第79話 ラサルテ・サーキット(1)
1934年(元化9年)9月20日、木曜日。
この年のグランエプルーヴの最終戦、スペイングランプリの初日練習走行は午後2時半に1周17315mのラサルテ仮設コース全周の閉鎖と監視ポストへの審判配置が確認され、そして練習走行開始を告げる緑の旗が振られた。
すでに暖機して待っていた各機がピットアウトしてゆく。
普段と異なり、徐行で。
敵将たちがそれぞれの言葉で言うとおりに、ここラサルテのピットレーンには徐行でしか移動できないように配置が工夫されている。
主走路とピットレーンの間にある、能村が画像を見て「幅広の標石」と判断したものは路面電車の軌道敷なのだ。
しかも、レールはかなりすり減っており角が立っている。
油に濡れて光る鉄路で作られた堅牢な段差をタイヤを傷つけずに横切るには出来るだけ低速で直角に近い角度を選ぶよりほかにない。
各機、徐行で鉄路をほぼ直角に横切ってから右へ転回し、それから加速に移る。
ピットインしてくるときも同様だ。
まだ各機が出たばかりだが、大きな速力と浅い角度でのピットインも自殺の意図がない限りは出来ない。
最終コーナー内側の平坦路面、本来は路面電車の停留所であり乗客の滞留所でもある場所が主走路へ向けての加速レーンになっている。
ピットインするものは最終コーナー手前の750mの直線で右手に、路面電車の軌道敷に寄ってから徐行に近い速力まで減速し、深い角度で路面電車の鉄路を横切る。
それ以外の方法で、たとえばモンレリーやニュルブルクリンクで行うように直前で右へ寄せてから急減速し、浅い角度でピットレーンと主走路の区分線を跨ぐ方法でピットインを試みれば恐ろしい結果を招くだろう。
そして。
ピットインしないものは最終コーナーのバンクからピットを見下ろすことで、主走路へとピットアウトしてくるマシンを事前に見つけることが出来る。
これは93TCの検討中だったか?藤本顧問から聞いた話でもある。
バンクは単に高速での通過を実現するだけでなく、ピットレーンを見下ろし、またピットアウトする側が主走路を見上げるためにもあるのだと言う。
それをスペイン人は地形を利用して実現している。
最終コーナーの外側、進行方向左側はさらに高くなりひな壇状の観客席がある。
そしてこの最終コーナー兼第1コーナーを過ぎてからは両側には牧草地しかない幅10m近くもある直線路が続く。
スイス人が試みて今年は事故を招いた「分離帯を用いて完全に主走路とピットレーンを分ける」ほど本質的ではないが、しかし危険を減らすために既存道路を利用する良い工夫だろう。
それは午前中にピット裏手のパドックから始めた確認でも、そしてバスに出走ドライバーが相乗りし警護車両が前後を固めて実施されたコース確認走行でも了解されていた。
叶の言葉によると誰かが評し、ドライバーズ・ミーティングの出席者つまりバスの同乗者たちが笑って応じ認めたと言う。
「モンツァが剣闘士の闘技場だとするなら、ラサルテは闘牛場だ」と。
フェラーリ、あるいはその参謀の言葉「スペインでは闘牛であれモータースポーツであれ『客が納得できる形での決着』が重要である」のは事実らしい。
ピット事故であっけなく勝負がつくことは誰も望まないのだとも言う。
いずれは、スイスで試みられたようにピットレーンと主走路の間に「適度な高さ、適度な速力での合流や分岐」が行えるように分離帯が設けられるのだろうが。
機体の列がオリア市街地へ向けて遠ざかり、そしてオリア川がラサルテの丘陵地に刻んだ峡谷の間へと騒音が消えてゆくのを聞きながら能村は別のことを考えていた。
一昨年、初めてレースを見たアフスを思い出す。
ラサルテは能村が目にする、2つ目の「ほぼ全周がアスファルト舗装のコース」だ。
アスファルト舗装自体はタールマカダム舗装よりも古くから存在している技術ではある。
タイヤと路面の摩擦係数は舗装の性質それ自体よりも、タイヤに触れる石や礫とゴムの摩擦によって支配される。
が、アスファルトはタールはもちろんセメントコンクリートと比べても強い。固さには劣るがそれこそが、柔らかさが強度を担保している。
タールやセメントが砂礫を固定できなくなり砂礫がタイヤに弾き飛ばされる反動も、またタールが捩じ切られ砂礫を引きちぎられる剪断抵抗も便宜上「摩擦係数」と呼ぶ。
千里浜の砂がまだ固まり切っていない時と場所でも生じることだが、この「便宜上の摩擦」は滑り速度が過大であっても、あるいは接地圧が過大過少であっても大きくは上下しない。
昨年12月のアメリカ土木学会「高速道路路面研究部会:報告第13集」にR.A.モイヤー博士が寄せた実験結果によれば「今日の舗装技術においてもっとも安定して『摩擦力』を見込めるのは実は単なる砂利道である」と言う。
能村もこれには同意する。
ともあれ。
見た目にはタールマカダム舗装に見えるがアスファルト舗装ではこの傾向が全く異なる。
タイヤの接地面圧の過大過少、横滑りあるいは制動、加速時の接地面滑りが過大である場合には急激に摩擦力を失うと共に、タイヤ摩耗が激しくなる。
そして理由は判らないがAIACRの文書はアスファルト舗装であってもタールマカダム舗装の略称「ターマック」を用いることが多い。
実際に能村はスペイングランプリ開催者からの要綱を読むまでこのラサルテもタールマカダム舗装だと思い込んできた。
予想外ではある。
しかし、アフスで初観戦したときに真っ先に想定した「タイヤに合った重量の軽快なレーシングマシンが最も有利」となるのはアスファルト舗装上でのことだ。
フロントエンジンのマシンはアフスの南カーブ観客席で見たような、大きく制動してからの浅い角度での「キック」しか使えないことになる。
しかし、それが問題だ。
ほぼ全周アスファルトのコースでのレース経験はもとより実験も行えていない。千里浜の砂を固く締めた状態での試験がもっとも近い。
しかし近似と言うには無理がある。
そしてなによりも。
叶とツクバRTの面々以外は全員が「ほぼ全周がアスファルト舗装」のコースでのレース経験を持っている。
新たにフランス人ドライバーを雇い、また自らも出走するストレイトの御曹司は「初めてラサルテを走る」2人のドライバー(もう1人は叶)の1人だが、インディアナポリスを走っているのだから戸惑いはしないだろう。
公道仮設コースとあって練習走行は今日明日の午後に設定された3時間と土曜日午前の2時間、合計8時間のみ。
これでレース中の平均速力と、勝負所での速力に応じた設定を見出して練習させないといけない。
出来れば今日の午後5時半までの、あと3時間足らずのうちに機体の設定調整を終えて明日、明後日は練習に専念させたい。
*
2023年(令和5年)、5月16日。
スペイン、ラサルテ=オリア市。
かつての若者は中堅をやや過ぎた歳のモータージャーナリストとしてそこに居た。
F-1世界選手権の第74シーズンは第5戦マイアミまでは無事に開催できた。
しかしヨーロッパへ戻っての初戦、今年の第6戦に予定されていたエミリア・ロマーニャGPはとても開催できそうにない。
現地では数日前から珍しいことに集中豪雨が起きている。
日本の土木業界や国土交通省、自衛隊でも広範囲の水没が起きる前に対処するなど難しいであろう豪雨だ。
「曲がりくねった川のほとりに、堤防も築かずに住む」イタリア人が対処できるわけがない。
しかもエミリア・ロマーニャGPの開催地イモラ・サーキットはまさにイタリア的に、曲がりくねったサンテルノ川との間に堤防らしきものも設けずに作られているのだ。
つい先ほど、なんと「サンテルノ川が危険水位を超えた」なる発表があったらしいがイタリア人に「河川の危険水位」などと言う概念があっただけでも驚きだ。
というわけでぽっかりと予定が空いてしまった。
同業者には「ギリギリまでエミリア・ロマーニャGPの開催を現地で待つ」と言うものもいたが、洪水被害に遭わないと良いのだが。
30年前、数回にわたって行ったインタビューに際してデジカメで撮ってラップトップに収めた記録を携帯電話の画面に呼び出した。
30年。
あのころは駆け出しの契約ライターに過ぎず、いつでも当時のコースを訪れることが出来るだろうなどと思っていたがあっと言う間にこれだけの歳月が過ぎた。
あの老人がツクバRTのメンバーになってから、あの隠居暮らしの家でインタビューを受けるまでの60年と言う時間のおよそ半分。
たぶん彼も、さらなる30年をやはりあっと言う間に過ごすのだろう。
一昨年。
全世界を今も覆う災厄、もしかしたら「人類史上最悪の災害」の名が「いわゆるスペイン風邪=インフルエンザ」あるいは「毛沢東」「ヒトラー」から塗り替えられるかもしれない、
すでにその災厄はアメリカ合衆国では「建国以来最大の災厄」になっている。
アメリカ合衆国が経験した全ての戦争と内戦の戦死者を合わせたよりも、covid-19によって落命したアメリカ人の方がすでに多いのだ。
F-1世界選手権にも甚大な影響を与えた。
エミリア・ロマーニャGP自体、「中国GP」が開催不可能になったからこその代替開催だ。
富士スピードウェイが代替開催に名乗りを挙げ得なかったのは残念だ。
全世界を覆う災厄への対策においても、天災対策においても日本以上の国はないと思うのだが。
さて。
彼が生まれる前に開催された東京五輪から数えるなら57年を経た東京五輪の開会式前のあるニュースを思い出す。
そのニュースの主役は「前回の」東京五輪で空に五輪旗を描いたブルーインパルスの元搭乗員たち。
当時のブルーインパルス使用機を前に撮られた記念写真に写る気鋭の若手パイロットだった老人たちが目に輝きを戻しながらインタビューに応じていたことも思い出す。
そのインタビューを見て、彼が何を思い出したのかも。
ツクバRTの6人の中でただ一人、元化を生き延び修文時代まで生きた嵯峨野老人の姿と、「ツクバGP最終型:98RCを前に」と題された記念写真の中の姿との対比を思い出したのだ。
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