魔術学院最下位クラスの俺、首席の天才王子様系女子の師匠なのだが、弟子が俺から自立してくれない件

やまなみ

1.愛弟子の依存心がやばい

「ライル!ねえ、ライル!

起きてよ!」


頭上から、よく通る高い声が俺を呼ぶ。

昔なじみの、よく知っている声だ。


「なんだあ…

ロークか?」

俺は昼寝明けで重いまぶたを渋々開ける。



目を開けると、黒髪に猫耳を生やした獣族の青年が俺の顔を見下ろしていた。

片目には目を覆い隠す黒い眼帯を着けているのが特徴的だ。

俺は学院のベンチで寝ていたから、彼に寝起きの顔を覗き込まれている状態だ。


「なんだ、じゃないよ。

お昼はボクと一緒にご飯を食べるのが毎日の約束じゃないか。


いつもの場所にいないから、どうしたのかと心配してたら、こんなところでサボっているなんて!」


獣族の彼─ロークは、ぷりぷりと怒った素振りで俺に不満をこぼした。


間近で見ると、恐ろしく顔が良い。


ただ怒ったようなしかめっ面をしているだけなのに、絵になるような凛々しさが漂っている。

首席生仕様の豪華な制服も合わさって、さながら麗しの王子様のような佇まいだ。


その美しさに魅了されて、彼に憧れる学院の女子も多い。


今の怒った顔を見ただけで、彼の非公式ファンクラブ会員が20人は増えるだろう。



とはいえ俺にとっては散々見知った顔だ。


今はただ怒ったフリをしているだけで、俺にかまって欲しいだけなのもよく分かっている。


それと…ロークが本当は女だということも、本当の名前は別にあるということも、俺だけが知っている。

事情があって、ロークは表向き男として通しているのだ。


「ああ……悪い悪い。

最近やたら眠くてさ。

ここのベンチがちょうど心地が良くて、寝過ぎたみたいだ」


俺は適当に謝ると、ベンチから立ち上がった。


「まったくもう。

ちゃんとしたとこで寝なよ。

そんなんじゃ身体壊すよ?」

ロークが小言を言ってくる。


「はいはい。

心配しなくても大丈夫だって。

身体だけは丈夫なんだから」



「キミはいつもそう言って自分を大事にしないんだから……。

ボクの師匠なんだから、心配させないでよ…。

はあ…。


まあいいさ。

ほら、早く行くよ」


「うい」

俺たちはそのまま中庭に向かった。


ーーーーーー

「おい見ろよ、ロークさんだ」

「今日も美しいわ……」

「ぶっちぎりで首席なのに、あのイケメンだもんな。嫉妬すら湧かないよ」

「また女子から告白されたんだって?」

「ローク様と釣り合う女なんていないわよ!ファンクラブ会員として、遠くで見るのが正しいあり方よ!」



学院の廊下をロークと歩いていると、ガヤガヤと噂をする声が聞こえてくる。


大体はロークのことを話す声だ。



無理もない。

ロークは魔術学院始まって以来の天才と言われていて、学院の生徒では並ぶものがいないほどの実力者だ。


ただでさえ実力主義の魔術師の世界だ。

そのうえ眼を見張るほどの美形なのだから、人気が出るのも当然のことだろう。


特に女子人気が高く、ファンクラブさえあるほどだ。



そんな人気っぷりだから、学院の中をロークと一緒に歩くと、大体話題の中心に彼がいることになる。


正直、ロークが人気な事自体は嬉しいことだが、あまり目立ちたくない俺にとっては困ったものだ。



というのも…


「ところで、あのみすぼらしい男は何者なのかしら? 見たことないわね」

俺に向けられた視線を感じて、ギクリと嫌な気分になる。


「ああ、あいつね。

ローク様の腰巾着らしいよ。

なんでも、同郷のよしみで側に居させてもらってるとか」

「いや…釣り合ってなさすぎでしょ…

あいつ、あの最底辺クラスの所属だろ?

まともに魔術を扱えない、この学院の恥晒し共じゃないか」

「身なりもひどいよね…

あんなボロボロの服を着て恥ずかしくないのかしら。

なんであれが首席のロークさんと並び歩いてるの?」

「昔のロークさんの弱みを握っていて、

無理やり近くにいるとか聞いたぜ」

「え〜、マジ?きっも………」

「ガチのゴミ野郎じゃん……」



ヒソヒソと俺への陰口が聞こえる。


俺がロークと一緒に居ることで、俺への妬みや見下し混じりに陰口を叩かれるのはいつものことだ。


「ライル。

早く行こう」

ロークが俺を急かす。


「へいへい。

まあ落ち着けって」

俺は足早に彼についていく。


ロークはいつもの涼しい顔をしている。

だが、俺だけにしか分からないほどの微妙な表情の変化から、内心は深い怒りを溜め込んでいるのが分かる。


俺への陰口や攻撃を、誰よりも嫌っているのはロークだ。

俺自身、今更どう言われても無視しようと思っているが、ロークに迷惑をかかることは避けたい。

足早に野次馬共の群れを通り抜けた。


ーーー


中庭に着くと、生徒たちが思い思いに過ごしている様子が見えた。

中庭といえど、遥か遠くを見渡せるほどの広さがある。


噴水のそばで談笑しているグループもあれば、芝生の上で昼寝をしている生徒もいる。


この中庭の端っこに、ちょうど他の人から見えないようになっている区画がある。


そこのベンチに座って食べるのが、俺とロークの昼食の決まりだった。


「はいこれ。

キミのために作ってきたんだ。

食べてよ」


ロークは弁当箱を開けると、中の美味しそうなサンドイッチを俺に渡してきた。


いつもロークが2人分の昼食を作ってくる。

「学業で忙しいだろうからやらなくてもいい」と俺は言っていたのだが、本人がやたらと俺の分も作りたがるのだ。


「おお、美味そう!

サンキュっ」

俺は早速、受け取ったサンドイッチを口に運んだ。


「うまい!」

「だろ?」

自慢げにロークが胸を張る。


「やっぱお前の料理は最高だよな」

「ふふんっ。そうだろ、そうだろ」


「しかし、いつも俺の好みの食い物を作ってくれるけど…。

なんで分かるんだ?」


ロークの作ったものは、俺の好みそのものだ。

その上毎回同じ味で飽きないように、味付けも微妙に変えているし、その日俺が食べたいと考えているものが出てくることが多い。


正直、俺以上に俺のことを知っているような気がして怖いくらいだ。


「キミのことなら何でもお見通しだよ。

ボクの観察眼を舐めないで欲しいな」


ロークが得意げな顔で言う。

「お、おう。

そりゃ嬉しいことだが…」


「ボクにとってキミは、敬愛する師なんだ。

誰よりも大切な存在なんだよ。

だからどんなだけ観察しても、まるで飽きる気がしない」


「そ、そりゃ光栄だな……」

敬愛する師。

この言葉をロークから聞くたびに、俺の心には複雑な感情が湧く。



ロークは俺の弟子だ。

もともとロークはスラムの孤児で、日々盗みを働いてなんとか食いつないでいる子供だった。

彼はまったく魔術とは縁もゆかりもない環境にいたのだ。


たまたまスラムを通りがかった俺はロークと出会い、彼の秘めたる魔術の才能に見惚れた。

そのまま半ば強引に弟子にして、俺が知っている魔術の基礎を教えたのだ。


彼はとても優秀で、今では国を代表する魔術学院の首席にまでなった。

俺が彼にした事は間違いではなかったと確信している。


もし俺が見つけていなかったら、ロークは間違いなくスラムで野垂れ死んでいた。

それが、ここまで人々の称賛を浴び、国の未来を背負って立つような逸材になったのだ。


それは彼の師匠として、これ以上無いほどの喜びだ。



しかし、それと同時に……


俺は、自分に不甲斐なさを感じている。


俺がロークを魔術の世界に引き込んだ以上、彼の可能性をできる限り引き出してやる義務がある。


ロークの人生を、優れた魔術師の道へと導かねばならない。

ロークにもっと、人生の選択肢を増やしてやりたい。

それが師として、俺の責務だ。


それなのに……


「な、なあ。

ローク。

ちょっと大事な話があるんだが…」


「ん? どうしたの?」


「あー……実はだな。


その…………こうやって二人で会う時間を減らしたほうがいいんじゃないかって思ってるんだ」




ロークの顔が、僅かに引きつったのが見えた。



「…………なんで?」


表情には大きな変化はないが、その場がピリッとした空気に変わった。


「いや……なんていうか……

ほら、俺たちが一緒にいると周りから色々言われるだろ?


俺のせいでお前にも変な噂とかも立ってるしさ。

だからあんまり一緒にいるところを見られたくないというか……」


「そんなの関係ないよ。

キミとボクの仲なんだから」


あからさまなツンとした態度。

予想はしていたが、この話題はロークの地雷だ。

だが、ここで話をやめてズルズルと現状を維持するわけにはいかない。


「いや、あるんだよ。


お前はもうこの学院の首席生だ。


俺のような日陰者がお前の師匠だって皆に知れたら、お前の評判に傷がついちまう。

俺が側にいることで、お前の評判が落ちるのは嫌なんだよ」


「評判?


そんなもの気にしてどうするんだ?

キミの素晴らしさを分からない程度の奴らにどう思われようが、ボクの知ったことじゃない。



そんなことを気にするくらいなら、ボクはずっとキミの側にいたいよ」


「そう言ってくれるのはありがたいがな。

やっぱりダメだ。


今ので分かった。


お前の将来のためにも、俺と一緒にいない方がいい」


ロークはむっとした顔をした。


「何がダメだっていうのさ。

ボクの将来と、キミと離れ離れになることが何の関係があるっていうんだ?」


俺はため息を吐きながら、ロークに答えた。


「そういうところだよ。

お前、俺に依存しすぎだ。


お前には他の誰よりも素晴らしい才能がある。

それなのに俺に依存しすぎて、お前の可能性がどんどん損なわれているのを見るのが忍びないんだよ。


だから…」


「じゃあ、魔術師辞めるよ」


俺の言葉の途中で、ロークが冷たい言葉で言い捨てた。


いきなりの強い言葉に、俺はペースを乱される。

「い、いや待て。

お前は何を言ってるんだ。


魔術師を辞める!?

どうしてそうなるんだ」


「依存してるからだよ。

ボクはキミがいないのが耐えられない」


「おいおい…」


ここまで真っすぐに歪んだことを言われると、言葉に詰まってしまう。

そんな俺とは裏腹に、ロークは言葉を続ける。


「魔術を始めたのは、キミから魔術を学べば、もっとキミと一緒に過ごせると思ったからだ。


今必死で魔術を学んでいるのだって、キミと肩を並べる立派な魔術師になって、キミと一緒に過ごす時間を増やしたいからだ。


キミをバカにする奴らを黙らせていないのは、ボクが暴力を振るったら、キミが悲しむからだ。


それなのに、今は昼食と夜の稽古くらいしか一緒にいれないじゃないか。

それだけでも少ないと思うのに、これ以上一緒の時間を減らすなんて、ボクには無理だね」


「いやいや、十分一緒に過ごしてるだろ…

毎日顔を合わせてるんだし」


俺が口を挟むと、ロークはムキになって声を荒げた。


「全然足りない!

ボクは昔みたいに、四六時中キミのそばにいたいんだよ。


学院に入学してから、別クラスだとかふざけた理由のせいで授業中は会えないし!

ボクはキミと同じ教室で勉強したいのに!



なんだか魔術師の道を進めば進むほど、キミがどんどん遠ざかっていく気がするんだ。


より強い魔術師になるために、キミとの時間を減らさないといけないなら、ボクは魔術師を辞める方を選ぶよ」


「………」


やはり、俺は教え方を間違えたのかもしれない。


ロークにはまるで自立するつもりがない。

本人には十分な力があるのに、心のほうが全く追いついていないのだ。



「いや、流石に辞めるってのは話が飛びすぎだろ…」


「いいや、ボクは本気だよ。

キミがボクを遠ざけると言うなら、ボクは今すぐにでも退学届を出すよ。

それでどこへともなく学院の外をさまようんだ。


ボク、どうなっちゃうんだろうな?


キミに拒絶されたショックで、生きる気力もなくなってるだろうから、その辺の路上で行き倒れてるかもね。


この服は目立つから、街道のゴロツキにひどい目に合わされて、散々辱められて殺されるかもしれない。

ゴロツキをやるような連中は、エリートの魔術師にひどく嫉妬と憎悪を抱いている奴らが多いからなあ。

人の形を残して死ぬことさえ難しいかもしれないね。


ああ、嫌だなあ。

苦しいだろうなあ。

ボクは最期までキミを想って、ボロ雑巾のように朽ち果てるんだ。

でもキミはボクのことを何とも思っていないんだもんね、ボクのことを拒絶するくらいなんだから。

ボクの想いも、才能も、産まれてきた意味さえ全部無駄になってしまうんだ。

ボクのことなんかどうでもいいと思っているキミのせいで。


辛いなあ。

悲しいなあ。

ひどいよなあ、キミは。

何も持たなかったボクを拾って、ボクの心をキミで満たしてくれたくせに。

飽きてうっとおしくなったらボクを突き放すんだもの。

そんなの、ボクに死ねと言っているようなものじゃないか。


この心の傷は大きいなあ。

この痛みを治すにはどうしたらいいかな?

やっぱり、傷をつけた本人が治すべきかな?

でも、無理だよね。

だってキミはボクのことを勝手に野垂れ死ねばいいと思っているんだもの。

ボクの心の傷を治してはくれないし、ボクと一緒に過ごしたいとも言ってくれないんだろうなあ」



「………」

…………まじかこいつ……。


ロークがものすごいネチネチした嫌味で畳み掛ける。


ここまで来ると、とんでもない被害妄想と言う他ないが、俺の弟子の恐ろしいところは、今の内容を口だけではなく、実際にやりかねないところだ。


昔から、こいつはどこか行動のブレーキが壊れていた。


間違いなく、この場で俺が拒絶したら即魔術師を辞めて、俺が見つけることの出来ないところで自死を図るだろう。


ロークとはそういう女だ。


「…はあ、しょうがねえなあ。


そんなに俺と過ごしたいなら、夜の稽古の時間を増やそう。

あの時間なら、誰かに見られることもないから問題はないはずだ。

その代わり昼の時間に会うのは止める。

それでどうだ?」


我ながら甘いと思う。

ロークがやたら頑固だから、いつもこうやって俺のほうが譲歩してしまう。

だが…


「嫌だよ」

「嫌ってお前……」

即答され、思わず呆れてしまう。


「昼に会えないと、キミにボクの作った料理を食べてもらえなくなっちゃうじゃないか!

キミの全てを見ているボクが、キミのために料理を作り、キミがそれを食べる。


この時間がボクにとってどれだけ大事なのか、本当にキミは分かっていないんだね」


ロークの異常なほどの執着にあてられて、俺は寒気を感じた。

「…ローク、お前マジで怖いぞ…?」


「キミがボクの気持ちを理解してくれないからだよ!


それに夜の稽古を長くするって言ってるけど、本当にできるの?

最近のキミはなんだか余所余所しい感じで、すぐに稽古を切り上げようとしているじゃないか!」


「そ、それはすまん……

最近ちょっと忙しくてな……」


「そうだよね。知ってるよ。

学院の依頼で、夜中に魔物退治してるんだもんね」



ロークの言う通り、俺は学院の依頼で魔物退治をしている。


表向き俺は最下位クラスに所属していることになっているが、そのあたりの魔術師よりは魔術の練度が高い。


その腕を買われて、学院から強力な魔物の討伐を任されることがある程度には力がある。



そもそも俺のクラスは落ちこぼれのクラスではない。

俺のいるクラスは、皆特殊な理由があって、通常の魔術師としての指標では測ることができない力を持った者達が集まっている。


学院内の地位が低いように見えるのは、安全のためだ。

もしこのクラスの生徒が持っている力が狙われることがあったら、多大な被害が出るリスクがある。

だから、学院はこのクラスの生徒を表向き低ランクの魔術師として扱うようにしているのだ。


「ああ、そうなんだよ。


だから魔物退治の依頼がある日は、時間を取れないと思う。

それでも他の日なら…」


「そう言って、あの女と二人で学院を抜け出してるんだよね」



「えっ……」


予想外の言葉に、俺は固まってしまう。

ロークに言っているのは、俺が夜中に魔物退治に出かけていることだけだ。


なぜ、彼女のことを…?



「気づいていないと思ってたのかい?

この前、二人で深夜の中庭を歩いていたじゃないか。

ずいぶん仲が良さそうだったね」


「なっ…」

まずいな。


見られていたとは思っていなかった。

だが、ロークが思うような関係じゃないから、理由を説明すれば大丈夫だ。


「い、いや、あれは違うんだ。

ただの仕事仲間というか…。

何度か一緒に魔物退治に行っただけだ。


そんなに深い仲じゃない」



「ふーん。


じゃあ、なんであの女はキミにキスしたの?」


「は!?」


とんでもない言葉に、俺は思わず大声を出してしまった。


「ボク、見たんだよ。

あの卑しいクソ女が、キミに口づけをしてるところを。


あの女、あれで聖女と言われているんだって?

笑っちゃうよね。

あんなことをして、聖女なんてさ」



「い、いやあれはだな……」


「わかってる。

キミの意思じゃないんだよね。

キミがあんな安い女に心惹かれるはずがないもの。


おおかたあの女が聖女の立場を利用して、キミに関係を迫ったんだろう」


ロークの言う通り、俺に気はなかった。


聖女のほうが俺に無理やり関係を迫ってきたのだ。

俺は仕事仲間と男女の関係になりたくなかったから、何度も断った。


それを見て相手も諦めようとしたのか、「未練を断ち切るために、最後のキスをして欲しい」と頼まれたのだ。


俺は渋々それを受け入れたのだが、ちょうど最中をロークに見られてしまったようだ。


…だが、そもそもロークはなぜそこまで見ているんだ?

俺をずっと監視しているのかと疑うほど、ロークは俺のことを知っている。


「いや、だから……」


「でも、キミも悪いよね。

いつもそんな無防備で、悪い女がつけ入りそうな隙だらけでさ。



キミみたいなすごく美味しそうな極上のエサ、ああいう卑しいメスに目をつけられたらひとたまりもないよ。


警戒しないと。

女は男を食い散らかすものなんだから」


「……」


ローク自身は女だが、異常なほど女を嫌悪している。


どうやら俺に出会うまでの幼少期のトラウマが原因なようだ。

ローク自身が男装しているのも、俺に対して妙な執着をしているのも、このトラウマが理由らしい。


それにしても、女への認識が歪みすぎだとは思うが…。



「ほんと、許せないなあ。

あんなことをして、ボクのライルを穢すなんて。


あいつはボクの大切な師を堕落させようとしたんだ。

この世全ての苦しみを背負わせて、地獄に落としてやるくらいはしないと気がすまないよ…」


声から憎しみが滲み出している。

前から思っていたが、俺の弟子は頭のネジが何本か飛んでいるようだ。


「俺は誰のものでもないんだけどな……」


「うるさい!


とにかく、もう二度とあの女と二人きりで会わないってこの場で誓ってくれないと、ボクは魔術師を辞めるからね!」


ロークは強い口調で言うと、ぷいと顔を背けた。


どうやら話を聞くつもりはなさそうだ。

こうなると、俺が折れるしかない。


「わ、わかったよ。

聖女さんとはなるべく会わないようにする。

少なくとも、二人きりには絶対にならないようにはするよ」


ロークに言われるまでもなく、俺はもともとそうして聖女と距離を取るつもりだった。

あれだけ断ったのに、聖女の方は明らかに俺を諦めていないからだ。


「本当?

約束だよ?」


ロークがこちらを向いて念押ししてくる。

「ああ、本当だ」

「そう……よかった……」


ロークがほっとしたように息をつく。


…だが、話はそれで終わらなかった。


「じゃあ、夜の稽古も増やしてくれるし、魔物の討伐で出かけるときも、ボクを連れて行ってくれるんだよね!」


「……え?」

俺は固まる。

魔物退治に連れて行くだって……?

そんなこと、俺は一言も言っていないぞ!?


嫌な予感がした。

そして、その予感はすぐに事実に変わる。


「ほら、早く言ってくれないかな?

ボクは気が短いんだよ」


「い、いやあ。

流石にそこまでは……」


「どうして? キミが言ったんじゃないか。

夜は稽古の時間を増やすって」


「そ、それは稽古の話だろ?

魔物退治に同行するのは、話が別じゃないか」


「一緒だよ。魔物退治に行くんでしょ。

ボクとの大事な稽古の時間を削ってね。


だったら、魔物退治の時間も稽古の時間と見なしていいじゃないか。

もともと稽古をしていたのも魔術の鍛錬のためなんだから、魔物退治で実戦経験を積むのも稽古として有効だよね」


「いやいや、そういう問題じゃないだろ……」


「なにが問題なのさ。

キミと一緒に実戦経験を積むのは稽古だよ。

そしてキミは稽古の時間を増やすと言った。

それはつまり、魔物退治に行くときは必ずボクと一緒に行くってことだよ。

今更やっぱりなしだなんて言わないよね」


ロークの目が据わり、凄まじい圧をかけてくる。

話が相当ねじ曲げられているが、こうなったロークはもうどうにもならない。


「いや…駄目だろ…

お前には昼間の学業があるん…」

「もうこの学校のカリキュラムは全部やったし、ボクは昼間の授業に出なくてもいいって言われてるよ」

俺が言い切る前に、ロークに反論される。


「…普段の生活はどうするんだ?

俺とお前じゃ、生活リズムが違うだろ。

討伐任務って、夜中だけじゃなくて、結構時間帯がまちまちなんだが」


「そんなことはどうにでもなるよ。

キミとボクが一緒の部屋で暮らせばね」


俺はまたミスった、と気づいた。

ロークに反論するはずが、ロークがさらに要求する隙を与えてしまったのだ。


ロークは畳み掛ける。

「そうだ。

最初からそうすればよかったんだ。

ボクたちはまた一緒に暮らすべきだよ。


ボクたちは師弟なんだから、寝食を共にして過ごす方が理にかなっている。


それならボクがキミの食事を朝昼晩全て作ってあげることもできるし、キミの身の回りの世話も全部できるんだから」


「俺はお前を召使にするつもりはないぞ?」


「ボクがやりたいんだからいいじゃないか!

ボクはキミのために生きたいんだよ! ボクがキミを支えて! キミを幸せにしてあげたいんだ!それがいい!!」

ロークの語気が強まり、顔が紅潮していく。

もう止められない。


「いやだから、それは駄目だって…」

「じゃあ学院辞める!」

「ぐっ…!それはもっと駄目だ……」


完全にロークが場を支配している。



下手にロークから距離を置こうとしたのが間違いだった。


最強の交渉カードである「魔術師を辞める」という切り札を持っている以上、俺がロークを突き放すことなどできないのだ。


そもそも俺がロークの身を案じている限り、俺はロークの要求を断れない。


俺はロークの不満や寂しさを先んじて把握し、彼の心の隙間を常に満たしてやらなければならなかったのだ。



そうでなければその反動で、ロークはどんどん俺との共依存を深めようとしてくるのだから。

これではどちらが師なのかもわからなくなってくるが…


「……」

もう、何を言っても無駄だろう。

もはや言葉も出ず、呆れ返る俺。


ロークは俺が黙っているのを肯定と捉えたのか、純粋さの中に蠱惑的な色が滲んだ笑みを浮かべた。



……これは、どうしようもないな。

はは、もうどうにでもなっちまえ。



俺が諦めの境地に達し始めた後、さらにいくつかロークの要求を呑まされた。


結果的に。



俺はロークと同じ部屋で同居することになったのである。


それで朝昼晩、ロークが授業を受けている時間以外はほぼ全ての時間を、ロークと共に過ごすことになった。


それは当然のように、睡眠も深夜の討伐依頼のときも、食事の時間も全てだ。



俺とロークが二人きりになる時間は、以前ロークと暮らしていた時よりも増えてしまった。


そして以前の子供だった頃と違い、年頃の男女の年齢にもなった俺とロークの関係は、以前とは比べものにならないほど密接になった。




ロークが俺の子を妊娠し、俺の逃げ道が完全に断たれたのは、それから一年後の事だった。


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