第3話 鬼姉(おにあね)


 3


「ふーん、そういうわけでこのアイスが溶けかけてるわけね」


 姉のあつ子は、透の買ってきたアイスを不服そうにつついた。

 彼女は一昨日、無事に元気な男の子を出産したばかりだ。

 傍らでは、かわいらしい赤ちゃんがすやすやと眠っている。


「文句あるなら、もう一度ひやしてから食えばいいじゃないか」

「そんなのイヤよ。今、食べたいんだもん」

「それが『お母さん』になった人の態度かよ……」


 口で勝てないことをわかっているため、透は小声でぼそぼそと愚痴った。

 

「何か言った!?」

「ううん、言ってない言ってない。で、義兄にいさんはいつ頃着くの?」

 あつ子の夫は、仕事で海外へ行っているため、出産に間に合わなかったのだ。

かずくんが帰ってくるのは、明日の夕方頃」

「やっと解放される」

「なんですって!?」

「いえいえ、何でもありません。それより赤ちゃんの名前決まったの?」


 生後3日の甥っ子のやわらかい手をつつくとキュッと握り返してきた。


「ちゃんと候補は考えてあるんだけど、かずくんが『赤ちゃんの顔を見てから決めるんだ!』っていうから」


 和くんというのは、あつ子の夫の和哉かずやのことだ。


「なんだ、まだ名無しの権兵衛ごんべえか。権兵衛~」


 透は、笑いながら自分の指を握っている紅葉のような小さな手をちょこちょこと振った。


「へんな呼び方やめてよ! この子だってちゃんと分かってるんだからね」

「はいはい。早く義兄さんこないかなぁ。俺、産科に来るの結構勇気がいるんだぜ」

「なに生意気いってるのよ。わたしの旦那はもっとカッコイイですからって看護婦さんたちには言ってあるから安心していいわよ」

「ありがたいような、ありがたくないような……」


 姉に頭が上がらないのは、風鈴を割ったときからだと思っていたがもっと前からだったかもしれない。

 生まれてこのかた、姉にケンカで勝ったことなど一度もない。


「姉ちゃんさ、俺が割った風鈴のこと覚えてる?」

「母さんが大切にしてたやつね。でも、今ごろどうして?」

「いや、さっき話した女の子のところにあった風鈴がそれとすごく似てて、昔の事思い出したんだ」

「あんたは知らなかったかもしれないけど、あれは『透の風鈴』だったのよ」

「え? 俺の?」


 透は、姉の言葉の意味がわからず首をかしげた。


「透の誕生日って、9月のはじめでしょ? あの風鈴は、臨月の母さんが夏バテしていたのを見かねて父さんが買ってきてくれたものだったの。透が無事に生まれるように祈った大切な風鈴。だから、母さんは割ったときあんなに怒ったのよ」

「そうだったのか……」

「そうよ。あんたもちゃんと愛されてるんだから」


 あつ子は生まれたばかりの我が子を抱いて笑った。

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