おまけ「アクジキ☆ハロウィーン」

「ねぇねぇ、聞いたことある? あの都市伝説」

「えー、何ですか?」

 目の前で同級生たちが雑談しているのをとてもつまらなそうな表情で、真琴まことは聞いていた。……といっても、そちらには目もくれず、実際は本を読むBGM程度にしか聞いていない。

 読んでいる本には黒いブックカバーがしてある。そのブックカバーはなかなかお洒落なデザインで、黒地に白い蔦のようなものが隅を彩っている。しかし、それは誰にも関係ない、という冷めた考え方を真琴はしていた。同級生の雑談も、耳に入ってくるから聞いているだけ。真琴は脳の情報処理速度が元より速いらしく、大量の情報を受け止めることができる。本の中に並んだ文字の羅列を見ながら、雑談の内容を目の前だけでなく、何だったら教室全体の分まで把握することができる。

 ここは一番後ろの窓際の席。だが、一番前の廊下側の席のやつがくちゃくちゃガムを噛んでいる音を五月蝿いと思うし、廊下できゃぴきゃぴしている女子の声は耳障りだ。けれど、今読んでいる本──祖父が自費出版した「この街の土地神について」というオカルトな内容の本の内容を面白く思う。

 祖父は昔からオカルト好きで有名で、学生の頃に自分でオカルトサイトを建設して、オカルト界では彼を知らぬ者はいない、というくらいの人物である。もはやそのレベルだとこの街的には偉人なのではないだろうか。

 そう祖父のことを真琴は誉に思っていた。

「えー、真琴ちゃーん? ちゃんと聞いてるー?」

「何、僕に話しかけていたの?」

 都市伝説云々を語っていた目の前の女子が名前を呼んできたので、仕方なく真琴は顔を上げる。見ると、ちゃらちゃらした雰囲気の女子が真琴にへらへら笑っていた。この女子を真琴はあまり好きではない。とはいえ、仮にもクラスメイトだ。名前くらいは覚えている。

 短い髪を項で二つに分けて結っている彼女は瑠依るいである。なんだかんだ、幼なじみをやっている。あまりいい性格とは言えない。その証拠に、彼女の後ろで話に相槌を打ってくれていた女子が置いてきぼりになっている。

 はあ、と溜め息を吐いて、真琴は注意する。

「ほら瑠依、悪癖が出てるよ。めぐみさんが相槌してるのに僕に振るなんて」

「ナツメグちゃんより真琴ちゃんの話が聞きたいの!」

 我が儘なやつである。ちなみにナツメグと芽は同一人物である。夏目なつめ芽という名前を略して、クラスのみんなはナツメグと呼んでいる。なんとなくではあるが、真琴は芽を冒涜しているように感じられるため、芽と名前で普通に呼んでいる。瑠依は「渾名で呼べるのも友達の特権だよ」などと言っているが。

 まあ、少なくとも瑠依に悪意がないのはわかっている。瑠依はいじめなんて陰湿なことをするようなちんちくりんではない。本当に天然で悪意にも取れる行動をしてしまうだけだ。幼なじみだ。それはわかっている。

 それに、真琴と瑠依は元々、祖父同士の繋がりで知り合ったのだ。瑠依の祖父は真琴の祖父より早逝しているが、二人は幼い頃からの親友だったらしい。お揃いの石榴石のブレスレットを見せられたときはぞっとしなかった。

 ちなみに瑠依は真琴を「真琴ちゃん」と呼ぶが、真琴は男だ。幼なじみだから許しているが、他の誰かが「真琴ちゃん」と呼ぼうものなら……無視するだろう。

 真琴はつまらない人間だと自負している。特に面白いことを考えるわけでも言えるわけでもない。ただただ頭がいいだけ。妬まれているが、気にしない。いじめの一つや二つ程度では眉一つ動かない。瞬きすらしない。そんな人間を誰が面白いと思うだろうか。例外的に瑠依は面白がっているようだが。

 丁寧に編まれたおさげをぶら下げている今時珍しい昭和女子の雰囲気を漂わせる芽は、はっきり言ってしまうと冴えない容姿だ。頭の出来は真琴に追随するほどなので、語るべくもないが。

「で、都市伝説の話?」

「なんだ、ちゃんと聞いてるじゃん。さっすが真琴ちゃーん。話そ話そ」

「芽さんも興味あるみたいだから混ぜてあげようね」

「えー」

「文句があるなら聞き流すけど」

「冗談だって。ほらナツメグちゃん、こっちおいで」

「わーい」

 仲間に入れてもらえた芽は嬉しそうだ。

 都市伝説──真琴は祖父の影響を存分に受け、オカルトが好きだ。今土地神の話を読んでいるのだって関係している。

「でね、ほら、今や全国レベルで有名な神出鬼没の都市伝説あるでしょ」

「都市伝説は大抵神出鬼没だよ」

「ああ言えばこういう。真琴ちゃんモテないよ」

「マセガキじゃないから結構」

 ぷくぅ、と頬を膨らませる瑠依にお構い無しで、真琴は本を再び開く。大体ページが合っていたので、恙無く読み進める。

 それを瑠依が覗き込んできて、ページに影がかかる。真琴は若干鬱陶しく思った。

「何?」

「いやぁ、真琴ちゃん、また難しい本読んでるなぁって」

「じいちゃんの本だよ」

「えっ、真琴くんのおじいちゃんって作家さまなんですか?」

 芽が食いついてきたのを一顧だにせず、真琴は答える。

「作家っていうか、これ自費出版だからね。作家って言っていいのかな」

 小説とかではないし、真琴は祖父をすごい人だと思うが、作家だと思ったことがない。出した本もこれ一冊であるし……

「まあ、真琴ちゃんのおじいさんはすごい人だよ。死ぬ寸前までオカルトサイト経営してたもんね」

「辞世の句が『怪奇は世の宝、滅ぶことなし』だから。ただの変人だよ」

「自分のおじいさん捕まえて随分な言い様だね」

「事実だし」

「真琴くんって、クールっていうより、冷めてるんですね」

「うん」

「ここで素直に『うん』って答える真琴ちゃんも真琴ちゃんだけどね」

 そんなことは置いといて、とさくさく話題を変えてしまう辺り、瑠依も瑠依だ。そんなこと扱いされた真琴は爪の先ほどの反応も見せず、続く言葉を待った。

「その都市伝説とはなんと……アクジキジハンキです!! ひゃっほーい!!」

 一人でかなり盛り上がる瑠依。そこに真琴は冷めた視線を向ける。芽だけがわかっていない。きょどきょどしている。

「アクジキジハンキって?」

「ナツメグちゃん、よくぞ聞いてくれた!」

 そこから瑠依は拳を握りしめて語り始める。

「かくも恐ろしき都市伝説があろうか……それは遡ること六十年前……」

「……わりと最近だね」

「ちょっと真琴ちゃーん、いいところに水射さないでよー」

 それっぽく語り始めたところにけちをつけられたため、再びむくれる瑠依。真琴はお構い無しで、本のページをめくる。

「怪奇譚で六十年なんてまだまだ若造だよ」

「それはそうだけどさー」

 瑠依がぴん、と指を一本立てる。

「地元発の都市伝説なんて、なかなかあるものじゃないでしょー」

「えっ、そのアクジキジハンキって、ここ発祥なんですか?」

「そだよー」

 とても軽く告げる瑠依だが、これはとんでもない事実だ。

「学校の怪談とかも変わってるからね、この辺は。だからこそじいちゃんもオカルトにはまったって言ってたよ」

「ほえー。確かに、『トイレの手』とか『カンペン』とか『ずるずるさん』とか、メジャーな学校の怪談から離れたところがありますもんね」

 そう、トイレの花子さんとか、音楽室のベートーベンとか、学校の怪談でもメジャーどころがない。地元の都市伝説も事故が多発する「風鳴駅」といった感じで、全国に出て回るような有名なものは少ない。

 真琴の祖父に言わせると、この街は「怪奇の宝庫」だという。

 瑠依の祖父は「ずれている」と語ったらしいが、祖父同士は否定し合うことはなく、個々の意見として受け入れていたらしい。

「でさ、アクジキジハンキなんだけど、最近は春夏秋冬季節を問わずに現れるんだよね」

「……へぇ」

「反応うっす!!」

 真琴からすれば、そんな情報は祖父の残したホームページからネタが割れることである。

「さては知っていたな!?」

「むしろどうして知らないと思ったの?」

 とても不思議である。祖父が残した本を読んでいる時点で真琴が「そういうもの」に興味があるのは明らかだ。まあ、瑠依が鈍いのかもしれない。

 問題は話題の発展性が失われてしまった、ということだ。せいぜい芽が「真琴くんは知っていたんですね」というくらいだろう。

 ところが、真琴が予想していた以上に瑠依は手を持っていた。

「だからさ、アクジキジハンキに会いに行こうと思うんだよね」

「はっ?」

 あり得ない。何を言っているんだ、こいつは。そんな感じの表情になっていただろう、真琴の顔は。

 芽が冷や汗を滲ませ、瑠依の肩を叩く。

「る、瑠依ちゃん、いくらなんでもそれは無茶なんじゃないかな? だって、アクジキジハンキは人を食べちゃうんですよね?」

 そう、そうなのである。

 アクジキジハンキは人を食う。だからこその「アクジキ」である。それのせいで全国各地で原因不明の行方不明者が増えている。ニュースになるくらい。「アクジキジハンキ注意報」なんて馬鹿げた報道が日常的になるくらい。

 真琴はオカルトは好きだが、命を懸けるほどではない。

「瑠依が馬鹿なのは知ってたけど、そこまで馬鹿だとは知らなかった」

「ちょっとー、いくら真琴ちゃんでもそれは言い過ぎだと思うなー」

 真琴は言葉を返さない。代わりにじっと瑠依の目を真っ直ぐ見つめる。

 まじまじと見つめられて照れたのか、瑠依が頬を赤らめ、目を逸らす。

 いや、いじけたのだ。

「……そんなジト目で見ることないじゃん」

「瑠依を止めるにはこれしかない」

「ぐぬぬ」

 真琴は口数が多いわけではない。相手を論破できないわけではないが、それを好まない。相手が自分の意思で良い方を選ぶように誘導する方がいい。後腐れがないから。

 その場合の瑠依への説得材料は、真琴の目線だった。瑠依には真琴の目力が通用する。通用しなかった試しがない。

「……もーっ、真琴ちゃんはいつもずるいんだから。わかったよ。行かない行かない」

 ちぇー、と言いながらも、瑠依は話題を変えていった。

 ほっとしたのも束の間、真琴の耳は教室の片隅の会話を拾った。

「わー、真琴のやつ、根性ねえんだな」

「じゃあ、今度俺たちで行こうぜ、アクジキジハンキ」

 目を見開き、そちらを見た。

 男子がにやりと口角を吊り上げた。

 それを真琴は聞いてしまったからには止めないわけにはいかなかった。

「ちょっと、今の話聞いてた? そこの男子」

「あぁ?」

 簡単にガンを飛ばしてくる男子たちだが、その程度で真琴に効くわけもない。真琴はわからず屋に溜め息を吐いた。

「アクジキジハンキは危険なものなんだよ。簡単に関わっていいものじゃない」

「何の根拠があって言ってんだよ。所詮都市伝説じゃんか」

 再び深々と息を吐き出し、処置なし、といったように首を横に振った。

「わかってないな……俗物が関わっていいものじゃない……」

 真琴はわりと普通のことを言ったつもりだが、普通の男子たちには、かなり油を注いでしまった。真琴が襟首を捕まえられる。真琴は真顔だが、脇で瑠依があちゃー、とこぼしていた。

「誰が俗物だって? 妙ちくりんなのはじじい譲りか?」

「人の尊敬する人物を妙ちくりんなじじい呼ばわりとは失礼だね。事実だけど。そういうところだよ」

「あぁん?」

 びきびきとこめかみに青筋が立つ。もはやこいつらを止める術はないだろう。

「……こいつを肝試しに連れて行ってやろう。こんなやつ、アクジキジハンキに食われちまえばいいんだ」

「そうだそうだ」

 調子に乗るガキ共に真琴はうんざりした表情を浮かべていた。

「肝試しって、今十月だよ?」

「いやそこ?」

 瑠依はずれた真琴の一言にすかさずツッコミを入れたが、真琴は有無を言わせずドナドナされた。


 秋も深まり、肌寒くなってきた今日この頃。

 真琴はわからず屋の同級生に連れられて、アクジキジハンキがよく出るという中学校の近くの坂に来ていた。再来年にはこの道を通って登校するというのに、実感めいたものは一つも湧かない。まあ、まだ小学五年生だ。小学校を旅立つ実感なんて、再来年の三月まで抱くことはないだろう。

 そんなアクジキジハンキとはまるで関係ないことを考えていると、どん、と後ろから突き出された。おっと、とたたらを踏むと、後ろからけらけら笑う声が聞こえた気がした。振り向くと、またどん、と突き飛ばされた。わりと強い力だったため、けほ、と空咳が零れる。真琴は胸をさすった。

「ほら、ここが出るって噂の場所だ。もっとも? お前なら知ってるんだろうけどなぁ?」

 まあ、それは確かに知っている。祖父の資料にも載っていた場所だ。

 悪ガキはニタァと笑って、お仲間に提案する。

「こいつ、アクジキジハンキに詳しいんなら呼び出し方とか知ってんじゃね?」

 馬鹿だろうか、と口から出そうになってやめた。アクジキジハンキに安易に関わろうとしている時点で馬鹿なのは明白だった。

 大体、幽霊ならまだわかるが、都市伝説に「呼び出し方」なんてあろうものか。瑠依が言っていた通り、アクジキジハンキは神出鬼没だ。そんなものを呼び出す方法があるのなら、教わりたいくらいだ。祖父なら泣いて喜んだところだろう。

「……まあ、考え方次第では呼び出せるか……」

 そうぽつりと呟いてしまったのがいけなかった。

「ふぅん? こいつ、呼び出せるってよ」

「まじかよ。やってもらおうぜ」

「……うわー、馬鹿ばっかり……」

「あぁ?」

「……睨むしか能がないんだね。可哀想に」

 ぼす、と殴られる。鳩尾に入った。乾いた息がかはっと出た。

 それでも無表情な真琴の様子に悪ガキ共は苛立つ。こいつは、いくら殴っても効かない。そう悟った。

「おら、さっさと呼んでみろよ」

「えー……」

「文句あんのか?」

「いや、むしろこの状況で文句がない方が不思議だね」

「殴られてぇのか?」

「殴れば全部解決するって思ってるんだ、可哀想」

「このっ……」

「やめろ」

 拳を振りかぶりかけた一人をもう一人が止めた。やっとまともな思考回路のやつか、と真琴は思ったが、甘かった。

「こいつが呼び出す気なくなったらどうするんだ?」

 そもそも呼び出す気などないのだが、先程の手が早いやつより圧が強い人物だ。口先で真琴と渡り合えるタイプだったらまずい。

 そいつが真琴を見る。

「なあ、呼び出してみろよ」

「嫌だと言ったら?」

「拒否権あると思うの? 可哀想」

「はあ?」

 半ば溜め息のように返すと、そうだなぁ、とそいつは呟いた。

「真琴って、瑠依ちゃんとー、あと今日は芽ちゃんとも仲良くしてたよね。あの二人も呼ぼうかな」

「……」

 真琴は肩を竦めた。瑠依は単に幼なじみの腐れ縁なだけだし、芽とは今日偶然喋ったに過ぎない。だが、二人をだしにされて黙っているほど真琴は人間をやめているつもりはない。

「トオツカミエミタマエ」

 はっきりと紡いだ言葉はとても小学五年生の頭では理解できない代物だった。

 一瞬だが、視界がぐらつく。他のガキ共もそうだったようで、なんだなんだとどよめいた。五月蝿いなぁ、と真琴はぼやいた。

「お望み通り、呼んであげたんだよ。ほら」

 坂の中腹を指差す。それに釣られてガキ共がそちらを見やると、さっきまで何もなかったはずのところに、自販機が佇んでいた。

 おお、と感嘆の声が上がる。これだけで喜べるとは、幸せな脳みそをしているな、とナチュラルに失礼なことを考えながら、真琴は若干自販機から離れた。

 が、それを目敏い悪ガキが見逃すわけもなく、真琴は呆気なく引き戻された。首根っこを後ろから引っ張られたため、首が締まってぐえ、と蛙のような声が零れる。それをこれみよがしに悪ガキ共は笑い立てる。

「うわ、聞いたかよ今の声」

「蛙よりきたねー声」

「そんなことよりアクジキジハンキ、こいつに何か奢らせようぜ」

「うえ」

 こんなことをさせられた上にたかられるとはたまったものではない。

「やだよ。お金持ってないし。自分で買いなよ」

「はあ?」

「それとも貧乏なの? ああごめん、そこまで考慮してなかった。可哀想に」

 案の定、挑発された一名が飛びかかろうとするが、何名かが止める。

「見え透いた挑発に乗るなんてオコサマ過ぎるぞ」

「ってか金持ってねえとかしけてんな」

 しけているとは、発言がもはや悪ガキではなく不良だ。笑えてくる。が、堪えた。

 代わりに忠告する。

「あの自販機で飲み物を買うのはあまりおすすめしないな」

 肩を竦めてみせるが、誰一人として聞いていなかった。もう自販機の方へ向かっている。──アクジキジハンキの方へ。

「あーあ」

 最初の一人がちゃりん、と小銭を入れる。こうなったらもう知らない、と帰ろうか考えていると。


「お釣、いただきますね」


 やけに澄んだ女性の声がした。

 直後。

「はあっ!? お釣が出ねぇ!? 今月の小遣いピンチなのに」

 小遣いピンチは自己責任として、そいつが取った行動がよくなかった。釣り銭口に手を突っ込んだのだ。

 真琴は見過ごせなかった。

「何馬鹿なことしてんだ!! そんなところに手を入れんな!!」

 普段寡黙な真琴が空気がびりびりと震えるほどに怒鳴ったことに、悪ガキ共が驚く。

 が、時既に遅し。

「うがああっ、手がぁ、手をかじるなぁっ!」

 釣り銭口に入れたはずの悪ガキの手は見るもおぞましい口ばかりついた化け物の口の一つに咥えられていた。しゃぶるような音がする。生々しい唾液混じりの音に真琴に対して威勢のよかった悪ガキ共も立ち竦む。

「ひ、引き剥がそう」

 ようやくそれを口にできたのはさっきの口が達者そうなやつだ。だが、真琴はすぐに言い返した。

「やめろ! 残酷なことに」

 べりぃっ!!

 ……そもそも、この悪ガキ共が真琴の言葉に耳を傾けるはずもなかった。

 自販機からようやく解放された悪ガキの一人は冷や汗を流しながらも安堵の表情を浮かべ、手を確認し──一気に青ざめた。

「手が、ない!?」

 そう、そいつの手首から先はまるで最初からなかったかのようにすっぱり消えていた。

「う、うそ……何が……」

「はやく! 早く逃げるんだ!!」

 真琴が声を張るが、悪ガキ共は現実とは程遠い現象に脳の処理が追いついていないようで、動けない。

 そのとき。


「手首だけですか?」


 澄んだ女性の声がやけに冴え渡って響いた。

 ひぃ、と悲鳴を上げたのはもはや誰かはわからない。真琴以外の全員が、先程まで自販機だったそれに怯えきっていた。

 そこにいるのは自販機の形など跡形も残していない。黒くてどろどろした何かだ。手も足も顔もないが、それ以上にそこかしこに口がある、そんな化け物。得体の知れないものの登場と、不満とも取れる澄んだ女性の発言。ミスマッチなそれらが、ミスマッチであるが故に、不気味さをより際立たせていた。

「手首だけですか? 八十円程度の端金を惜しむような心の狭い人間はもっと思い切り食ってやりたいんですが」

 声だけが濁りないだけに、余計に恐ろしい。

「手が、手が」

「いいから逃げろ、食われるぞ」

「駄目だ、腰が抜けた」

「足が動かねえよ」

「息が上手く、できない」

 真琴は渋面を浮かべる。自分たちで招いたことだろうに、向き合う覚悟が誰一人ないとは情けない。

「今日はお腹が減っているんです。いっぱい食べたいんです」

 澄んだ女性の声と共ににじり寄ってくる口の塊。非情ではあるが、真琴は食われてやる気はない。見捨てて逃げることにした。

 そうして振り向いた先に。

「ちょっと、何事!?」

「あれが、アクジキジハンキ……」

 揺らめく二つ結びの髪とおさげ。どう見ても真琴にはこの二人の女の子が瑠依と芽にしか見えなかった。

「なんで二人がいるんだよ!?」

「悪漢に拐われた真琴ちゃんを救うため、颯爽と登場したのだ!」

 先程の動揺から一転、そう言って胸を張る瑠依。芽が隣で苦笑いを浮かべている。

 真琴は溜め息を吐いた。瑠依は無駄に行動力があるのだ。芽は大方それに巻き込まれたといったところだろう。

「とにかく、あれがアクジキジハンキだってわかってるんならさっさと逃げるよ」

「はっはっはっ! ヒーローは颯爽と現れ、音もなく立ち去るのだ!!」

「お前滅茶苦茶五月蝿いけどな」

 真琴は二人の手を取り、走る。瑠依は待ってましたとばかりに、芽は少々遅れ気味についてきた。

 アクジキジハンキは他の連中を相手にしているのか、追ってくる様子はない。

 しばらく走って、辺りを見回しながら、真琴はペースを緩めた。

 ややあって、瑠依が紡ぐ。

「いやぁ、うちのってあんなに怖いんだね」

「それを知ってたんならなんで会おうとしたんだよ」

「むしろなんで知らないと思ったの?」

 瑠依の発言に真琴が呆れる。芽がぽかんとしていた。

「と、土地神様……?」

「あー、ナツメグちゃんにはまだちゃんと説明してなかったねー。アクジキジハンキって、長年人間に認識されなかったここの土地神の成れの果て、なんだよ」

 瑠依のどや顔に真琴は真顔に戻った。絶体絶命だったばかりだというのに、口が達者で、図太いというより外ないだろう。

 芽は目を見開いていた。真琴は呆れる。

「あの神様は元々建てられていた祠も潰され、民に崇められることもなかったから、お賽銭に飢えてるんだよ」

「お釣がお賽銭ですか……」

「そういうこと」

 人間より金にがめついところが助長され、どこかの誰かが「アクジキジハンキ」なんて名前をつけたものだから、力ある怪異と化してしまった、というのがアクジキジハンキの真相である。

 振り返って、真琴は苦虫を噛む。……アクジキジハンキに名前をつけたどこかの誰かって、僕のじいちゃんなんだよね、と脳内で付け足す。

 それからふと、手に伝わってくる振動に気づいて、真琴はそちらを見た。握っていた手の主──芽はがたがたと震えていた。

「……別に、瑠依に付き合う必要はなかったんだよ?」

「いえ」

 一息吐くと、芽は真っ直ぐな目で真琴を見つめ返した。

「友達のピンチを助けないなんてあり得ません」

「友達……?」

 友達認識するほど、芽と話した覚えは真琴にはないのだが……

「私のこと、ナツメグじゃなくて、ちゃんと名前で呼んでくれるから、それが嬉しくて」

「そんなこと、当たり前じゃん」

「当たり前なことが当たり前にできるからすごいんだよ。くっそイケメンだな、真琴ちゃん」

「お前に言われるとなんかむかつくんだが」

 茶々を入れてきた瑠依に流し目をしようとした瞬間、ぞわりと鳥肌が立つのを真琴は感じた。

 三人の目の前には、見覚えのあるが。

 ──見間違えようもない。都市伝説に名高い「アクジキジハンキ」が威風堂々とそこに佇んでいた。

「……! 都市伝説は神出鬼没、やられた……!」

「自分の言葉に足元掬われるとかないわー……」

 さすがの瑠依もおふざけを言う余裕はないらしい。芽がぎゅっと真琴の手を握りしめる。

 そこに、涼やかな女性の声が舞い降りた。

 裁定を下すように。




「トリックオアトリート」





 ……。

 …………。

 ………………。

 三人仲良く、思考停止した。

 こいつは今、何と言った?

 伝わっていないと判断したらしい女性が繰り返す。


「トリックオアトリート」


 二回聞けば、さすがに実感が湧いてくる。が、確認せずにはいられない。

 代表して真琴が問う。

「……今、なんて?」

「だから、トリックオアトリートと」

 どうやら聞き間違いではなさそうだ。この自販機、ハロウィーンの合言葉を言った。間違いなく。

「ううむ? 確か、神無月の末日にはこう言って甘味をねだるものだとまことから聞いていたのですが」

「……怪異に何教えてんだ、じいちゃん……」

 がっくり肩を落とす真琴。あー、と苦笑する瑠依。芽がきょとんとして聞く。

「まことって、真琴くんのことじゃないんですか?」

「うん、僕の名前、じいちゃんから音だけもらったやつだから」

「ちなみに私の瑠依って名前もおじいちゃんの名前が由来なのだ!」

「! そこの男児は実の孫ですか」

「はい」

 真琴が頷くと、少し考えてから、アクジキジハンキが説明した。

「さっきはつい本業をやってしまいましたが、毎年神無月の末日は『お菓子くれないと食べちゃうぞ』で楽しませていただいているんです。すると皆さん多種多様な甘味をくれるので、この日ばかりは人を食わないことにしているのです。あなたたちが何か甘味をくれるのであれば、先程食べた者たちを元に戻しましょう」

「さっすがアクジキジハンキ! 話が早いね」

「でも、僕たち甘味なんて……」

「あっ、私、今日給食で出たカボチャプリン持ってます」

「なんでだよ」

 カボチャプリンと言われて、そういえば今日はハロウィーンだったという実感が急に湧く。

 芽が恥ずかしそうに、ランドセルからカボチャプリンのカップを出す。

「カボチャプリン美味しいので……家で食べようと思ったんです……とてつもなく情けない顔になるらしいので、家で一人きりのときに食べようと……」

「まあ、うちの学校給食のデザート、やたら美味しいからね。わかるけど」

「何はともあれナツメグちゃんナイス!」

「ぷりん、ぷりんと言いましたか!?」

 アクジキジハンキがやたら食いついてくる。アクジキジハンキだけに……?

「ぷりんは甘味の中の甘味、至高の品です。それに南瓜ですと? はたまた面妖な。けれど、冬至南瓜で南瓜の甘味との相性は立証されています。ぷりんと合わさったら……嗚呼、想像しただけで涎が出そうです……!」

 涎が出る自販機などないだろうが。

「むっ、カボチャプリンを知らないのはアクジキジハンキさん神生じんせい損してます!! 是非ご賞味ください!!」

 わけのわからない熱意と熱意のぶつかり合い。置いてきぼりの真琴と瑠依は遠い目をした。

「……これ、本当にアクジキジハンキ?」

「じいちゃんの名前知ってる自販機の姿をした怪異なんて他にいないだろうからたぶんそうなんだよ」

 そして芽よ、先程までのアクジキジハンキへの恐怖はどこへ行った?

「では、怪異姿になりますので、口に放り込んでくださいませ」

「え、カップごとですか? スプーン持ってきたんで、一口ずつじっくり味わって食べませんか?」

 スプーンも持ち帰っている芽にツッコむ者は、この場にはいなかった。




「アクジキジハンキ、楽しそうで何よりだなぁ」

「僕たちの子孫が絡むなんて、感慨深いね、球磨川くん」

「本当だね、香久山くん」


 遥か彼方でそんな会話がされたとか云々。

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アクジキジハンキ 九JACK @9JACKwords

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