鉄道ナイトミュージアム
「それでは皆さん、出発いたします!」
スタッフの方の掛け声で、私たちは夜の博物館の中へ足を進めた。
周りは闇に包まれているのに、博物館からは煌々と光が漏れているのも、こちらを招いているようでとてもワクワクしていた。
私は、今日この日をとても楽しみにしていた。
年に数回開催される、夜の博物館見学だ。
動物園や水族館などでは、夜の動物の様子を見るために前から開催されているようだが、ついに今年から鉄道博物館もナイトミュージアムを行うようになったのだ。
特に夜だからと、暗いこと以外何も変わらないが、夜の博物館というのは非日常の空間に感じられて、私は一度入ってみたいと思っていたのだ。
ナイトミュージアムならではの特別プログラムもあるらしい。
先着順でメンバーが決まるため、私は受付開始にしっかり張り込んでいた。
そして、メンバーの座を無事に手に入れたのである。
「まずは、皆さんおなじみかと思いますが、中央に展示されている過去の名車たちを見て行きましょう」
さすがに照明を全て落とすと真っ暗で何も見えないが、やや昼間よりも明かりが落されているような気がした。
また、大きく開かれた窓は、いつもは外を走る電車や住宅が見えているのだが、今は夜で街灯りだけがぼんやりと見えている。
それだけで不思議な気分になった。
「皆さま、そのままお進みください。蒸気機関車C57系135型が見えて参りました」
案内のスタッフが言うとおり、これもいつもおなじみのSLが見えてきた。
転車台にいつも乗っているものが、今日はひと際明るくスポットライトで照らされていた。
「こちらの機関車を、よぉーくご覧ください! それでは、鉄道博物館ナイトミュージアム、スタートいたします!」
スタッフのかけ声と共に、転車台が音をたててゆっくりと動き始めた。
辺りが少しざわついた。
だが、皆が見る方向は一つに定まっていた。
この空間にいる誰もが、中央にある転車台で回る機関車を見ていた。
ライトに照らされて、独特の光を返していた。
動くごとに光の加減が変わるのを見ていると、まるで別世界にいるような気分になった。
転車台が半周回ると、途中でポーッと汽笛が鳴った。
もちろん本物ではなく、別音声である。
それでも、気分に浸るには十分だった。
その間に、この機関車についての説明がされていた。
そして、そのままあと半周を回り、最後に汽笛を鳴らして終わった。
「蒸気機関車C57でした。それでは、次へ参りましょう」
そうして、スタッフについていった。
「一階の展示は、明治期から現代までの鉄道の歴史をなぞるようになっています。蒸気機関車はご案内いたしましたので、次は客車をご案内いたしましょう」
そう言って、大正期の客車を案内された。
入ると、独特な匂いがする。
その時、何か視界の端に映った気がした。
スタッフは何か説明しているが、それが気になってしまって、視線を移す。
すると、音が一気に遮断された気がした。
私には、視界に映るその景色だけになった。
何かの映像で見たことのある景色だったのかもしれない。
緑あふれる野山が過ぎ去っていくのを見た後、大勢の人がホームに並ぶ景色が映った。
私は、その景色に妙に懐かしさを感じていた。
「はい、では移動します」
スタッフの声で、私ははっと我に返った。
もう目の前には、先ほど見えた光景はなかった。
今のは何だったのだろう。
映像が流れていたのだろうか。
それにしては、妙な没入感があったような感じがする。
考えても答えは出ないので、私は皆についていきながら考えるのをやめた。
「こちらは、かつての寝台列車のB寝台客車です」
スタッフが中に入ったのに続いて、皆中に入っていく。
私も続いて入っていった。
また音が遮断される感覚。
だが、すぐ耳に音が飛び込んできた。
ざわざわと人々が会話する声。電車の走行音。
驚いて周りを見れば、そこは人々がたくさんいる客車の中だった。
これは、ツアーの他のメンバーではない。
服装が少し今の流行りとは違うことが違和感があった。
何より、私は通路の真ん中に突っ立っているのに、誰も私に頓着しない。
私に向かって誰か歩いてきて、ぶつかると思わず目をつぶったが、そのまま衝撃はなく、目を開けるとその人は通り過ぎていっていた。
だが、次に肩を叩かれた。
驚いて振り向くと、そこには怪訝な顔をした人物がいた。
そして、周りにはツアーの客と、誰も着席していない座席のある客車内があった。
今のは何だったのだろう。
戸惑いつつも、何とか平静を装うことにした。
その後、客車内では何も変わらずスタッフが車両の説明をしてくれた。
ツアーは、一階にある車両展示スペースを回る内容だった。
別の車両に入るたびに、私の知らない、または過去に映像で見たことある光景が一瞬ちらつく。
視界だけでなく、全ての感覚を支配する体験だった。
しかし、私以外の者はそれを感じていないようだ。
私はこの体験を奇妙に思いつつも、それが見たくてツアーを最後まで回っていた。
ツアーの最後は、0系の新幹線だった。
これは私の思い出の車両でもある。
この新幹線に、私は乗ったことがないが、電車を好きになるきっかけはこれだった。
父親がずっと大事に持っていた新幹線の図鑑。
それを与えられて見ていて、自分の知っている新幹線とは少し形の違うかわいらしいフォルムのこの新幹線を好きになった。
私は子どもの頃から、かっこいいよりかわいいもの、新しいものより古いものが好きな人間だった。
また、物にとても共感する性質もあった。
それが、もしかしたらこの現象を引き起こしているのかもしれないとも思った。
今まで、幽霊を見たりとかそういうことはなかったが、自分と縁のある場所が、何かと結びついたのではないかとも思っている。
これは一種の運命ではないか。
なら、この私の始まりとも言える新幹線に入ったら、どうなるのだろうか。
私は、期待していた。
「それでは、皆さま順番に中へお入りください」
スタッフの案内で、皆一列に並んで新幹線の中に入っていった。
いよいよ私の番が来る。
私は、緊張した。
一歩足を踏みしめると、歓声に場が支配された。
周りには、ある一点を見つめる人々。
その顔は、どれも喜びにあふれていた。
大きな汽笛が聞こえ、そちらを向くと、0系の新幹線がゆっくりと動き出していた。
「すみません」
そこで、声をかけられて我に返った。
「進んでもらえますか?」
後ろの人に声をかけられて、私はすみませんと言いながら、また歩み出した。
少し気まずくはなったが、私は得難い経験を得ることができた。
そして、ツアーはついに終わった。
鉄道博物館の入り口に、ツアー参加者がスタッフを囲むように立つ。
「本日は、ありがとうございました」
スタッフがそう言い終えると、拍手が起こった。
私も皆に次いで拍手をした。すると
「またのご乗車、お待ちしております」
駅のホームで聞いているような、マイクを通した声で、そう聞こえた。
私は驚いて、辺りを見回す。
スタッフが何かしている様子はないし、他の客たちはスタッフを見て何かあった素振りはない。
そして皆、ツアーが終わったので博物館から近くの駅に向けて歩き出していた。
私も、名残惜しさは感じつつ、これ以上ここにいてもしょうがないとも思って歩き出した。
そうして、博物館通路に展示されている蒸気機関車の前に来ると、大きな汽笛の音が聞こえた。
その蒸気機関車を見ても、特に変化はない。
周りの客も、また変化はない。
私は、振り返って博物館の方を見た。
スタッフは、もう見えなくなっていた。
そこにあるのは、夜に沈む静かな博物館だ。
最後まで粋なことをしてくれる。
私は、非常に充足した気持ちになっていた。
またこのような体験を得られるかはわからないが、また鉄道博物館に来ようという思いを持ちながら、帰路についた。
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