鉄オタ、きさらぎ駅へ行く

 今日は珍しくあの形式が走ると聞いて、こんな夜だが電車に乗る。

 俺の読み通りに来てくれた電車に乗り込むと、電車はゆっくりと走り出した。

 もう日付も超えそうな時間の上り列車に、人はまばらだった。

 外は真っ暗で景色も見えず、単調な電車の走行音と揺れに、俺はだんだん眠くなってきた。

 それでも普段は、電車に乗っている時に寝たりはしないのだが、今回はとてつもない睡魔に抗えず、いつしか意識が落ちていた。


 ガタン!

 大きな揺れに驚いて、目が覚めた。

 目に景色が入った瞬間、すぐに違和感に気づいた。

 俺の知っている車内じゃない。

 慌てて、きょろきょろと周りを見回す。

 同じ車両には、人が数名いた。

 だが、皆眠っている。

 車内を観察した。

 座席シートの色も、俺が乗ってきた電車とは違う。

 そもそも、これは今走っている列車ではない。

 この形式は、旧国鉄車両に似ている。

 そう思っていると、電車は速度を落とした。

 窓の外を見ると、ぼんやりと明かりが見えた。

 近づくと、建物があることがわかった。

 よく見ると、駅看板らしきものもあるから、駅のようだ。

「きさらぎ駅……?」

 どこの駅か見ようと目をこらすと、何とか見えた文字を小さい声で俺は読み上げた。

 聞いたことがない名前だ。

 少なくとも、俺が乗っていた路線にはない。

 少しきしんだ音を立てて電車が完全に止まると、大きな音を立てて扉が開いた。

 この音も、映像で聞いたことある音だった。

 俺は、何だかわからないが、この駅に興味を惹かれて降りてしまった。

 俺が降りると、電車のドアは閉まり、またゆっくりと走り出した。

 俺以外に降りる人はいなかった。

 駅にも、俺以外誰もいない。

 俺はそこで急に冷静になって、なぜ降りたのだろうかと考えてしまった。

 見ただけで、人の気配のない場所。

 もう少し乗っていれば、見知っている場所に帰れたかもしれない。

 何かこの場所の手掛かりがあったかもしれない。

 少し後悔したが、それももう遅い。

 頼りない電灯の灯りのもと、周りを探ってみることにした。

 まずは、駅看板を見ることにしよう。

 何か書いてあるかもしれない。

 看板の近くに行って、携帯の明かりで照らしてみる。

 駅名以外は、何も書いていなかった。

 今時の駅看板なら、隣の駅の名前や鉄道会社の印がついていても良さそうだが、何も見当たらなかった。

 携帯を開いたついでに、外部に連絡が取れるか確かめてみた。

 おや、ネットが通じる。

 試しに、ここの駅を検索してみた。

 出てこなかった。

 俺が乗ってきた路線の辺りの駅ではないどころか、この世に存在するのかすら怪しくなってきた。

 駅の中には他に何も見当たらなかった。

 ポスターもない、改札もない、あるのは駅舎の出口と駅看板だけ。

 案内板すらなかった。

 これはいよいよヤバイやつではないのか。

 いやいや、こういう時こそ冷静にならなければ。

 不安になる気持ちを、俺は何とか振り払う。

 俺は、線路を見てみることにした。

 ここの線路の幅は……狭軌だな。

 通っていったのがあんな列車だし、それもそうだろう。

 架線は……こんな場所なのに架線があるのか……。

 じゃあ、ちゃんと電車が来るんだな。

 線路は一本だから、単線だ。

 信号機も……あるんだな。

 こういう所は、妙にちゃんとしてるな……。

 暗い中、よく目をこらしてみる。

 ATSまであるな……。

 ある程度自動制動がかかるのか……。

 だめだ。わかってはいたけど、線路からは特に何もわからない。

 ちょっとこの場所についての面白い事実がわかっただけだ。

 困った。見れるところは見た。もう手詰まりだ。

 外に出てみるか?

 駅舎の出入り口に近づき、外の様子を窺った。

 相変わらず、周りは暗くてよく見えない。

 暗さに目が慣れてきて、わずかに見えるのは、遠くに見える木々が生い茂る山々と、舗装されていない道というところだ。

 人家のようなものもわずかに見えたが、灯りが全く見えないので、近寄る気にはなれなかった。

 すると、何か音が聞こえた気がした。

 耳をすますと、遠くから祭囃子のような、軽快なリズムで鳴る太鼓と笛の音がするのが聞き取れた。

 俺は、すぐさま覗かせていた頭を駅舎の中に引っ込めた。

 ホーム側に勢いよくずり下がる。

 いやいや、なんでこんな所で祭囃子が?

 周りに人の姿も明かりも見えないのが、本当に怖すぎる。

 外に出る勇気が出ず、またホームに俺は戻った。

 すると、俺がホームに立ったところで、ホームに音が響き渡る。

 これは、聞き覚えのある接近音だった。

 接近音が俺の乗ってきた路線と共通しているなんて、やはりここは沿線のどこかなのだろうか。

 不可解さは募るばかりだった。

 すると、俺が乗ってきた方角から、丸いライトが見えてきた。

 近づいてきて、それが電車だとわかる。

 だが、この駅で降りたものと違う電車だ。

 まず、この電車は二両編成だ。乗ってきたものは一両だった。

 この路線に、果たして二両編成は存在するのだろうか。

 だが、俺の乗ってきた路線には、二両編成ある。

 そして、車体の色も違う。

 これまた懐かしい国鉄色だ。

 すると、その電車は駅で停車をした。

 空気音と少しのがたつきと共に、扉が開く。

 車内の明かりに、一瞬目が眩む。

 どうすべきか迷った。

 この駅にいても、元の場所に戻れる気がしない。

 ましてや、外に出る勇気もない。

 だが、この電車に乗って無事に戻れるのかも定かではない。

 迷っていると、耳にまた音が入り込んできた。

 先ほど聞こえてきた祭囃子のような音が、より大きく聞こえた気がした。

 近づいているのだろうか。

 嫌な予感が、大きく膨らんできた。

 これは、迷っている時間はないのかもしれない。

 俺は覚悟を決めて、電車に乗り込んだ。

 空気音ときしむ音をあげて、ドアはゆっくりと閉まった。

 そして、モーター音を響かせながら加速していく。

 俺は、周りを見回した。

 なんだか、乗った時に俺は違和感を感じた。

 何か、車内に妙な部分が見えた気がしたのだ。

 よく周りを見てみる。

 天井、座席シート、窓、ドア、全部知っているものだ。

 気のせいか、と前へ視線を向けようとした。

 その時、嫌な寒気を感じた。

 視線を感じて、再び天井を見上げる。

「!!」

 すると、そこにたくさんの目があった。

 向こうも、俺に気づいたようだ。

 ぎょろっと、一斉にこちらに視線が向く。

 そして、湧き出るように黒い不定形のものが出てきた。

 いやいや、これはどう見てもやばいって。

 電車は走り出している。

 逃げ場などどこにもない。

 無理やりここから出たって、加速する電車からの衝撃で無事じゃ済まないだろうし、何よりこんな訳のわからないところで降りて、そもそも無事に過ごせる気もしない。

 完全に、詰んだ。

 そう思ったが、とにかく逃げるしかない。

 俺はそこで、運転席に目をやる。

 行きの時も、カーテンが降りているのか真っ暗で何も見えなかった場所。

 そこにいるのも少し不安があるが、あそこなら密閉された空間だから、少しの間時間稼ぎができるのではないだろうか。

 そう考えたら、俺の足は動いていた。

 とにかく、あの訳のわからないものに捕まりたくない一心だった。

 この形式なら、ドアの開け方はわかる。

 ドアに手を触れ、施錠部分を操作する。

 焦って、手に大量の汗をかいていて操作がおぼつかなくなりそうだったが、何とか扉を開けられた。

 勢い良く開けて、中に入る。

「!?」

 中には誰もいなかった。

 空っぽの運転台が、走る列車の中にあった。

 では、今までどうやって動いていたのか?

 混乱していたが、俺は迫る気配を察して、俺は慌ててドアを閉めた。

 そして、素早く施錠する。

 バンと金属に激しくぶつかる音がした。

 それは、ドアが閉まる音だけではなかった。

 見ると、ドアのガラス窓に先ほど見た無数の目が張り付いていた。

「ひぃっ!」

 恐怖に空気を飲み込んで、妙な音を出してしまった。

 その後も、ガンっ、ガンっとドアを叩く音がする。

「やばいやばいやばいやばい」

 心の声がもう口から出ていた。

 俺は運転台の方を見た。

 この形式は知っているから、運転はできそうだ。

 だが、どうしたらいい?

 止める? だから、止めてどうする。

 加速して突っ切る?

 考えている間にも、ぶつかる音が運転室に響き、思考を中断させられる。

「あぁー!! もう!! うるせぇー!!」

 俺はイライラして叫んでいた。

 すると、前方にトンネルが見えてきた。

 そういえば、祖母の昔話で何か聞いた気がする。

 トンネルは、この世とあの世をつなぐことがあると。

 だからトンネルは気をつけろ。この世の者でない者に出会う危険があるのだ、と。

 そして、万が一人を惑わす者に出くわしたら、眉毛に唾を塗ると、それが魔除けになるからしなさい、とも言われた。

 今、ふとそんなことを思い出した。

 今この世界がおかしい世界なのだから、このトンネルを抜ければ帰れるのではないだろうか。

 それなら、やることはこちらだ。

 俺は、運転台のマスコンハンドルを加速側へ倒した。

 どんどん電車はスピードを上げる。

 よし、このままトンネルを抜けてくれ!

 そう願いながら、ふとドンドンと響いていた叩く音があまりしなくなったので、気になって後ろを見た。

「うわぁっ!」

 ドアの隙間から、黒いねっとりしたものが、ずるずると少しずつではあるがこちら側に水漏れするように入り込んでいた。

 やばいやばいやばいやばいやばい速く速く速く速く。

 ただ、この世界から抜けることしか考えられなくなっていた。

 もうマスコンハンドルは、めいっぱい倒れていた。

 電車も、今まで感じたことのないスピード感があった。

 ガタガタと大きく揺れる。

 もう何もしようもなく、指は無意識に口元から唾を取り、眉に何回も塗りたくっていた。

 口は、昔聞いたことあるうろ覚えのお経を唱えていた。

 ズルズルズルズル。

 何かが這う音が、ひたすら後ろからしている。

 視界の端に何か映った気がして、俺はもうだめかと思い、目をきつく閉じた。

 そして、記憶がそこで途切れた。


 ガタンガタン。

 規則的な電車の揺れが、体に響く。

 ゆっくりと目を開けながら、俺は覚醒した。

 電車の中?

 そう気づくと、俺は慌てて立ち上がった。

 車内は、俺の知っている電車だった。

 それも、俺が乗っていた電車だ。

「え……?」

 突然の環境の変化に、俺はついていけず、当惑の声が思わず漏れた。

 周りには、寝ている人間、起きてスマホを見続けている人間、窓の方を見ている人間、まばらではあったが様々いた。

――まもなく終点、●●、●●です。本日も、××線をご利用くださいまして、ありがとうございました。

 その後、乗り換えの案内が流れた。

 そのどれもが、俺の知っているものだった。

 だが、まだ確信が持てず、俺は立ち上がったまま周りを窺って緊張していた。

 やがて、駅の明かりが見えてきて、電車が速度を落とす。

 ゆっくりと止まり、側にあった扉が音を立てて開いた。

 皆、立ち上がってドアから駅へ降りていく。

 俺も降りた。終点だから降りるしかない。

 降りてみて、ここが俺が乗ろうとした目的の駅であることもすぐにわかった。

 全て見覚えのあるものだ。

 電車から降りた人々も、改札どんどん出て行き、それぞれの帰路についていた。

 俺は、人の波にのって、改札にICカードを当てて外に出た。

 人の邪魔にならない所で立ち止まって、周りを窺う。

 夜でも灯りが絶えない、にぎやかな街並みが広がっていた。

 全く俺の想像通り、知っている場所だ。

 あぁ、よかった。帰ってこられたんだ。

 俺は、力が抜けてその場にへたりこんだ。

 なぜ戻ってこれたのかは、全くわからない。

 俺のとった行動のどれかが、良い方向に作用したのだろう。

 しばらくその場にへたりこんでいた俺だが、やがて立ち上がった。

 だが、そんなことを考えるのはやめよう。

 だって、俺は帰ってこられたんだから。

 あの場所には二度と行きたくないし、起きた出来事は忘れたかった。

 それにしても、腹が減った。

 こんな時間に、何が食べられるだろう。

 そういえば、駅の近くで泊れるようにネカフェにも予約を入れていたんだった。

 俺は、目当てのネカフェを目指しながら、食材を買える店を探すために歩き出した。

 しばらく、深夜に電車に乗るのはやめようと思いながら。

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