第3話 セラピー師、覚醒
コンコンとドアがノックされて、床でダンゴムシになっていたアレクは顔を上げた。
「みんな、まだいる? 最後のお願いに来たの」
セラの声だ。アレクは慌てて起き上がり、体についた埃を払った。
「何の用だ? それに入室の許可は出していないが。部外者は引っ込んでくれ」
ドアから顔を出したセラに、アレクは冷たく言った。ついさっきまでのダンゴムシから見事な切り替えであった。
クリスティーナが噴き出すのを必死でこらえて、それがかえってセラを小馬鹿にしたような表情になっている。トーマは無我の境地である。
「俺たちはもう寝る。邪魔をしないでくれ」
アレクが言うと、セラはうなずいた。
「じゃあ、眠ったままでいいから、私のセラピーを受けてね」
「何? セラピー? いつものマッサージのことか?」
アレクは眉をしかめる。セラは時折、仲間たちにマッサージをしてくれた。とても上手で、セラのマッサージを受けると次の日は疲れが吹き飛んでいる。とはいえ、あくまで通常のマッサージの効果範囲だったが。
「いらないわ。今更マッサージでもないでしょ」
と、クリスティーナ。本当はセラのマッサージが大好きなのだが、今は本音を言うわけにはいかない。
セラは首を振った。
「迷惑はかけないから。寝てくれていいよ。私、今の力を全部出して、みんなの体と魔力を整える。疲れを全部取って、全力を出せるコンディションにする」
いつも控えめで大人しいセラの力強い口調に、アレクたちはそっと目を見交わした。
「今までのお詫びと思って、やらせて。今なら何だか、いつもよりもっと効果が出せる気がするの」
トーマは目を細めた。彼の持つ鑑定スキルが、セラのセラピー師クラスのレベルアップを告げている。
この短時間で何故?
不思議に思ったトーマは、つい口に出して言ってしまった。
「いいでしょう。セラ殿がそこまで言うのであれば、試すのもありかと」
「おい、トーマ」
アレクが不機嫌な声を出した。彼としては必死の思いで大事なセラを遠ざけたのに、ここでボディタッチ(マッサージ)などされたら決意が鈍りそうで怖かったのだ。
「仕方ないわね。迷惑料代わりにやらせてあげる」
マッサージ大好きなクリスティーナは、欲望に負けたようだ。
「アレクもいいよね?」
強い瞳で見つめてくるセラに、アレクは内心で悲鳴を上げた。やめて! その目で見ないで! 大好きだから!
「ちっ、分かった。だが手短にしてくれ」
ぶっきらぼうに言うのが精一杯だった。
かくして、セラの『セラピー』が始まった。
砦の一室に簡易ベッドを3台持ち込んで、セラピーが始まった。
最初に受けるのはクリスティーナ。上着だけ脱いでベッドにうつ伏せに寝転がると、セラは彼女の背に手を伸ばした。
衣服越しに背骨をなぞって、セラは小さくため息をついた。
「クリスちゃん。何日も無理をして魔法を使ったでしょ。強い疲労で魔力回路が乱れているよ」
「仕方ないじゃない。あれだけの激戦だったのよ。出し惜しみしてたら負けてたわ」
「……」
その戦闘で何の役にも立てなかったのを思い出して、セラはぐっと手に力を入れた。指先から魔力が淡い光となって漏れ始める。
「……あれは!?」
鑑定スキルを発動させながら見守っていたトーマが、思わず呟いた。
セラの指先に集まった光は、今までに見たことのない強さで輝き始めた。真夏の太陽を思わせる黄金色の光の内側に、スキル名が浮かび上がる。
――『
セラの輝く指がクリスティーナの体を滑るたび、黄金色の軌跡がきらめく。疲労でボロボロになっていた魔力回路がみるみるうちに整って、元通りの、否、それ以上の魔力で満たされていく。
「え!? 何よこれ、どうなってるの!」
尋常ではない整いに驚いたクリスティーナが、声を上げた。起き上がろうとして、セラに押さえつけられている。
「動かないで。最後まできちんと施術しないと、効果が半減しちゃう」
「で、でも……」
「
「ふにゃぁぁあぁッ!?」
あられもない声が上がって、アレクは赤面して目をそらした。トーマはガン見である。
黄金の光が部屋を満たし、消える。果たして施術が終わったクリスティーナは、幸せそうにゆるんだ顔で昇天していた。よだれまで垂れている。
「よしっ! 完璧」
セラは彼女を仰向けにしてやると、お腹に毛布をかけた。優しく慈しみに満ちた手付きだった。
「次、トーマさんどうぞ」
「えっ。あ、はい」
トーマが巨体を簡易ベットに横たえる。ミシミシと音がしたが、ベッドはどうにか彼の体を支えた。
「トーマさんも無理をしすぎです。いくら防護魔法があっても、敵の攻撃を一身に集め続けるなんて」
「それこそが私の約目です。それに傷はすべて治癒魔法で治しました。何の問題が?」
「傷が治っても、失われた血と体力は戻らないの。骨や関節に特に負担が溜まって、歪みそうになってる……」
セラの指が再び黄金色に輝いた。鎧のような筋肉のトーマの体をぐいぐいと指圧していく。
トーマは思わず上ずった声を漏らした。
「はぁんっ!?」
「膝の関節がすり減っているよ。敵の重い攻撃を何度も受け止めていたものね」
「ひんっ!」
「腰の歪みもひどい。無理な姿勢を長く続けて、疲れ切っているの」
「ひゃあんっ!」
「肩も腕も、トーマさんがどれだけ体を張ってみんなを守ってくれたか、よく分かる。だから今の私の全力で、歪みを正す――
「アアアァァッ、またスキルがレベルアップを……ッ!」
黄金の光が収束した先には、完落ちしたトーマの姿があった。ちょっと表現できないくらいひどい有様である。
セラは彼にも毛布をかけて、お腹のあたりをぽんぽんと叩いてやった。母親が幼い子供にするような、愛情あふれる仕草だった。
「さあ、アレク。最後はあなたの番だよ」
「え! いや、あの、俺はいいよ!」
完全に天国に行っている仲間たちを見て、アレクは後ずさった。何年も片思いをしているセラの前で、あんなだらしない顔を晒したくない。彼は必死で断ったのだが。
「だめ。私は今まで役立たずだった分、今日は全力を尽くすと決めたの。だから、さあ、アレク」
「い、いや……」
やだーっ! とアレクは叫びたかったが、プライドが邪魔をした。
口ごもる彼の手を、セラは握った。アレクの体がぎくりとこわばる。
「アレク。お願い。……ううん、お願いなんてできる立場じゃないのは分かってる。でも最後に、少しでもあなたの力になりたいの。
今日が終わったら、二度と近づかないと約束する。だから、どうか、今日だけは……」
「うっ」
大好きな人が、至近距離で上目遣いに見つめてくる。しかも目には涙を浮かべて。
極大のプレッシャーにアレクは負けた。もとより勝ち目のない戦いだったのである。
「わ、分かった。じゃあ手短に頼む」
そう言うのが精一杯だったが。
「だめだよ。しっかり、みっちり、たっぷりやるから」
手を引かれてベッドに寝転んだ。不安と、何とか耐えなければという気持ちと、あとなんか羞恥心とか恋心とか期待しちゃう心とかがごちゃまぜになって、アレクは施術前から真っ赤になった。
「始めます――」
セラの手が肩に当てられる。暖かな感触にどきりとする。心臓がばくばくと破裂しそうになる――
結論を言うと、アレクも耐えられなかった。
耳元で愛の言葉(※愛は愛でも慈愛です)を囁かれ、全身をマッサージで優しく解きほぐされ、そこまでは勇者の強靭な精神で耐えた。かなり危なかったが何とかした。
けれどセラはその上を行った。
アレクは極楽浄土の幻覚を見ながら、深い眠りに落ちていった。
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