Take 1 Smells Like Teen Spirit

「さぁ、答えて頂きましょうー!」

「ぁ、ぇ~と⋯⋯お、織田信長さん⋯⋯ですかね~」


 司会者のまくしたてるフリに、所在ない声で答える事しか出来ず、口元だけで強引に笑顔を繕ってみた。気の弱さを映す垂れ目がちな僕の瞳は、さらに不安を増長させ、一瞬のイヤな沈黙は、心を折りに掛かる。


 ブッブー!


 不正解を知らせるブザーがスタジオに響き渡り、それと同時に中途半端な失笑を頂いた。

 

ゆうさん! ざ~んねん! 不正解!」


 知っているよ、そんな事くらい。


 僕は心の中で盛大に顔をしかめながら、笑顔を繕っている。

 

「正解は、伊藤博文でした~! 昔はお札にまでなったのに知らなかったのかなぁ~?」

「ぁ⋯⋯いえ、いつもニコニコ現金払いですよ⋯⋯てね⋯⋯」


 司会者のフリも無残に砕け散るほどのダダ滑り。

 訪れる静寂⋯⋯。

 またやっちゃったな。

 心の中で悔いた所で時すでに遅し、僕は俯きながらそっとカメラの向こうに見える社長である浦田杏子うらた きょうこに目をやった。

 “スン”と人差し指で鼻をひと擦り。眼鏡の奥に見える目が鋭くなって行くのが、遠めからでも分かってしまう。僕はさらに俯き、それを見なかった事にしようと、努力を惜しまなかった。


◇◇◇◇


「みなさーん、おつかれさまでしたー」


 ブラウスの胸のボタンをひとつ外す。万全の臨戦態勢で満面の笑みを浮かべた浦田杏子。出演者、それこそ一番下のスタッフにまで、妖艶な姿でひとりひとりに丁寧な労いの言葉を掛け、深々と頭を下げていた。

 

 髪をひとつに束ね、パンツスーツを颯爽と着こなすその姿。とても四十代とは思えぬ、美貌とプロポーションに、スタッフ達も愛想良く返事を返して行く。

 現役を退いて結構経つらしいが、僕なんかより余程タレントとしての才覚はありそうなものだ。何でも人気絶頂時にサクッと身を引いたとの事。疎い僕にはさっぱりだが、惜しむ声を未だに現場で聞く事も多かった。


 僕はそっと出口に向かう。彼女の視界から逃れんが為の隠密行動。人の流れに乗って自らの気配を消して行く。

 だけど、彼女の目から逃れる術などある分けがなかった。どう転んでも彼女の方が一枚も二枚も上手。先程まで見せていたスタッフ達への笑みはとうに消えていた。それを見なくとも分かってしまうのが辛いところだ。視界に入れまいと無駄な抵抗を試みるが、そんなものは悪あがきにしか過ぎない。


「ユウ~」

 

 わざとらしく、甘ったるい声を掛けてきた。張り付いた笑顔。苛立ちが、その声色から透けて見えた。

 まぁ、いつもの事である。

 仕方なく顔を上げれば、“スン”と鼻をひと擦り。そしてそのまま顎で合図された。僕は彼女の言う通り素直に楽屋に戻り、座って彼女が来るのを憂鬱に待つだけだった。

 まぁ、これもいつもの事である。憂鬱な気持ちが僕の心の半分以上を占めた頃、ドアが勢い良く開き、彼女が入って来た。そして椅子ではなくテーブルに足を組んで座るやいなや“スン”。

 どうやらいつものやつが始まるようだ。憂鬱な気持ちで僕の心はすっかり満たされていた。


「チッ! ユウ! あんたねぇ! チッ! いつも、いっつも、イッツモ! 言っているでしょうが! チッ! キャラが中途半端なんだからさ、キャラ立たせて前に行かなきゃ、どうにもなんないのよ。分かっているの?! チッ! 中途半端な二枚目なんだから、おバカキャラって色が必要なのよ! チッ! 分かってんの?!」

 

 いつもにも増して舌打ちが多い。

 苛立ちを隠そうともせず煙草に火をつけながら、僕を見下ろし言い放つ。

 でも、そのおバカキャラっていうのが、なかなかどうして難しいのですよ。

 簡単に答えられるものを絶妙に間違えるなんて、正解する方が千倍楽です。

 って、言葉をグッと飲み込み神妙な表情を返した。


「分かっていますよ、社長。ですがね⋯⋯」

 

 言葉を続けようとする僕の目の前に手の平を向けながら煙を吐き出し、冷ややかに視線を向ける。


「⋯⋯言い訳はしない」

 

 彼女は静かに言い放つ。僕は天井に視線を移し、口から大きく空気を吐き出した。それが精一杯の抵抗だ。

 向いてないと思うんですけど。

 と、やんわり気持ちを伝えた事数十回。辞めるんでもう仕事を入れないで下さいと言う事ン十回。多分百回言っても、状況は変わりそうもない。きっとこれが諦めの境地というやつだ。

 大きな仕事はないけど、小さな仕事は切れずに持ってくる辺り、この人はきっとやり手なのだろう。

 弱小プロダクションが生き残れているのは、きっとこの人の才覚で間違いない。ただそれと、僕の気持ちは別である。それは仕方のない事なのだ。


◇◇◇◇


 『明日ぜってえー、来いよ』と、社長よりの伝言を受け、行かないという選択肢がないのが悲しい性。その口調からは、イヤな予感しかしないのだけど⋯⋯。

 重くない事務所【KYOASH】の扉を、重そうにゆっくりと開けた。この扉は、僕の心を反映している。

 

「おはようございます」


 狭い2LDKのマンションが事務所だった。いつもと変わらぬ普段のトーンを心掛け挨拶する。しっかり挨拶すれば、部屋の隅までしっかりと届く広さしかない。


「町田さん、おはようございます」


 柔和な笑顔と丁寧な挨拶が返ってきた。

 新山三郎太にいやま さぶろうた、ウチの事務所の唯一(?)の役者である。テレビを見ないので活躍ぶりは良く知らないが、そこそこドラマなどに出ているらしい。

 薄くなった頭皮がトレードマークで、柔和な笑顔を裏切らない温厚な性格の持ち主。年下の僕にも、いつも丁寧に接してくれる。社長とはえらい違いだ。


「おはよう!」

「⋯⋯おはようございます」


 元気良く入ってきた女性と静かに声を響かす対照的な女性の二人組。お笑いコンビ【エクレアモーションパンチ】ツッコミ担当のハスキーボイス、桐河奈那子きりかわ ななこと、ボケ担当の結良珠美ゆうら たまみ

 二人とも愛想も良く綺麗なのだが、いかんせん『女子』というには年齢が⋯⋯。初対面の挨拶で『8つサバ読んでいてさぁ、あんたは?』と、いきなり桐河さんに言われ、返しにえらい困ったものである。因みに公称は26才。可愛いで売るにはすでに微妙だと思⋯⋯げふんげふん。


「揃ったね」


 スーツ姿の社長がホワイトボードの前に立ち、僕らを椅子に座らせた。

 

「社長、今日は何?」


 桐河さんが語尾上がりの関西弁で少し怠そうに声を掛けた。少しかすれ気味のハスキーな声は、可愛いというより、かっこいいが似合うと思う。

 だけど、一応アイドル系お笑いなので、普段はブリブリな言葉遣いをするよう気を配っているみたい。事務所では気を抜いているのか、ぶりっ子テイストは皆無だけど。

 社長は咳払いをひとつして、スンと鼻をひと擦り。そして、大きな胸を張って見せた。


「ウチで、バンドやるよ!」


 あ、そうなんだ。

 きっとみんなも今聞いた事には、同じ感想を描いたはずだ。

 今度の新人さんはバンドなのだと。


「いいバンドでも見つかったのですか?」


 新山さんが、少し嬉しそうに問いかけた。

 僕以降、新人は入って来ていない。久々の新人に少なくない興味が湧いていて見えた。


「フフン~。昨日テレビでさ、ニッチなアプローチで儲けた町工場のドキュメンタリー見ていて閃いたんだよね~、フフ」


 え? 何? その含み笑い?

 雲行きが一気に怪しくなってきた。

 社長の閃きが、経験上良い結果を生むとは思えない⋯⋯。イヤな予感はきっと的中する。最後に“フフ”がついて良かった事も過去にないからだ。あの新山さんさえ顔を曇らし、【エクレアモーションパンチ】のふたりはあからさまに嫌悪を見せている。かく言う僕の表情も冴えないのは言わずもがな。

 予言しよう、数分後にはみんな頭を抱えていると。

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