第8話 いくつかの知見(1)
そして、気づいた。先頭集団の旋回時にもいくらか見られたが、第2集団は旋回しつつ小刻みに跳ねている。跳ねる場所も周期もそれぞれ異なる。つまり路面の凹凸が原因ではない。
原因はどうあれ、ドライバーたちの予想の範囲なのだろう。3人とも頭が揺れ動く様子がほとんど見えない。むしろ、3人の頭部に視線を向ける方が楽にその旋回を追える。
機体側面のゼッケンがぼやけて読み取りが難しいくらいに、跳ねては着地しまた跳ねるその周波数が高い。
かすかだが確実に、客席から背骨へと低周波が響く。能村の背骨が共振を起こしている。
と言うことは、操縦席にあるドライバーたちは大変な苦痛に耐えながら操縦していることが推測できる。よほど座席のクッションが優れたものでない限りは。
人体の固有振動数は、特に背骨のそれは体格にあまり関係せず、誰でもほとんど同じなのだ。
酷い設計だ。
バネが硬すぎるのか、それとも動きが渋いのか。
しかし、車両工学は有史以前から続いている学問だ。
航空工学などとは桁違いの膨大な蓄積がある。
航空工学者に過ぎない能村が気づく程度の初歩的問題に車両技術者たちが気づかないはずがない。
近年になって、人や家畜が曳くのとは桁違いの高速車両が出現してヴィークルダイナミクスと言う新しい学問が生まれたが、もしやヴィークルダイナミクスと言う新しい学問はレーシングカーの進歩に追いついていないのだろうか?
もしそうだとしたら、この能村にも車両設計のベテランに伍して設計開発する機会がありうる。
「誰も気づいていない上手い設計」などと言うものは、未知の分野にしか存在しないのだ。
既知の分野にそれを見つけたなら、単なる不勉強と不見識。
既知の分野には絶対と言ってよいくらい、「まだ誰も試していない新設計」など存在しない。
誰かがすでに試して、ダメと判っているから使われていないだけ。
あるいはもっと優れた設計が出現して廃れている。
既知の分野に見つけた「今使われていない新設計」はそのどちらかでしかない。
未知の分野にのみ、本物の「新しい何か」がある。それを見出せる可能性があると心に留めた。
しかし、それにしても3人とも、3台とも旋回速力が先頭集団とはかけ離れて速い。
酷い設計のサスペンションあるいはシャシーのために跳ねては着地することを繰り返していると言うのに、速い。
タイヤと車重が合っている?
アモントン=クーロン法則に従わないゴムと言う厄介な存在を味方にしている。
あるいは、何故かは知らないが設計者たちは今存在するレース用らしきタイヤ--飛行機のタイヤよりも優れている。飛行機のタイヤは200km/hを超える速力には耐えられない--に合わせて設計し、そして製作できている?
幸いなことに、高周波騒音は距離による減衰が強い。
そして、距離による減衰が弱い低周波騒音、腹膜を揺さぶる騒音は先頭集団ほど音圧が高くない。
観察だけでなく分析と考察を行う余裕があった。
『ロプコヴィッツ王子、生きています!今、ヒルデガルド病院へと搬送中と主催者から通知がありました!』
そして場内放送を聞き取る余裕も、その知らせを喜び、両隣の観客と手を叩きあう余裕もあった。
第2集団は右旋回から左旋回へ移るときにもわずかな後輪の蹴り出しだけで軽やかに移行し、そしてそれは左旋回から加速しつつ右旋回に移るときも同じだった。
仕事の休憩中に得たばかりの趣味を楽しみ、そして将来の仕事の計画を描いていた能村は修正を加えた。
設計するレーシングカーは、第2集団の3台よりも軽快でなくてはならないと。
そして第3集団が姿を現すが、場内放送は先頭集団を追うように次々に切り替わって行く。
能村が仕事に戻り、出走全車の……否、ロプコヴィッツ王子とレーヴィ選手--中央分離帯に停止した白い車から、さきほど自力で降り立った--を除くすべてのブレーキング開始点とブレーキング終了点を記録し終えてから2分ほどして、スタートラインのアナウンサーへと場内放送が切り替わった。
先頭集団が1周目を終えたらしい。
場内放送を通して、先頭集団のものと今では聞き分けられる騒音、そして7万人収容を謳う北ループ観客席、スタートライン観客席の観衆のざわめき、歓声、そして嘆きが聞こえる。
『1周目を終えて、首位はマセラティのドレフュス!次いで大きなブガッティのディーボ、小さいブガッティのブーリアット、アルファロメオのカラツィオラ、小さいブガッティのウィリアムズ!……メルセデスベンツのブラウフィッチュ、やや遅れて通過!』
そして周囲でも観衆の多くが嘆く。
それはそうだろう、パンフレットによると今日、ドイツ車に乗って出走しているドイツ人は2人だけ。
その片方であるブラウフィッチュ選手が1周目を終えて6位と言うのだ。
さきほど南ループを3位で通過したと言うのに。
もう一人の「ドイツ車に乗るドイツ人選手」はまだ1周目を終えていない。
観衆のほとんどがドイツ人であることは、発せられる言葉の響きで判る。
仮に日本で同じ国際競技会が--日本にはアフスのようなコースは無いから、行えるとしたら名古屋に建設中の「大通り」か--あり「日本車に乗る日本人」が1周目を終えて6位だったならばやはり観客席からは嘆きが聞かれるだろう。
誰か特定の選手あるいは特定のチームに入れ込んで観戦しているスポーツの観衆とは、一喜一憂が激しいものだ。
「15周のレースの1周目を終えたばかり」と能村は言ってみたが、先ほどロプコヴィッツ王子の生存を共に祝ったドイツ人たちは首を左右に振った。
別のスポーツ競技会を観戦していて、これと似た反応を何度も見た。
特定選手や特定チームや、特定の陣営に気持ちが入れ込んでいるスポーツの観衆が見せる反応と言うものは洋の東西、スポーツの種目を問わない。
野球に例えるならまだ初回の表が終わり裏の1アウトまで進んだ程度だと言うのに、この反応。
類似の反応を何度も野球場で見たし、ラグビー競技場でも、陸上競技場でも見た。
能村は野球でもラグビーでも、陸上競技会でも競技会そのものを楽しむことに専念している。そのような観戦経験しかない。
だから、特定陣営なり選手やチームに思い入れを持って観戦する者の胸中はさっぱり分からない。
その方が、特定の選手やチームや、陣営を応援する方が楽しいのだろうか?
それにしても先頭集団と第2集団の差はここ南ループに近づいたときには1kmほどもあったと言うのに、折り返して上り線を走るほぼ同じ距離の間にその差が埋まっているらしい。
原因は上り線を加速してゆくときの初速の違い、旋回速力の違いだろうか?
それとも先頭集団各車、各選手には何か作戦があるのか?
『ただ今主催者より発表がありました。1周目のドレフュスのタイムは6分3秒6、平均速力は202km/h。……そして、今ハンガリーのハルトマンがリタイア。南ループへの半ばでマシンをコース脇に停め、コース保安員の牽引に委ねました』
今や3台、3人ではなくなったらしい先頭集団が近づき、足裏にその響きが聴こえはじめたころに場内放送がそう告げた。
静止状態からスタートしての通算計時だろうか、それともどこか計時開始記録線があるのだろうか?
車ではなく機械、マシーネと告げたがレースではそう呼ぶ慣習なのだろうか?
パンフレットを見ても判らなかったので、能村は両隣の観客に聞いてみた。
「もちろんスタートラインからの計時さ。2周目はもっと速いはずだよ、練習走行では今日出走している全員が6分を切っているからね」
「残念ながら一番速かったのは、ポールポジションを得たのはフランスのあのディーボだ。5分29秒だったか?ああそうそう、確かに普通は、レーシングカーを『機械』と呼ぶね。あまりにも普通の自動車とは違うからかな?」
次々に答えが返される。片方の答えは、足裏に響く低周波が伝えるものとは違ったが。
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本作は全てフィクションですが「グリューネワルト公園」の傍に「ヒルデガルド記念病院」があったのは事実です。
ストーリーとは関係ありません。
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