Take6 Brown Mushrooms

『90年代ローファイギターポップな感じで行きましょう。ドラムは無理に8(ビート)じゃなくていいです。4(ビート)でいいので、最後まで叩ききって下さい。リズムは宮さん、隣で教えてあげて下さいね。ベースとギターはコンプ(レッサー)深めで何とかしましょう。ノイズはあまり気にせず勢い第一で。ベース、ギター、共に固めで。蔵田さん、ギターはディストーション深めでノイジーに行っていいかと思うのですが、どうですか?』


 ミキシングルームの五嵐さんからの問い掛けに、蔵田さんは親指を立てて見せた。

 いよいよ、始まる。

 得も言われぬ緊張感が漂い始めた。


 たくさんのケーブルが床を這い、ドラムはマイクに囲まれている。

 思っている以上に緊張しているのか、新山さんの顔色は明らかに蒼く、何度も深呼吸していた。桐河さんも同じ。強張った表情で、緊張見せている。ベースの弦をブーンと弾いては止めいた。そんな落ち付きの無い動作を何度も繰り返す姿に不安は隠しきれていない。

 現場や舞台で緊張する場面などいくらでも経験してたであろうふたり。そんなふたりにとっても、この経験は未知な不安に満ち溢れていた。


「お兄さんは緊張しないのか?」


 エフェクターをいじりながら蔵田さんから、唐突に声を掛けられる。いきなりの問い掛けに少し戸惑いを覚えたが、すぐに答えた。


「そうですね。あまり緊張する方では無いですし、ここまで来ると、なるようにしかならないと思っているので」

「顔に似合わず、肝が据わってんな」

「そんなんじゃあ無いですよ、何も分かっていないだけです。レコーディングって、こんな感じに進むのですね」


 スタジオで準備を進めるスタッフの方々に視線を送る。蔵田さんをはじめ、各楽器のテクニシャンの方々とそのフォローに走り回っているスタッフの方々。忙しなく働いている姿を見つめていると、何だかまた申し訳ない気持ちがムクムクと頭をもたげた。


「うん? ああ⋯⋯いや、今回は珍しい形だ。今時一発録りって、あんまりしないからな。しかも、ノイズ乗りまくりOKってのも、デジタルレコーディングが主流の今、絶滅危惧種だよ」


 そう言いながらアンプのツマミを上げると、スピーカーはザーっとざらついたノイズを鳴らす。


『曲の展開は、各テクニシャンの皆さんが、演者に合図を出してあげて下さい。とりあえず、カウントではなく、ドラムのリズムから行きましょう。では、行きまーす!』


 五嵐さんの頷きを合図に、新山さんがドラムを叩き始める。

 ドン、ツッ、ペシャン、ドン、ツッ、ペシャン。

 原曲の10分の1くらいのスピードで刻むビートは、恐ろしく不安定で、軽快な原曲とは真逆に、不穏を描いた。

 ボボッツ、ボボボッボとドラムを無視したベースの詰まりがちなリズムが重なり合い、不穏は増幅されて行く。

 これってどっちに合わせるのが正合図が出され、ピックで弦を叩く。

 硬質な歪みを伴う音の塊が背中を震わせ、全身が歪みの膜に覆われた。

 音の厚みは増えたものの、皆、自分の事に必死で、音は混じり合う事なく空中で散り散りにバラけるだけ。空中分解を起こした音の塊が壁に吸われ、スタジオ内には不協和音だけが渦巻いていた。

 曲というレベルには到底及ぶ事はなく、突っかかり、止まったりしながらとりあえず通したが、それ以上の物は無い。ただ、言われるがままに最後まで弾いただけだった。

 ミキシングルームで頭を抱える五嵐さんの姿は直視出来ず、僕は頭を掻きながら先の見えないこの状況に辟易する。社長のきまぐれで、これだけ多くの人を巻き込み、迷惑を掛けてしまっている事に、いたたまれない気持ちは罪悪感に近かった。


『やっぱり、他に比べてギターは弾けているわね。これ以上弾くとギターだけ浮いちゃうんじゃない? どう?』


 キキさんの声にミキシングルームへと顔を上げます。頭を抱えている五嵐さんの横で、キキさんがこちらを見つめていた。その言葉に蔵田さんは顎に手を置き逡巡する。

 どういう事?? 弾けちゃダメ? なのですか?

 蔵田さんは何か思いついたのか、ミキシングルームへ手を上げた。


「ギターを先録りして、他の楽器をそれに合わせたらどうっすか? どうせイレギュラーなRECろくおんなんだし、決まり事なんて無視していいんじゃないっすかねぇ」


 へ? ひとりで録るって事ですか? いきなり?

 驚愕の表情を浮かべる僕に、蔵田さんはニヤリと肩をすくめて見せる。その笑みが何を意味しているのか全く持って理解出来ない。


『そうね。それで行きましょう』


 え? 行くの? ひとりで??

 キキさんの頷きにスタジオの空気が緩んだ気がする。

 僕を除いてだが。


「む、無理ですよ。ひとり? む、無理、無理」


 三人だからこそ分散されていた不安がひとりに集中する。想像しただけで、手に平にじわりと汗が滲んだ。


「いまさら何言ってんだって。やる事は変わらん、ほれ準備するぞ」

「そんなぁ⋯⋯」


 何だか今まで感じた事の無い、変な汗が体中から出て来た。これが緊張というものなのか。いろいろな人に迷惑を掛けている実感が急に現実味を帯びて来て、心臓の高鳴りが止まらない。テレビの収録などでは一切感じなかった、この感覚に戸惑いは膨れ上がる。

 分散していたみんなの視線がこちらに集中する。準備を進めているのは、もはや蔵田さんだけ。


「祐! 頑張りや」


 緊張から一時的に解放された桐川さんが、ビシっと親指を立てて見せると、ドラムの向こうで新山さんも大きく頷いていた。


「町田くん、頑張って!」

「⋯⋯はい」


 気の無い返事をとりあえず返して、大きく深呼吸。


「いいか。1234、1234のタイミングで弾き始めろ。曲の展開はこっちで合図するから、それに合わせて弾く事だけに集中しろ」

「は、はい」

「五嵐さん! クリック鳴らして」


 ミキシングルームの五嵐さんが大きく丸を出すと、乱雑に立て掛けてあるヘッドフォンからカッ! カッ! とメトロノームのように機械的なテンポが刻まれ始めた。


「そこのCUEボックスで、やりやすい音量にするんだ。ギターに埋もれず、かつ、うるさくない音量に調整しろ」


 ヘッドフォンを被ると想像以上の音の大きさにびっくりしてしまい、すぐに外してしまう。


「そこのボリュームで調節。ギターを鳴らしながら調節しろ」

「はい」


 ボリュームを絞ってもう一度被り直す。ギターを鳴らすとクリックの音は全く聞こえなくなってしまった。徐々に大きくして行くと結局最初の大きさに戻り、あの大きさは別に驚かそうとしたわけでは無いのだと、どうでもいい事を思っていた。

 蔵田さんもヘッドフォンを被り、僕に確認の合図を送る。

 もう一度深呼吸して、意を決し頷いた。

 蔵田さんは、ミキシングルームに大きく丸を出すと、ヘッドフォンから五嵐さんの声が届く。


『町田さん、詰まっても最後まで弾いて下さい。上手に弾こうとは考えず、リズムに乗る事だけを意識して下さい。蔵田さん、合図はお願いします。では、行きまーす』


 五嵐さんの声が消えると、外の音を遮断された。無音の世界は、まるで自分だけしかいない孤独な世界だと錯覚してしまう。

 耳に届く無機質なクリック音が自分と外界を繋ぎ直し、まるで自分の体に膜が張ったような不思議な感覚に集中は上がって行く。

 蔵田さんが軽く振り下ろした手を合図に、5弦と4弦を震わせた。

 スピーカーが吐き出す、硬質な歪みが僕の背中を震わせる。

 ミストーンは気にしない。間違っても止めない。リズムに乗る。

 この言葉を反芻しながら、歪んだ空気に飲み込まれて行った。


 たった3分間なのに、永遠とも思えるほど長く感じる時間。でも、終わってしまえばそれは一瞬に感じてしまう。不思議な感覚と共に、世界は無音へと戻って行った。


『OKです。町田さん、お疲れ様でした』


 ミキシングルームの五嵐さんに視線を送ると、笑みを返してくれる。すぐに蔵田さんに振り返ると、蔵田さんもニヤリと微笑んで見せた。


「お疲れ」


 ヘッドフォンを外しながら蔵田さんが、トンと肩を叩き労ってくれる。

 少しずつ冷静になる自分。

 あそこも間違った。展開でもたついたし、ミストーンばかりだった。

 表情は曇り、録り直しをお願いしたいと切に思うが、そんな時間はきっと無いに違いない。


「⋯⋯ありがとうございました」

「どうした? 暗いな」

「失敗ばかりで⋯⋯もう⋯⋯いや、でも、こんな一流の方々に余計な仕事を増やすわけにもいきませんし⋯⋯」

「なんだよ! そんな事気にしていたのか。まぁ、そりゃあ最初はやべぇ現場来ちまったなって思ったけど、兄ちゃん達みんな一生懸命だったろう。必死に何とかしようと頑張っている人間にこっちも下手な事は出来ねえよ」

「それはもう、なるべくご迷惑を掛けないようにと必死でしたから」

「どう転ぶか分からんが、なるようになるさ。いらない心配はしなさんな」

「ですかね⋯⋯」


 こうして生まれて初めてのレコーディングは終わりを告げた。

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