手紙と友霊

霜桜 雪奈

手紙と友霊

 日直が、帰りの挨拶を口にする。それに続き、他の生徒が復唱する。まるで一種の儀式のようにも思えるホームルームが終わり、僕達は学校から自由になる。


 僕は足早に教室を出て、家とは違う方向に足を進める。僕には放課後、必ず行く場所がある。


 学校から数十分歩いていると、ある山のふもとに着いた。緑の生い茂った山道を上り、少し開けた場所にでる。街を一望できるような展望台だ。だが、目的の場所はここじゃない。展望台を横目に、その先へと進む。


 その先にあるのは、墓地だ。


 空が夕焼けに染まっていることもあって、墓地には暗い空気が漂っている。数多の墓の横を通って、奥の方にある、一つの墓の前で止まる。


 二年前に事故で亡くなった、友人の墓だ。


 生前は、二人でよく買い物に行ったり、遊園地に行ったりしたものだ。彼女の親にも仲良くしてもらった。そんな彼女に抱いた感情も、もう伝えることはないだろう。


「今日は遅かったねぇ。ホームルームでも長引いた?」


 そんな友人は、今もなぜか僕の目の前にいる。最初こそ自分の目を疑ったが、今では彼女との再会を心の中で喜び、楽しんでいる。


「ご想像の通り。うちの担任は話が長いからさ」


「今も変わらないんだ。ま、二年じゃあんまり変わらないか」


 墓石の上に座る彼女が笑う。彼女は今、肉体だけを持っていない。魂だけとなった彼女の姿は、後ろに広がる夕焼けが透けていて儚げだ。


 彼女は一年前に突如現れた。なぜ彼女がこんな風になったのか、彼女は最初の頃に話してくれた。


『ちょっと心残りがあったんだよね。それで、地縛霊になったんだと思う。もっとも、自分の意思で自分を縛りつけている訳だけどね』


 彼女は、墓石の上から動くことはできない。だからいつもこうして、僕が会いに来ているのだ。


「そう言えば、今日は君にお願いがあるんだぁ」


「今回はなんだ?」


「……結構前に言った、私の心残りを解消してほしいの」


 これまでも、何度かお願いをされたことがある。僕は、彼女のためになるならなんでもやる所存だ。


 だが今回は、どうしてかお願いする彼女に違和感を覚えた。普段と違うような、そんな雰囲気を感じた。


「具体的には……?」


「私の日記を捨てて欲しいんだ。あれ、私にとっては黒歴史なんだよねぇ」


「黒歴史になる程の日記って、何書いたんだよ……」


「言うわけないでしょ。読まれたくないんだから」


「気になるな……捨てる前に読んでもいい?」


「ダメ」


「よし、じゃあ、おそらく読まない」


「絶対読むやつじゃんか」


 彼女の頼みを叶えるために、僕はそれを承諾した。日記を読まないことに関しては、完全には承諾していないが。


 彼女の雰囲気に覚えた違和感は、勘違いだろうと飲み込んだ。



 次の日の放課後、僕は早速彼女の家に向かった。


 時刻は五時過ぎ。この時間に行くのは失礼かなと思いつつも、なぜか急がなければいけないような気がして、結局その日のうちに伺うことにした。


 チャイムを押すと、ほどなくして彼女の母親が玄関先に出てきてくれた。軽い挨拶と言葉を交わして、僕は本題を切り出すことにした。


「突然なのですが、彼女の、日記ってありますか?」


「……なんで、貴方が知ってるの?」


 多少の沈黙の後に、母親はそう言った。しまった、単刀直入に聞き過ぎた。彼女の母親に怪しむような目を向けられる。


「生前、彼女に聞いていたんです。今日、彼女が夢に出てきて……そこで日記の事を思い出しまして……」


 自分でも驚くほど下手な嘘でその場をやり過ごそうとする。死者が夢に出てきてお告げを貰ったみたいな話、信じてもらえるはずがないのに。


「あぁ……あの子ったら。貴方の事を、本当に思ってたのね」


 うわごとのようにそう呟いた母親を見て、僕は静かに驚いた。僕の嘘が通じるはずがないと思っていたのに、思っていたよりも容易く信じられてしまった。


「あがって良いわよ。……日記なら、あの子の部屋にあるわ」


「あ、ありがとうございます」


 母親の許しを得て、僕は彼女の部屋へ向かう。女子の部屋に入るのには抵抗するが、彼女の頼みを叶えるためと正当化して部屋に入る。


 ぬいぐるみの沢山ある、想像しうる女子の部屋そのものだった。主のいなくなった部屋の中は、暗く重い雰囲気が漂っている。


 母親は、まだ彼女の死を受け入れきれていないのかもしれないと思うと、より一層この部屋が暗く重いものに感じてしまう。


 彼女の日記を探すために部屋を見回すと、それは机の上に置かれていた。


「見られたくないとか言ってた割には、不用心だな」


 僕は彼女の日記を手に取り、気が引けるが日記を見て見ることにした。数ページめくると、そこには何気ない日常が綴られている、ただの日記。


 黒歴史と言っていたから何が書いてあるのかと思えば、ただの一般女子の日記じゃないか。


 そう思って日記を閉じると、日記の中に何かが挟まっていることに気付いた。栞かと思い取り出してみると、それは四つに折りたたまれた桜色の便箋であると分かった。


 中に、何か書かれている。少しだけ覗くつもりで、便箋を広げてみると、そこには思わぬことが書かれていた。


 その日はちょうど、彼女の三回忌だった。



 彼女の家から飛び出したとき、外では夕立が降り始めていた。


 もっと早く、なぜ気付かなかったのかと自分を責める。彼女は、このことを分かっていて僕にこれをお願いしたのだ。


 夕立の中、僕は山道を駆けあがった。雨に濡れた服も跳ねる泥も関係がない。一刻も早く、彼女の元に行かなければならない。


 開けた場所に出て、展望台が見える。その横を走り抜け、数多の墓を抜けて、彼女の墓の前に着く。


 彼女は、少し悲しそうな顔をして僕の方を見た。


「今日も来たんだ。……遅かったね」


 いつもと同じように笑って話す彼女を見て、僕は胸が苦しくなる。おそらく、日記を見たことには気づかれているだろう。


「お前……消えるのか?」


「うん、消えるよ」


 あっさりした答えが返ってきた。彼女の体が、少しずつ光の粒になっていく。


「まって、くれよ」


「時間をくれた神様には感謝してもしきれないねぇ。君と、この一年間一緒にいれたんだからさ」


 僕は、何も言えなかった。涙が溢れてきて、言葉が上手く紡げない。


「今日までありがとう。もう、君は自由だよ。……君のことも縛ってごめんね」


「もっと、話がしたかった。まだっ、一緒に居たかった……」


 僕の言葉を、彼女は待ってくれた。


「僕も……君のことが好きだっ!」


 言葉がかすれる。挟まっていた便箋は、僕に向けた恋文ラブレターだった。彼女の思いを知った今、僕は自分の心に嘘を吐くことをやめた。


「だから……だからっ……」


 でも、状況はそれを許してはくれなかった。僕はまた、自分の心を偽らなければ。


 彼女も、残酷なことをする。彼女の気持ちを知らなければ、僕は恋心を隠すだけで良かったのに。彼女と、別れたくなんて無いのに。


 空気を吸う。頬を伝うものが涙なのか雨なのかはわからない。


 別れの言葉を。安心してもらえるような言葉を、彼女に。


「……さようなら」


「うん……また、どこかで会おうね」


 彼女の頬を伝う光の筋が、墓石に落ちる。光の柱となって消えて行く彼女を、僕は目一杯の笑顔で見送る。



 彼女に、安心してもらえるように。


 彼女の、ご冥福をお祈りして。

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手紙と友霊 霜桜 雪奈 @Nix-0420

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