第56話 モンツァ(1)
日々はあっと言う間に過ぎて、8月末を迎えた。
8月のドイツでは「後に振り返れば歴史上の大事件」が起きたのだが、ツクバRTも東京自動車ロストク事務所も特に気にしなかった。
事件は8月2日、病床にあったヒンデンブルグ大統領が死去したことに始まる……と言うべきだろう、体裁としては。
服喪の後に営まれた国葬の場で故ヒンデンブルグ大統領の遺書が公開された。
「ヒトラー首相に大統領の職権職務を兼務させる」(大意)と言うもので、これに基づいて前日に制定された「ドイツ国元首法」が即時施行された。
8月19日、「ドイツ国家元首法」がドイツ共和国憲法に照らして合法か否かを問う国民投票が行われ即日開票、実に90パーセント近い票が「合法」に集まった。
これによってヒトラー首相は単に「故ヒンデンブルグ大統領の遺志」と「ドイツ国会議員の意志」だけでなく「ドイツ国民の総意とドイツ憲法に基づいて」国家元首となった。
開票結果を受けてヒトラー首相は「今後、ドイツ大統領の名は偉大なる故ヒンデンブルグ大統領のものとして永遠となる。私の職名は『ドイツ指導者兼首相たる総統』とする」と声明し、この日を境にヒトラー首相は「総統」となった。
単に手続き上の問題に過ぎない。
ドイツが民主共和制国家ではなくなっている事実、病床にあったヒンデンブルグ大統領が職務に耐えなくなっておりヒトラー首相が兼務していた事実が体裁を整えただけである。
だから、イタリアグランプリへ向けての試験走行と改良の日々、あるいはヨーロッパ向け輸出仕様乗用車が備えるべき機能の調査の日々においてツクバRTと東京自動車ロストク事務所の面々は休憩中の雑談の話題にすることもほとんどなかった。
「実態としての変化は7月の日本帝国での岡田内閣発足の方が大きいだろう」と呟いたものが誰だったのか、RTと事務所の誰も記録はしなかった。
ただ一人、修文の御代まで生き延びた元左輪交換手、嵯峨野氏がインタビューに答えて「誰かが一度、そんな事を言っただけ」と述べたのみであり事実かどうかさえ分からない。
*
この年のイタリアグランプリはイタリア北部のモンツァ・サーキットで9月9日に決勝レースを実施。
練習走行は9月3日月曜日から開始される。
これに余裕をもって間に合わせるために、ツクバRTは8月末日にロストクを発った。
距離としては真っすぐに南下してアルプスとスイスを縦断して南下する方が短いのだが、時間を見積もるとフランス経由の方が短いと見込まれた。
コンチネンタル社がタイヤ輸送に使うトラックとほぼ同サイズのチーム輸送車ではあるが、出来る限り峠超えは避けたい。
去年の千里浜試験で得た教訓ではある。
「羹に懲りてあえ物を吹く」とは能村自らの言葉。
すでにスターティンググリッドは主催者によるクジ引きで決定されている。不運なことに最後列の左だ。
これはゼッケン「13」と共に通知されている。
どうやら今回も他のチーム全てが「13」を「忌避番号」として記したらしい。
9月1日、日曜日。
モンツァ市へ向かう長旅の終わり近く。
能村は輸送車の休憩室で柿崎や整備班長、それに叶といくつかの確認を行ってからモンツァ・サーキットのコース図を思い浮かべていた。
イギリスのブルックランズ、アメリカのインディアナポリスに次いで世界で3番目に開設された常設のモータースポーツ用サーキット、モンツァ。
ピストルに似た型をしたロードコースと、競馬場を極限まで拡大したような長円形の高速周回路を組み合わせたコースである。
本来は1周辺り10km。
まず半径320mの半円が南北に二つ存在し、これが1220mの直線で結ばれた高速周回路がある。
そして、地図上で見るとピストルのシルエットに似たロードコースがある。これは「銃口」が南向き、地図上では下に向けられ「
全てのコース幅は8mで統一されている。
ホームストレートとして使われる西側の南北直線のみは大観客席が西に、ピットとパドックが東に配置されていて「舗装面の幅は」100mあるのだがレースコースとして用いるのはこのうち、観客席寄りの16m幅のみ。
ピットやパドック、パドック裏手の駐車場もこの舗装面上にある。
ピットカウンターは観客席から24m離れた場所に南北に並んでいる。
残りの幅8mはピットレーンとして用いられる。
観客席から見えるのも、レース中に用いるのもこの24m幅だけである。
そしてピットレーンを省いた16m幅の中央には移設可能な分離帯があり、つまりは幅8mの直線が2本隣り合っている。
分離帯とは言っても標石と土嚢だ。
昨年まで用いられていた10kmコースではその分離帯の東側、ピットに近い側のホームストレートからスタートする。
北上して高速周回路の北カーブに入る。
傾斜角21度、道幅は8mとあるからモンレリーの高速周回路のように「聳え立つ」とは言えない。
これは写真を見て確認した。モンレリーの高速周回路とは異なり、黒い。
モンレリーの高速周回路はセメントコンクリートむき出しだが、モンツァの高速周回路はセメントコンクリートにタールで目打ちしてあるとも書かれている。
モンレリーがあるパリ郊外に比してモンツァ市は降水量が少ないことは航研に居た頃から知っている。
どちらも、それぞれの国の空軍が飛行場候補に挙げたことがあるのだ。
*
日本ではまず考えられないことだが、セメントコンクリートは大気露出状態で乾燥が続くと炭酸カルシウムから結晶水が失われて強度も失う。
この対策は日本ではモルタルで目打ちするか建築用の塗装を施すか、あるいは石やトタンの装飾で十分だ。
パリ郊外でも似たものだろう。
が、モンツァ市ではそうは行かないことは容易に想像できる。
地図を見れば「堤防と支流の見当たらない曲がりくねった川」のすぐ傍に建物がいくつもある。
つまりモンツァ市には台風が来ないことはもちろん、集中豪雨もなくそれどころか支流を形成するような平均降雨もないのだ。
能村はもうひとつ知っている。
「セメントコンクリートを最も使い慣れている建築家はイタリアに居る」のだ。
「イタリアの首都ローマ周囲に、古代帝国時代から残っている建物のコンクリートは今日の工業生産されたコンクリートよりも強度が高い。適度な湿度と二酸化炭素を含む空気に1000年以上晒されているため」程度の知識でしかないが。
乾燥地でコンクリート内の湿度を適切に保つ工夫、適切に保湿したコンクリートの強度が長い時間スケールでどう変わるのか。
イタリアの土木工学界には能村の表層的な理解を遥かに超える知見と実例の蓄積があるはずだ。
写真を見る限り、モンツァの高速周回路はモンレリーの高速周回路よりずっと滑らかな路面だ。
「タールの黒さで陰影が写真に写らないだけ、実際にはモンレリー並みに粗い」場合の想定実験も行ってきた。
*
モンツァの高速周回路北カーブを時計回りに半径320mで180度の旋回を終えると1220mの直線に入る。
これを南下し、同じく半径320mで180度回り込む南カーブに入る。
これも傾斜は21度、道幅8m、時計回り。
南カーブを生きて通過することに成功すると観客席側のホームストレートを通過し、ロードコースの「大カーブ」をおよそ80度東へ回り込む。
「大カーブ」はその名に相応しく、半径は高速周回路のそれよりも大きく340mで東へと80度曲がる。
これを回り込むとピストルのシルエットで言えばピストルグリップの掌を当てる側に相当する、半径530mで北向きに21度曲がる曲線が続く。
これを通過すると「ピストルグリップの底」に相当するレズモ第1(半径80m、110度右旋回)、レズモ第2(半径90m、65度右旋回)コーナーを経て「指で握る箇所」相当の緩やかな曲線(半径590m、11度左旋回)に入る。
この曲線を出るとモンツァ唯一の高低差のある区間、高速周回路の下をくぐる立体交差を南西へ向かってまっすぐに通過する。
そしてピストルなら引き金がある場所の「ヴィアローネ」カーブ(半径550m、42度)を左へ曲がるとホームストレートと並行に伸びるバックストレッチに入る。
バックストレッチの終わりに控える最終コーナー「クルベッタ」がピストルのシルエットで言うなら銃口に相当する箇所となる。
ただしピストルのシルエットと決定的に違うのは「クルベッタ」は名前のとおりに丸いこと。
半径160mで180度の右旋回。
クルベッタには高速周回路よりは浅いが12度の内向き傾斜がある。
クルベッタを無事に回り終えると、ピット側のホームストレートへと戻って来る。
コントロールラインまで走れば10km。
これが例年のモンツァだが、昨年も死亡事故が起きた。
3人の、健在ならグランエプルーブの上位を争っていたであろう名手が1日のうちに死亡した。
うち1人は一昨年、アフスのパドックで挨拶した覚えのあるチャイコフスキー選手。
幸いにして3つの事故は観客席を守るフェンスが追加された箇所と、観客席がない場所で生じたために3人以外に死傷者は出なかった。
これに懲りてか、今年のイタリア王立自動車クラブはイタリアグランプリを「モンツァのフェンスあり区間と観客立ち入り禁止区間のみ用いて開催」と決定し、さらに
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「ドイツ国元首法」は実際には「ヒンデンブルク大統領の死の前日に」制定され「大統領の死と同時に施行」されたことはこの世界でも同じですが、無関心な人々の視点なので冒頭の記述にしました。
前年までのモンツァのレイアウト(10km)は大幅に略すと「二重丸を一筆書き」ですが私の筆力ではこうなりました。
古代ローマのコンクリートが今のコンクリートよりも強度その他に優れることは事実ですが、ここでは諸説あるうちの「経年変化」説を採用しています。
「それを熟知している土木技術者がイタリアに居る」は能村の見解であり、作中設定です。
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