラゲだからね。」といい僕は笑う

水月は

「何それ、訳わかんない」と笑った


その日から4日経った頃、水月は倒れた。

ここでわかった事だが、水月は刺胞細胞が現れてきてから、体が透過して行っていた。水月が倒れた頃には体の8割はもう既に透過していた。まるで本当の海月のように。

水月は長袖長ズボンしか着なかったので誰も気が付かなかった。多分水月は自分はどうやったって死ぬって分かってたから言わなかったんだろう。水月が生きてるうちは自分の綺麗な部分だけを、僕に見せるために。

頭蓋骨が溶け出し、脳の一部が筋肉によって押しつぶされた。

潰された部分は「海馬」

つまり記憶を司る部分だ。

水月が次に目を覚ます頃にはもう水月は思考することが出来なくなった。

僕が誰なのか、菫さんや看護師など殆どの記憶がなく、呂律が回らない。そんな状態だった。

菫さんはそんな水月を見てはお父さんの写真を見せていた。だが、そんなことも虚しく水月の記憶は戻らなかった。

水月は生きながらにして、その生を全うした。

そして、死んだ水月の体には別の魂が入った。クラゲとしての、水月の魂が。


病室に入り

「水月」

と僕が呼びかけてもなんの応答もしない。自分が水月であることが分かってないのだろう。

定位置に座るが水月は興味を示さない

もう、終わりだろう。そんなことを倒れたあとの水月と直で触れ合い感じて、涙が零れた。どれだけ泣いてももう水月にはバレない。

いつものように揶揄われたり、あしらわれたりもしない。ただただボーっと病室の天井を見上げる水月。

そんな水月に僕は

「好きだよ」といい右耳のピアスを触った。

刺胞細胞に刺されるだろう、と思っていたが刺されなかった。

急に笑いと同時に涙が込み上げてくる

「クラゲは死んでも刺してくるんだけどな、こんな外敵に有利な条件反射なんて…」

僕はそのまま水月にキスをした

そのキスはどこか優しく、すぐにこの感触がなくなってしまいそうな程儚かった。

僕は十数秒唇を合わせると水月の唇から僕の唇を離した

最後にもう一度、とキスをしようとしたが、直前で止めた。

「愛してるよ。水月」

僕はそう言い部屋を去り、研究室へ戻る。左耳に付いたピアスを触りながら。

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