猫とすみれ

玉舞黄色

第1話

 にゃーお、にゃーお、にゃーお

 猫の鳴き声が聞こえる。

 こんな雨の日、どこから聞こえるんだろう―――


 キーンコーンカーンコーン

「では、終礼を終わります」

 先生がそう言うと、いきなり教室が騒がしくなる。

 私は今日、掃除当番だ。

 ほうきを手に取り、教室の床を掃いていく。

 さっさと終わらして、家に帰ろう。

 そうして、手を休めずに掃除した。

 やっと掃除が終わって家へと向かう。

 昨日はここら辺で猫の声を聞いたんだよね。

 帰り道の途中にある、古い小さな家の前でふと立ち止まった。

 今日は聞こえてこないか。

 そう思い立ち去ろうとすると、ふいに聞こえてきた。

 にゃおーん

 その家の方を振り向くと、屋根に猫がいた。

 三毛猫かな。

 猫と私が見つめ合っていると、その家から人が現れた。

「おやミケ、そんなところにいたのかい。ほら、こっちおいで」

 その人がその三毛猫に声をかけると、ミケと呼ばれた猫はにゃーんと声を出して器用に降りてきた。

 そして、その人が抱きかかえた。

 そのとき、私の存在に気づいたようだった。

「こ、こんにちは」

 私が挨拶すると、その人も返してきた。

「こんにちは。さっきこの子を見ていましたよね。少しなでますか?」

 うう、なんて魅力的な誘いなんだ……

 恐る恐る近づいて、なでる。

 その猫は怒りもせず、気持ちよさそうにしている。

「この子の名前、ミケって言うんですか?」

 なでながらそう聞いた。

「そうですよ。三毛猫だからミケ。なんとも安直な名前です」

 そう言って笑っていた。

「立ち話も何ですから、家に入りますか?」

 その人は私にそう聞いてきた。

 私は習い事も何もしていない。

 思わず返事をしていた。

「お邪魔します……」

 その家は落ち着いていて、なんだか居心地がいい。

 私は居間に通され、ソファに座った。

「すみません、名乗りがまだでしたね。藤村一郎といいます」

 そう言って頭を下げてきた。

「私は今村すみれです」

 私も頭を下げる。

「今村さんはいま、おいくつですか?」

「十四歳です」

 いつの間にかミケが藤村さんの上に乗っていた。

「ほう、ということは近くの中学に?」

 私は頷いた。

「あの、藤村さん。ここにはいつから住んでいるんですか?」

「そうでうね、ざっと三十年ほど」

 三十年……

 私が驚いていると、藤村さんは笑った。

「私の娘もあの中学校に通っていたんですよ。もう三十年前のことですが」

 そう言って昔を懐かしむように言った。

「妻は五年ほど前になくなってしまい、一人残された頃、ミケを見つけたんです」

 ミケをなでながら言う。

「公園で、倒れていたんです」

 そう思っていると、ミケがいきなり私の方へ寄ってきた。

「おやミケ、今村さんが気に入ったのか?」

 にゃーん

 私はミケをなでる。

「また、ここに来ていいですか?」

 私が聞くと、藤村さんはもちろんと答えてくれた。

「いつでもいらっしゃい」

 私は玄関から出ると、振り返って見る。

 不思議な人だったな。

 それから私は放課後に毎日ミケをなでに行った。

 ミケが外にいるとき、私はミケを抱きかかえてインターホンをおす。

 ミケが中にいるときは、ミケが私に気づいて窓際まで来てくれる。

 それで藤村さんが私に気づき、玄関まで来てくれた。

 家の中で、私はミケをなでながら藤村さんと話をした。

 藤村さんは昔、旅行が趣味だったらしく、いろいろな国の話をしてくれた。

 また、絵も描いていると言っていた。

 三十分ほどで私達は話を終え、私は家を出る。

 母には、ボランティアでおじいさんと話をしていると言っている。

 そう言ったらどうかと藤村さんに言われたからだ。

 ある雨の日、私は同じように藤村さんの家に遊びに行こうとした。

 遠くから救急車のサイレンが聞こえてきていた。

 藤村さんの家の前に救急車が止まっていた。

 それを見た瞬間、私は思わず走り出していた。

「すみません! なにがあったんですか?」

 救急隊の人に話しかけた。

「ああ、この家の人が宅配便を受け取ろうとしたときにいきなり倒れたと通報があったんだよ」

 倒れた…

「私、この人の、えっと担当なんです。ボランティアの」

 思わずそう言っていた。

 私はなんとか救急車に乗せてもらった。

 救急車に乗りながら、私はずっと手を握りしめていた。

 前から持病があって薬を飲んでいる。

 そう藤村さんが言っているのを思い出していた。

 目をつぶる藤村さんの横顔を見ながら、私は黙り込んでいた。

 病院に着いて、藤村さんは病室のベッドに呼吸器をつけられて寝かされた。

 見守ることしかできない私はいったん家に帰った。

 家に帰ると、お母さんがニュースを見ていた。

 担当しているおじいさんが倒れたと母に言ったら、付き添いなさいと言われた。

 荷物を置いて、また病院に走って戻った。

 藤村さんの病室には、先客がいた。

 お母さんよりもちょっと年上ぐらいの女の人だった。

「あなたが、今村すみれさんですか?」

 そう聞かれ、私は頷いた。

「もしかして、藤村さんの娘の……?」

「ええ、藤村美由紀です」

 そう言って深々とお辞儀をされたので、私も返す。

「一ヶ月ほど前に、父からメールが届きました。『新しい話し相手ができた』と書かれていました。五年前ほどにもそのようなメールが届きましたが、時間を見つけて行ってみても、三毛猫しかいませんでした」

 病室の椅子に座り、私達は話した。

 ミケも友達だったんだ……

「今回もまた猫なんだろうと思っていたところに、父が倒れたと連絡がありました」

 そう言って寝ている藤村さんの方へ目を向ける。

「厳格で気難しい父に話し相手なんかいない。そう思っていましたが、あなたが救急車に付き添ってくれたと聞いて、間違っていたと気づきました」

 そのとき、藤村さんが目を覚ました。

「おお、美由紀か……おや、そこにいるのは今村さん……そうだ、最後に言いたかったことが……」

 藤村さんはかすれた声で私に言葉を投げかけた。

「死ぬ前にあなたに会えて良かったです……自分が変われた気がします……そうだ、ミケを引き取ってはもらえないだろうか……あの子はあなたにとてもよくなついていますから……」

 そう言って、また藤村さんは目を閉じた。

「あの……藤村さんは大丈夫なんですか?」

 私は美由紀さんに聞いた。

「わかりません。医者には大丈夫だろうと言われましたが……」

 不安を抱えながらも、とりあえず私は家に帰った。

 その次の日、学校終わりに病院に行くと、美由紀さんが待っていた。

「父は、もう……」

 そう目をハンカチで抑えながら淡々と告げてくる。

「そうですか……」

 私はうつむいてしまう。

 涙があふれてくる。

「あの後、父は静かに息を引き取りました」

 そう静かに伝えられた。

「父の晩年に付き添ってくれてありがとうございます。おかげで、父の表情が優しくなった気がします」

 そう頭を下げられた。

「いえ、私はほんの少ししか、一緒におしゃべりできませんでしたし……」

 そう言って言葉が詰まった。

「あなたは学校もあるから、葬式などはこちらでやります。あの家も売却することになるので、何か欲しいものがあれば、持って行ってもかまいません」

 美由紀さんはさっと立ってどこかへ行ってしまった。

 私との会話で藤村さんを思い出したのかな。

 浮かない気持ちで病院を出て、藤村さんの家に向かった。

 やっぱり、ミケはいた。

 窓の側で寝ている。

 美由紀さんに渡された鍵で家に入ると、ミケが近づいてきた。

 なでながら私はミケに言う。

「ミケ、もう藤村さんはいないんだよ。今日からは私が世話をするからね。この家ももういられない。今日で最後なんだよ」

 涙がいつの間にか頬を伝ってきた。

 私が静かに泣いていると、いきなりミケが奥の部屋へと走り出した。

 これまで、私は奥の部屋まで行ったことがなかった。

 ミケを追ってその部屋の前まで来た。

 その部屋の扉は少し開いていた。

 ミケの鳴き声が中から聞こえる。

 扉を開けると、そこには一枚の絵が置かれていた。

 三毛猫と、すみれ。

 そのノートサイズの絵は藤村さんが描いたのだろう。

 額縁にしっかりと入れられている

 藤村さんはずっとこの絵を描いていたんだ……

 一ヶ月前、私がこの家に来るようになったときから。

 涙があふれてきた。

「藤村さん……ありがとうございました……」

 その声に応えるかのように、ミケがにゃーんと鳴いた。

 私はその絵を胸に抱いて、家を出た。

 なぜかミケが着いてきた。

 今までは決して来なかったのに。

 ミケもわかっているのかな。

 藤村さんは、もういない。あの家にも行けない。

 でも、残してくれた。

 ミケと、絵を。

 今でも藤村さんは近くにいる。

 そう考えると、悲しみは少し和らいだ。

 明日からは元の放課後に戻る……いや、戻らない。

 私はもう、小さな幸せを手に入れたから。

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