鏑矢の鳴る頃に~謀反の練習台として矢の的にされた寵姫ですが、このままで済ませるつもりはありません~
平井敦史
第1話 寵姫の受難
ヒューーーーーッ!
ボルドゥが放った
それに続いて、兵たちが放った矢も次々と彼女の体に突き立っていく。
サラーナは、何故自分が殺されねばならぬのかも理解できないまま、地に倒れ伏した。
そして――。
ザシュ! ザシュ! ザシュ!
ボルドゥは剣を
「言っておいたはずだ。俺が鏑矢を放ったら躊躇わずその的を射よ、躊躇うものは斬る、と」
血に濡れた剣を
「今一度問う。我らヒュンナグの王の名は?」
「は、トゥマン陛下です!」
「ならば、お前たちの
「は、ボルドゥ殿下です!」
「そうだ。そのことを忘れるな」
ボルドゥは満足げに
しかし、サラーナはむくりと上体を起こすと、体に突き立った矢を一本ずつ丹念に抜いていった。
「ひぎっ! うくぅっ!」
一本矢を抜く
「ど
苦痛を紛らわせるように、
それは、手のひらほどもある大きな
サラーナの命を繋いできた身代わりの護符たる竜神の鱗は、役目を終えると粉々に砕け散り、そして彼女の全身の傷は、きれいさっぱり消え去った。
とは言うものの、流れ出た血が完全に元に戻るわけではなく、体力も著しく消耗している。
そして、この場を離れようにも、
サラーナの乗騎も殺された兵たちの乗騎も、他の兵たちが
「まいったね……。このままじゃ結局野垂れ死にだよ。野生の
この地のような生物密度が極めて低い草原地帯では、大気に満ち溢れる
しかし、
ただ問題は、そんなに都合よく
などと思案していると、いつの間に近付いてきたのだろうか、一人の中年男性が、ボルドゥに斬り捨てられた兵たちの
旅人のような装いではあるが、こんな草原の真っただ中を、
突き出した
「グ……
それは、人の
人間に擬態する能力を持ち、夜になると、草原で野営する旅人を騙して近寄り、死体にして喰らう。
「ど、どうしよう。走って逃げきれるような相手じゃないし……」
手元には弓矢もなく、魔法も飲料水を出したり灯りをともしたりする程度しかできないサラーナには、なす
と、その時、はるか
とすっ!
矢は狙い過たず
その胸に、二本目の矢が突き立った。
がちっ!
固いものがぶつかる音がして、
「サラーナ! えーっと、生きている……のか?」
そのまま
喜びと困惑が入り混じった
「もしかして、竜神様のご加護のおかげか?」
「それ以外に、あんな状態にされても生きていられる方法があると思う?」
美しい顔立ちに
「いや、無いだろうな。というか、竜神様のご加護がこれほどのものだとは思っていなかったよ」
そう言いながら、ションホルは
長い尾でバランスを取りながら、強靭な
ションホルの
そしてその
「生きていた……。サラーナが生きていた……」
鍛え上げられた
サラーナも思わずつられて泣き出しそうになったが、ぐっと
「感激するのはいいんだけど、あたし今こんな格好だしさ。それより早く、どこか
こんな格好、と言われて、ションホルはあらためてサラーナの姿を見た。体の傷こそ治っているものの、着ていた服は穴だらけで、流れ出た血で真っ赤に染まっている。そして、破れた服のそこかしこの穴から白い肌が覗いているという、なんとも形容しがたい状態だ。
「すまん。とりあえずこれを羽織っておいてくれ」
そう言ってションホルは上着を脱ぎ、サラーナに羽織らせた。上着を手渡しながらも顔を真っ赤にしてそむけている幼馴染の様子に、彼女はくすっと笑う。
「まったく、相変わらず
「わ、悪かったな。いまだに女は苦手なんだよ」
まったくこいつときたら――。サラーナは口の中で小さく呟く。
「で、それはそれとして。一体、
サラーナは、草原の民ヒュンナグの王太子であるボルドゥの側室たちのなかでもひときわ美しく、彼の
いや――。実を言えば、殺されても文句を言えないようなことをやらかしてはいる。
一年ほど前のこと。一族のためにと父親はじめ里の主だった者たちから懇願され、しかたなくボルドゥの
しかしすぐに、ボルドゥは別に寛大なわけではなく、ただ単に、そんなことには頓着していないだけなのだということに気付かされた。
彼の
その代わり、妻たちの貞操に関しても、ボルドゥはひどく無頓着だった。
彼の正室からして、浮気をしていることが公然の秘密になっている始末だ。
そんな女たちに比べれば、輿入れ後は一応身を慎んでいるサラーナなど、可愛いものだと言っていい。
それなのに、糾弾されることもなくいきなり殺されかけた理由には、正直心当たりがない。
小首を傾げるサラーナに、ションホルは表情を曇らせながら言った。
「ボルドゥ殿下は……、いや、ボルドゥは、以前俺たち
「ツァガーンって、あの綺麗な白い鱗の
「そうだ。そして、躊躇った兵が二人斬られた」
ただでさえ、草原の民にとって
「で、今度は側室の中でも特にお気に入りだったお前を射て、躊躇う者たちを斬った」
「
「そうだ。最終的に目指すところは、間違いなくあのお方だろう」
ボルドゥの父である、ヒュンナグ王トゥマン。彼を
「まあ、ボルドゥが陛下に恨みを抱くのも、仕方のない部分もあるのだけどな」
それはサラーナも承知している。
トゥマン王は、ボルドゥの生母の死後、若く美しい
そして今から三年前、ヒュンナグの西の大勢力であるバローン族に対し、ボルドゥを人質に出し、しかる後、わざと攻撃を仕掛けた。彼らの手でボルドゥを殺させるためだ。
しかしボルドゥは、バローンの
ヒュンナグに帰還したボルドゥは、怒って攻め込んできたバローンとの
そんなボルドゥに対して、トゥマン王は手のひらを返し、一転、直属の
しかし、ボルドゥは殺されかけた恨みを忘れず、また、いずれは粛清されるだろうという危険も感じ取って、ひそかに牙を研いでいる、というわけだ。
「事情はわかった。でも、だからってあたしが黙って殺されてやる筋合いは無いよね。あの
「そうだな。俺も、お前をあんな目に
心の中で怒りの炎を燃え上がらせる二人。
が、それはそれとして――。いつまでもこんなところにいるわけにもいかない。
「じゃあ、ひとまずは里に戻って、
二人が生まれ育った竜神の里。ヒュンナグ王に
「うん。でもその前に。
斬殺され
その心の内がどうだったのかはわからないが、ともかく自分に矢を射かけることを躊躇ったせいで殺された者たちだ。このまま放置するのはしのびない。
「そうだな。運んでいくのは無理だけど、せめて埋葬くらいは……」
ションホルは
それが終わったら、土魔法を発動して、三人を葬れるだけの穴を掘った。
「おお、すごいすごい!」
サラーナが感嘆の声を上げる。
「まあ、時間が掛かるから実戦ではあまり役に立たないんだけどな」
そう言いながらも、まんざらでもなさそうな様子のションホルは、遺体を運んで穴の底に安置すると、再び土魔法を発動して
「本当は俺も、お前に矢を向けるくらいならいっそ殺されようかとも思ったんだ。けど、そうしたらお前の
だから、血を吐く思いでサラーナに矢を射かけ、後でその
「そっか。でもその判断、大正解だよ。あんたが来てくれなかったら、せっかく死なずに済んだのに、結局
そう言って、サラーナは一本の矢を拾い上げた。
狩りであれ
ションホルの矢の
「これ、あたしを傷つけないよう、服のたわみと体との隙間を射抜いてたよ。さっき
幼馴染から称賛を受けても、ションホルの表情は晴れなかった。
「それでも、お前に矢を向けたことに変わりはない。この償いは俺の命で……」
「ああ、そういうのいいから。それより、あたしの復讐に協力してよ」
かすかに瑠璃色がかった
ションホルにとって、ボルドゥは憧れの存在だった。
サラーナが
そんな彼の思いを、あの男は最悪の形で踏みにじった。
「もちろんだとも。絶対に許してたまるものか」
ションホルは、
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