海より深く人より浅い
抹茶ラテ
もがく人、浸る海
何時からだろうこの苦しみに慣れてしまったのは。
何時からだろう人の醜さを、自分の身勝手さにウンザリしていたのは。
とぷりと人の熱を奪う原子の生命は皆と同じように彼から体温と心を奪う。
もがくほど海は彼を逃がさない。
受け入れれば受け入れるほど海は抵抗なく人らしさを拭い去っていく。
海は純粋で汚れなど一切見当たらない。綺麗な姿を何時までもさらしている。
だからだろうか。彼が海に魅入られ1歩1歩海に歩み始めたのは。
現実と同じだ。自ら行動すればするほど重荷は増えていく。受け入れると重荷は軽くなり、他人に同じ重荷を背負わせられる。
楽な生き方であり人間らしい。同時にその行動をとってしまう自分を嫌いになっていく。
彼は自分は他人とは違うと考えていた。自らの行動は自ら責任を負う。他人の重荷も背負い、誰かの助けになれる人間を目指していた。
立派な生き方だ。そしてありふれた目標。
だが、ありふれたものは誰にも見向きされない。
ありふれもので彼が埋もれていくのは当然だった。
誰から感謝されるわけでもない。責任を負い、さらにまた重荷を背負う。自ら課した目標はいつの日か呪いに転じた。
呪いに気が付かなければ呪いを呪いと感じないただの案山子の出来上がりだ。
そして彼は案山子のまま進んでしまった。
カラスにつばまれても痛みも苦しみも感じない。ようやく気がついたと思えば全身はボロボロ。他人に見せるのもはばかれる姿だ。
案山子には役割がある。作物の被害を減らすためのいわば囮。誰かが請け負うであろう痛みを代わりに受け止める存在。
そんなものに誰がなりたいと願うだろうか。誰もがそんなものになりたくは無いから重荷を誰かに背負わせる。
ありふれたものは誰もがなりたいとは思うが、自分にはなれない、誰かがなるだろうと考えたもの。
つまりありふれたものとは諦めと願いの象徴だ。
なったとしてもそこに救いは無い。あるわけが無い。人の願いと諦めを叶えるなんてことはあってはいけないからだ。
何故ってそんなものは簡単だ。叶えてしまえばそこにはただ人の諦めを体現したナニカが生まれるからだ。
ありふれたものはそのままありふれたままでいい。変わることなんてあってはいけない。変わることは諦めの形が変わったということだ。
誰もそんなものは見たくない。
彼が案山子のままでいられたのは幸運だっだだろう。案山子が意思を持てば自らの居遇をどう思うだろう。
幸せと感じるか? それとも自分が案山子で良かったと思うか?
人は人のままに、案山子は案山子のままに。変わらないことが当たり前で変わることはあってはいけない禁忌だ。
海は美しく残酷だ。綺麗でありながら見えない場所では大量殺戮が行われている。
まるで人間だ。いや、それとも人間が海に似たと言った方が正しいだろうか。
人は誰しも綺麗なままでいたい。しかし、その一方で残酷な選択を平然と行う。誰もが皆そのように生きている。人が人らしく生きるにはこのようにするしかない。
彼は案山子になったことを後悔しているだろう。案山子になって初めて人の醜さに気がついた。気がつけた。
彼は自分が他人とは違うと考えたならば当然の末路だ。同情の余地は無い。しかし、その末路はあまりにも虚しい。
結局分かったのは人は人らしくしか生きられないということだ。誰かが一言彼に言うだけで案山子は人に変われた。
案山子は水に深く浸っていく。藁には溢れる海水が逃がさないとばかりに吸い付いている。穴の空いた体からは端屑が少しずつ流れていく。
その様子をただ何事も無いように見続ける。苦しみは無い。
けれど、生きることの苦しさから解放されることの罪悪感だけを感じる。
「お前は充分に役割を果たした」
「お前は逃げるのか」
誰にも聞こえない悩みが中から聞こえてくる。
言い訳は聞かない。
解放されることは果たして本当に良いことなのか。ただ逃げているだけではないか。
そんな葛藤が殴り合いを続けているが、案山子は途中で思考を放棄した。
「俺はただの案山子だ。もういいだろう。俺の役割は他人に任せればいい」
こうして案山子は他人と同じに変わった。それだけにはならないと決めていたものになってしまった。
海は静かにそして激しく案山子を捕食していく。
残ったのは案山子であった証拠の端屑のみ。
人は人に。案山子は誰かに。
海はその選択を優しく受け止めてくれた。
「こんなことならもっと早くに受け入れれば良かった……」
海は静かに今も漂っている。
その波に心を乗せながら。
海より深く人より浅い 抹茶ラテ @GCQ
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