湖に架かる古い吊り橋
伊藤ほほほ
前編
少しぼかして話したい。私の名前をIとする。
今から十年以上昔。やけに暑い夏の日の出来事。
病院回りの営業をしていた私は、得意先の埼玉県秩父市にある私立病院の看護師Tさんとこんな会話をした。
「I君はさ、幽霊って見たことある? C市には有名な心霊スポットがあってね、私は一回だけ行ったことがあるの。その時、見ちゃったんだよねー!」
「見れるものなら見てみたいですけど。Tさんは霊感が強いんですか? 自分はそういうの全く無いみたいで」
私の実家は墓地の隣。小学生の時、その墓地で人魂やお化けを見たという噂をいくつも聞いたが、当の私には経験がない。
そんな環境で育ったからか、幽霊なんて信じていないし、そういった
「I君さ、事務のAちゃんいるでしょ? あの子も幽霊を信じてないらしいの。信じてないってよりは、怖いから信じたくないって感じらしいけど。……そうだ! I君、どうせ今日はここで仕事終わりでしょ? この後一緒に行ってみない?」
「いいですよ! 駐車場で待ってますんで、終わったら連絡して下さい!」
正直なところ気乗りはしなかったが、お客さんとの関係性を深められるいい機会である。二つ返事で了承してしまった。会社に戻れば地獄のような事務作業。家に帰る頃には日付が変わっているだろう。
Tさんと別れ、他の科を回って商品の納品を終える。
その後、事務長と新規購入品の打ち合わせ。余計な話を嫌う方なので、その場を後にする。
最後に、外科の先生と面会し、デバイスの使用感を確認。他愛もない話を交えていたが、ふと先程の心霊スポットについて聞いてみることにした。
「先生、そういえば幽霊が出る吊り橋ってご存知ですか? 看護師のTさんと行く予定なんですけど、本当に出るんですかね?」
「なになにぃ? お前、Tさんと一回りくらい離れてなかったぁ? 歳上が好きなわけぇ?」
この先生はいつも私を
「いやいや先生、Tさん結婚されてますし。それで、どうなんです?」
「あぁ、出るらしいよねぇ。結構はっきり見たって人が多いよぉ。お前なんて幽霊見たらちびっちゃうんじゃないのぉ?」
談笑しつつ会話を終える。
先生の話では、深夜に吊り橋を渡っていた知人男性が子供の声を聞いたらしい。そして、小さな影が吊り橋から落ちていく姿も。
終始にこやかだった先生が、その話をしている時だけ真剣な表情をしていた。やけに真実味があり、全身が粟立つのを感じた。
仕事を終え、営業車に戻る。Tさんが来るまでしばらく時間があるため、空のダンボールやら書類やらを片付けておく。
座席を倒して横になり、スマホをいじって暇を潰すが、どこか落ち着かない。さっき聞いた先生の話がやけに耳に残っている。
気になって
湖に架かる古い吊り橋。自然豊かなその場所は、昼間に訪れるとため息が出るほど美しい景色なのだとか。
しかし、夜になると全く逆の印象になるという。
男の霊を見た。吊り橋で首を吊る女の霊を見た。深夜に子供の笑い声が聞こえた。誰かに肩を叩かれた。体験談は様々で、数多くの心霊体験が寄せられている。
「霊なんて信じてないのに。調べなきゃ良かった。まあでも、ホラースポットなんて何ヶ所も行ってるしな。どうせ嘘だろ」
肝試しと称して、今までにいくつかの心霊スポットを訪れた事がある。
古くは、私の地元にあるホワイトハウスと呼ばれる場所。一家惨殺があったと噂され、霊を目撃したという情報の多い白い家は、森の中に佇み、不良に荒らされて落書きまみれ。
友人と三人で行ったのだか、深夜のホワイトハウスは夜の森というだけで恐ろしさがあり、何か出てもおかしくない雰囲気があった。
しかし、短いトンネルを潜り抜けた辺りでワーキャーと騒ぎ立てる先客の声に気付き、
まるで遊園地のお化け屋敷に来たみたいで、これじゃあ出るものも出られない。幽霊の方が可哀想だと憐みの気持ちを抱いた事を覚えている。
ピロンッ
突然のメッセージ音に心臓が跳ね上がる。嫌な話を見聞きした後だったので、少し緊張していたらしい。
アプリの通知を確認すると、『今終わったよ。どこに向かえばいい?』看護師Tさんからだった。病院の入り口で待つ旨を伝え、移動する。
「お待たせ!」
「Iさん、よろしくお願いします」
私服に着替えたTさんとAさんの二人と合流し、早速目的地に向かう。ナビを設定すると、ここから40分程度かかるらしい。
到着予定時刻が18時20分。本日の天候は快晴。夏真っ盛りのこの時期、その時間はまだ少し明るいような気がする。
「夕方でも出るんですかね? 幽霊って。はっきり見えすぎて逆に怖くない説ないですか?」
「あはは、確かにね。とりあえず行ってみようよ。私も前回ちゃんと見えたわけじゃないし、スマホで撮ってバッチリ写ったら絶対怖いって!」
私は当時20代半ば。Tさんは30代前半だったと思う。会話から分かるように、エネルギーに満ち溢れた女性である。若々しく、茶色く染めた髪から覗く左耳には派手なピアス。病院内で会う時とは大分印象が違う。
「あの、結構ちゃんとビビってますよあたし。TさんとIさんがそんな感じで軽く話してるの信じられないんですけど?」
Aさんは20代後半。後ろで尾を垂らすように纏めた黒髪で、ベッコウ柄の眼鏡をかけており、Tさんとは真逆の印象。化粧も控えめだ。
まずは病院近くのコンビニに寄り、虫除けと懐中電灯を購入。サービス残業が基本の安月給な私には痛い出費である。「気が利くね!」なんて言われたが、この営業という仕事は気遣いなしではやっていけない。
社名の入った古い営業車をゆっくりとした速度で走らせる。ツマミで温度を調節するレトロな空調を馬鹿にされたが、私の車じゃないので痛くも痒くもない。
退社時間だからか、一車線の道路が田舎にしては混んでいる。車内は女性二人の口から次々に出てくる愚痴で大盛り上がり。
とてもこれから心霊スポットに向かう雰囲気とは思えない。
「そういえば、Tさんの見た霊ってどんな感じだったんですか?」
これは私の役目だろうと思い、Tさんに話を振ってみた。
「去年の10月だったかな。高校の同級生とさ、やかましい女三人で行ったんだけどね。キャーキャー言いながら吊り橋を渡ってたら、誰かに呼ばれた気がしたの。ねえ? ……ってね。驚いて振り返ると、目の前を影が通過したのよ。私より大きかったから、多分男の霊だと思うんだけど」
「はいはい、気のせいですね。Tさん嘘はやめて下さーい!」
近しい人の話を聞くと、信憑性が増す。冗談を言うのが好きなTさんだが、嘘をついているのは見た事がない。Aさんは笑いながら否定しているが、表情は不安の色を見せ強張りを隠せていない。
少し車内の空気が重くなったが、市街地を抜けたことで目的地へとストレス無く進んでいく。
吊り橋までもう少し。空は茜色に染まり始め、昼と夜の境目が美しいグラデーションを描いている。
「この辺ですよね? どこに停めましょう?」
「あ、ほら! あの看板の手前で! そこから入れるわよ」
ついに到着してしまった。
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