アクジキジハンキも尚架の存在に久々に救われたような気がしていた。

 アクジキジハンキは元々悪いものを食べる神様だ。神様だった頃はその悪いものを昇華──人間で言うところの代謝を使い、消化していた。

 だが、都市伝説となった今、いつぞや塞に説明した通り、アクジキジハンキはアクジキジハンキという都市伝説の怪異となり、神様ではなくなった。神様としての力を失ったのだ。

 アクジキジハンキの存在するための糧は、都市伝説として、人間の記憶の中に存在し続けることだ。球磨川や香久山、蓮の協力により、アクジキジハンキという都市伝説の存在は、今や街中に知れ渡っている。球磨川や香久山も大学に通っているというから、外の街でも言い触らしているかもしれない。事実、今は街から出なくても、インターネットで様々なツールを使えば拡散可能である。事実、球磨川はインターネットの掲示板なんかを使ったりして広めているとか。

 そんな中、昔のように悪意だの何だのを神様感覚で喰っていたわけだが、昔のように代謝できないのだ。まあ、悪いものが溜まって都市伝説や怪異として強い力を得るというのも都市伝説として強くなる一つの手ではあるが、神様感覚だったアクジキジハンキはそれが大変だった。大量の悪意を抱えてしまい、元々神様だったものだから自我が強く、狂うこともできない。

 その性質が厄介だったのだ。悪いものは体内に溜まっていく一方で、全然消化できない。それがもどかしく、狂えないのももどかしかった。

 それが、こうやって、清い心の人間とわかり合うことで昇華される。神様はこの感覚が好きだった。咲々や花で経験済だったからだろう。ああいう心の清い人間に浄化されるのが、とても温かくて心地よいのだ。

 それに人間の悪意などを食べて、人間の醜い部分を知っていく中で、こういう清らかな人間もまだいるのだ、と実感することが、どれほどの救いになることか。

「こちらこそ、ありがとうございます。あなたの存在にどれだけ救われたことか」

「いえ……」

「人間は醜いですけれど、皆一様に、捨てたものではないと、私は思うのです」

 咲々、花、実、蓮、尚架──これまでにアクジキジハンキが出会ってきた人間が醜さばかりが人間でないことを教えてくれた。

 故に、アクジキジハンキは祈るのだ。自分はもう神ではないけれど、人間の世界にあり、その守りでありたいと。

 人間は時に醜い。浅ましく、愚かな存在である。だが、それだけではないのだ。

 今やアクジキジハンキは人間がなくば、存在できない存在となってしまった。浅ましい人間は、アクジキジハンキの前にその愚かな姿を晒す。アクジキジハンキはそれを食べていくことになる。人間を傷つける。

 それは悲しいことだ。だが、アクジキジハンキはこの世に存在し続けることを望む。彼女は知っているのだ。人間は浅ましいだけでも、愚かなだけでもない。時には、その愚行にだって、意味が伴うのだ。家族を守るとか、友との契りのためとか。

 これだから人間は嫌いになれないのだ。やはり、元々は人間を守るための神様だったからだろうか。人間を嫌いにはなれない。時には憎く思うこともあるけれども。

 憎い者には仕置きを。ただ、心優しき者には報いる行動を。

 いつか、実に聞いた「座敷童子ざしきわらし」のように、恐れられるばかりの都市伝説ではなく、人に幸をもたらす存在になりたいとアクジキジハンキは願うのだ。

「あなたたちの未来が、これまでの苦しみの分、報われますように」

 そんな優しい元神様に尚架は微笑んだ。

「ありがとうございます、アクジキジハンキさま」

 元とはいえ、神様に祝福されるとは。これ以上の誉れがあるだろうか。

 尚架が礼を言うとアクジキジハンキはしゅるしゅるとその姿を変える。黒くてどろどろした化け物のような姿から、都市伝説の姿である自販機の姿へ。

 尚架はポシェットから、財布を取り出した。

 自販機に並ぶのはスポーツドリンク、浅煎りコーヒー、イチゴミルク、メロンコーラ、キウイ豆乳ミルク等々、統一性があまりない上に、変わった品揃えだ。自販機カスタマイズでメロンコーラには「好きな人には堪らない」だとかキウイ豆乳ミルクには「おすすめ商品」だとか、色々と書いてあるのが面白い。実は、冬バージョンもカスタマイズしてあって、アクジキジハンキは自販機としての話題性も高いというのはここだけの話である。

 尚架は二百円を入れて、キウイ豆乳ミルクを買った。ちゃりん、と小銭が奥に格納される音と共に、機械的な女声が聞こえてくる。

「お釣、いただきますね」

 尚架は微笑んで答えた。

「これくらいで神様に祝福していただけるのなら、お安いものです」

 アクジキジハンキは内心で嬉しそうに笑った。


 こうして、アクジキジハンキは語り継がれていく。今、キウイ豆乳ミルクを楽しそうに味わっている尚架や、他の街でオカルトを広めている球磨川の手によって。

 あるいは優しい神様として。あるいは恐ろしい都市伝説として。

 人間は恐れたり、面白がったり、反応は様々だ。だが、都市伝説にとって、どのような扱いを受けても、人間に語られることが生きていく術なのである。

 アクジキジハンキはそういう人間を無下にはしない。人間のために存在し、人間を驚かせたり、おののかせたりして生きていくのだ。人間に語られる代償行為……にでもなるのであろうか。

 「悪食」という呼ばれ方は正直好きではないが、自分を救ってくれた名前でもある。初めてもらった名前でもある。だから、アクジキジハンキはこの名前を大切にする。

「ああ、咲々や花にも呼んでほしかったですね。私のこの名前を」

 彼女らがいたときは、名前のない土地神に過ぎなかった自分。彼女らに報いることができていたか、自分にはわからない。

 彼女らを救うこともできず、都市伝説になってしまったのをただ指をくわえて見ていることしかできなかった。だが、そのおかげで、自分はアクジキジハンキという名前を得て、彼女たちと同じ「都市伝説」という怪異になれた。

 そのことで自分に何ができるかわからない。元より無能だった自分が尚更無能になっただけかもしれない。

 だが、アクジキジハンキは存在する。都市伝説という形で自分の形を証明する。

 時には人の手足を喰ったり、丸飲みしたりする怖い怪異だが。

 それでもアクジキジハンキは存在する。存在を証明するために。

 何より、愛する人間のために。


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