so rainy, she tells more —— ソレニシテモ。

𝚊𝚒𝚗𝚊

1. long time no see

 ひさしぶり、と彼女は言った。正確に書くとロンタイムノーシー、だった。

 彼女、うちの猫さんはなぜか英語で話す。しかもそんなにひさしぶりでもない。昼過ぎに家を出た私は、いま夜の十時に帰ってきたところだ。

「ワッツロン?」

 猫さんは英語で話しかけないと返事をしてくれない。

「お腹すいたー」

 便宜上日本語で書こう。

「それはすみませんでした。柔らかいのをあげるね」

「やらこいのにして」

 そうすると言っているのに。猫さんはカリカリをあまり食べてくれないのだ。

「でな。なんでひさしぶりなことになったの」

 ウェットフードを食べた猫さんは、口の周りをぺろぺろしている。

「シャンパーニュを飲みに誘われたの。というか奢ってくれはって。行くしかないなって」

「シャンパーニュ、あんた上手いこと言うなー」

 猫さんは体を舐めはじめ、そしてなんだか眠たそうにしている。

「どうぞ」

 おおきに。ベッドのふわふわを開けると、猫さんは潜り込んだ。

「あまりな、ひさしぶり、いうことにはならんことや」

「わかったよ」

「じゃあ、あんたも寝ー」

「シャワーしてくるから先に寝とってね」

「テイカシャワー、上手いこと言うわ」

 シャワーが降るのは明日やで。最近暖かいやろ、明日は部屋の中に洗濯物干し、うにゃうにゃ。

 何か言いながら彼女は眠ってしまった。猫さんは西海岸の訛りが強くて、うつってしまう。






 昨日はどうだった? と彼は言った。「どう?」などという曖昧な問いかけは苦手だ。昨夜一緒に居たときのことを聞いているのだろうし、気持ちや感想はその都度伝えていたつもりだったのだけれど。

「ロゼのヴィンテージは初めてで、とてもおいしかった。あんなにおいしいものが飲めたから、もうアルコールはやめる」

「どうして?」

 また「どう?」だ。しかも説明したのに。

「わたしがお酒、とくにシャンパーニュが好きなのは知ってるよね」

「うん」

「でもずっと胃の調子が良くないし、家では猫さんがいるからあまり飲まないようにしてた」

「そうだね」

「一昨日、病院で検査したの」

「それは聞いてなかったよ」

「あまり言うつもりなかったから」

「よくなかったの?」

 ああ。どうだった? なんて聞かれなくてよかった。やはり私は彼のことが好きだ。ずっと前から。ものすごく。

「胃が腫れてるんじゃなくて、腎臓から何かが出来てたの。前に近所のクリニックで診てもらったときに一〇センチくらいの塊が見つかって。一〇センチって結構大きいし、飲み過ぎで胃が悪くなってると思い込んでたからショックだった。でも、もし胃が硬かったり腫れてたりしたら、こんなに食べれないよね」

「最近痩せてきているよ」

「うん。久しぶりに体重を測ったら五キロくらい減ってた。一昨日は造影CTを撮ったから同意書を書いたの。重篤な副作用が起きることがあるらしくて説明を読んで怖くなったけど、きちんと検査してきちんと治そうと思って」

「副作用は大丈夫だったの?」

「少し出たよ。検査中に顔の輪郭が痒くなって唇も腫れてるみたいに痛くなって、そのままストレッチャーに移乗して救急にかかったの。頭も痛かったけど一時間くらい横になって点滴してたら治ってたかな。歩いて帰るとき何回か左目の辺りの感覚がなくなったのは怖かったけど。帰ってから鏡で顔を見たら、まだ少し赤かった。アレルギーに効く漢方薬を処方してくれたから、花粉症まで治ったよ」

「そう、よかった。大変だったね。結果はいつ出るの?」

「今日聞いてきた。エコーで診てもらったときは一〇センチくらいの塊って言われたけど、検査したら一七センチの腫瘍だったの。先生はあまり説明してくれなくて、レポートをくれて。泌尿器科がある総合病院に紹介状を書いてくれて。レポートを読んだら『腎がんの疑いが非常に強い』って書いてあった。いろいろ調べたんだけど、がんだとしたら大きさ的にステージⅣみたい。転移はみられないから、がんとは言えないのかもしれなくて、腹部しか撮ってないから、もしかしたら転移もあるかもしれない。とりあえず紹介状の病院に連絡しないと」

「結婚しようよ」

「え」

「そうしたら治療に専念できるだろうし、俺が家のことをするから休める時間が増えるでしょ。仕事も続けたかったらお願いしたいし。早くそうすればよかったね」

 彼とは付き合ってさえいないのに。彼のきもちは何度も聞かされた。翻訳をフリーで生業にしている彼のアシスタントとして、リモートで働くようになってから。ほとんどのアシスタントたちが辞め、業務を縮小し、彼の事務所兼自宅のマンションに通うようになってから、何回も。「その人の文章を読むと、その人がわかる」と彼は言い、アシスタント応募の際に送った翻訳文を読んだときから好きになる気がしていたと。

「付き合うのもいやなのに結婚すると思った?」

「一緒にいられたらいいと思っていたけれど、さっきの話を聞いて結婚したほうがいいと思ったんだよ」

 何回も好きだと言われ、毎日のように彼のことを好きになっていくのだけれど、彼と付き合ったり、まして結婚したりなどしたくなかった。

「言ってなかったけど、うちの猫さんは人語を話すの。私のことを好きな人なんていやなの。私が好きなのは私のことなんて見向きもしないような人だよ。私と一緒に居てくれる人は好きになれない」

「今まではそうだったかもしれないね」

 私の脳内を見透かすように、身長差を感じさせる座高から見下ろす彼。柔らかくカールする前髪に隠れそうな瞳が、一瞬何かの光を反射させる。

「ここに引っ越しておいでよ。猫さんと一緒に」

「猫さんは引っ越し嫌がりそう」

「俺がさとちゃんの家に引っ越してもいいよ」

「うちは1LDKだよ」

「構わないよ。ここもそのままだし。怜ちゃんの部屋の家賃を俺が払うようになるだけ。でも一緒に寝てほしいな」

「嫌とか嫌じゃないとかじゃないんだけど、性的なことはしたくない……ほとんど」

「怜ちゃんとはしたいけれど、しなくても大丈夫だよ」

 じゃあ、と思った。結婚しよう。彼が私を好きでいてくれても嫌いになってくれても構わない。彼よりも猫さんよりも先に死のう。

「猫さんと会って」



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