暗殺鮨・柳田

二之腕 佐和郎

暗殺鮨

 柳田は何にでもなれる可能性があった。多くの子供達と同じように。

 だが、彼の握りの才能が他の道を許さなかった。

 早くからすし職人の父に仕込まれ、小学校へ入学する頃にはすでに神童として名を馳せていた。

 彼は天才だった。

 握り、巻き、軍艦……柳田が握ればそれが最高の一貫になる。どんなに傷んだネタでも、どんなに突飛なネタでも、それがどんな素材であっても──。

〝神童〟は十歳にして父親のバイクを握り、周囲を驚愕させた。

「おまえは、すし以外の物を握っちゃならねえ──」

 一口大のシャリに乗った高密度の金属片──それを見る父の表情には、怒りよりも恐怖の色が濃かったことを柳田はよく覚えている。

 しかし、彼は父親の目を盗んでありとあらゆる物を握った。見つかるたび激しく折檻されたが、すし職人としての本能──すなわち、目の前の物体をすしへ還元したいという欲望は抑え難く、さらなる未知のネタを求めて柳田は狂奔した。

 鉄柵、レンガ、街路樹、タイヤ、革ジャン、犬、エトセトラ……。

 柳田が十八歳になったある日のことだった。

 父親の折檻がふっつりと止んだ。

 彼の握った炙りハンマードリル軍艦を見ても、父親は小言のひとつも口にせず、カウンターへ入っていった。

 柳田は狂喜した。彼のわざはついに完成したのだ。

 どんなネタであろうと、うまいすしであると錯覚させる──磨き抜かれた握りの技術が可能にした能力だ。

 彼はそれほどの高みへと辿り着いたのである。

 だが、それは同時に不幸のはじまりでもあった。

「ぎゃああああ!」

 つんざくような絶叫に振り返ると、父親の脳天に血飛沫が狂い咲いていた。

「親父ッ──!」

 すし屋ではついぞ聞かぬモーターの駆動音と脳漿の滴り。

 柳田は一瞬で状況を理解した。

 父親が炙りハンマードリル軍艦を口にしてしまったのだ!

 それは咀嚼をスイッチに回転をはじめ、鋭い切先で柳田の父親の頭蓋を抉り出した──。

 父親は死んだ。

「な、なんてこと……俺のせいだ……」

 警察は、彼の父親がハンマードリルを食べて自殺したのだと結論づけた。

 柳田は父親の跡を継ぎ、名店の看板を背負うこととなった。

 何でも握りたがる悪癖を除けば、天才的なすし職人である。評判は上々だった。

 しかし、彼の神業を真の意味で味わうことのできる人間は存在しない。

 柳田自身も、

「二度と握るまい……ハンマードリルなど……」

 そう固く心に誓っていた。



 柳田が店を継いでから十五年が経った。

 十五年のあいだに、柳田は結婚し、子供もできた。店の評判はうなぎのぼり。

 幸せを絵に描いたような暮らしだった。

 だが、柳田は知らず知らずのうちに、フラストレーションを溜め込んでいた。

「──殺してもらいたい男がいるんだがね」

 柳田は顔を上げ、カウンターの男を見た。季節外れの黒いロングコートを着ていた。

「へェ、物騒な話ですね……ここはただのすし屋ですよ、旦那」

「あんた、どんな物でも握れるらしいな、柳田さん」

「──ですから、私はただのすし屋ですよ」

 黒ずくめの男は柳田の言葉を無視して、写真を一枚取り出した。

「いずれ、こいつがここを訪ねるはずだ。なんでもいいが、……できるだけいいネタを握ってやってくれ。これは前金だ」

 写真の上に分厚い札束が積まれた。柳田は逡巡のあと、それを懐に収めた。

「最高のネタを用意しておきます」

 数日後、写真の男は丸ノコを食べて死んだ。

 死体と入れ替わるように、黒ずくめの男が来て成功報酬の札束を置いていった。

「柳田さん、本当に仕事を受けてくれるとはね」

「すしを握ってやっただけでね……」

「おっと、そうだったな。さて、早速で悪いが、次の仕事を頼みたい」

「フムン……」

「受けてくれるかね」

「いいでしょう」

 ターゲットの面相を記憶に刻みつつ、柳田は思案に暮れた。

「大将、次はなにを握るんで?」

「そうですな、芝刈り機にしますか」

 黒ずくめの男はひとしきり大笑いすると、店を出ていった。

 それからというもの、柳田はのべ24人殺した。

 これは同業と比較するとかなりすくない数字で、男によれば、ここぞという仕事だけを依頼しているらしい。

「大将、助かるよ。断られたら、と考えるだけでぞっとするような相手ばかりで……でも、店に連れて来さえすれば確実に始末してくれる」

「へェ──」

「それで、次の仕事だが……コハダをくれ」

 柳田の握ったすしに、男は手を伸ばさなかった。

「フフ……俺にはごく普通のすしに見えるがね。食って大丈夫かい? さて──」

 男は鞄をカウンターに置き、ビッ、とファスナーを開けた。

 柳田はぎっしりと詰まった札束を一瞥したのみで、黙々とまな板を洗っていた。

「しばらく仕事を休んでもらいたくてね」

「難しい相手なんですか」

「〝神の舌を持つ男〟だ」

 その言葉に手が一瞬止まる。

「ああ、あの……」

 世事に疎い柳田もその存在は知っていた。ひと口食べただけで料理人の技術、癖、体調まで言い当てられるというトップクラスの美食評論家だ。

「そういうわけで、頼んだぜ、柳田さん」

 男は結局すしに手をつけないまま、店を出ていった。

〝神の舌を持つ男〟ならあるいは、自分のすしの正体に気づくことができるだろうか。いや、そんなことはありえない。

 そう思うのは、暗殺者としてのプライドか、料理人としてのプライドか、当の柳田にもわからなかった。

 柳田はカウンターに残ったコハダを下げ、洗い物の続きをはじめた。

「父さん──。いま、大丈夫かい」

 遠慮がちに柳田の息子が厨房へ入ってきた。

「ああ、どうした」

「さっきの人は……」

「古い知り合いだ」

「──今日も、見てもらいたいんだけど」

「いいとも、ちょっと待ってろ」

 親の欲目を加味しても、息子の握りの技術はひどいものだった。時折、柳田と似たセンスを感じさせることはあるが、何度教えてもさっぱり上達せず、そのくせ、いずれ自分が店を継ぐことを疑っていない。

「どうでしょう」

「この分じゃ、百年経っても店は任せられないな」

「精進します」

「やれやれ……」

 親父の墓でも建て直すか──息子の握ったまずいすしを食べながら、柳田は物思いに耽った。



〝神の舌を持つ男〟はその異名に反して意外なほどに腰が低く、ひとりきりで店を訪ねてきた。

「ええ、一応……お伝えしていたとおり取材なんですが、クルーが一緒にごちゃごちゃ入ってくるのが嫌いで……ま、あんまり固くならず」

「お気遣いありがとうございます……えー、なにから握りましょうか」

「それじゃあまずヒラメをいただきましょう」

「へい、ヒラメですね」

 柳田が握ると、男はそれを口へ運び、丁寧に味わい、次のネタを注文した。何の言葉もなく、静かな微笑を浮かべている。それがかえって、何か試されているようなプレッシャーを柳田に与えていた。

「──気にせんでください。本当に、じっくり味わって食べているとね、つい無口になっちまって、フフ……次は、大将のオススメをいいですか」

「オススメですか」

 柳田の視線が一瞬カウンターの内側に走った。暗殺ネタの電動工具や凶器がいくつも転がっている。

 しかし、まだこの男の実態が見えていない。

〝神の舌〟の片鱗が見えていないことが、柳田をためらわせていた。

「大将? どうしました?」

「いえ……私のオススメですね、ただいま」

 柳田は足元のレシプロソーを取り、握りはじめた。

 レシプロソーは細長のブレードを駆動させ材料を切断する電動工具である。柳田の選んだものは小型ながらパワーのある機種で、口に運べば確実に致命傷を負うだろう。

「へいお待ち」

「ほぉ……これはなんという魚で?」

 柳田の顔にどす黒い笑みが浮かぶ。いまこの時点で鋸刃を認識できないのなら、男は死ぬ。

「サメの一種です。珍しい部位でね、ウチの店以外じゃまずお目にかかれません」

「それはそれは。いただきます──」

〝神の舌を持つ男〟はレシプロソーを口に入れた。

 った──!

 柳田の確信と、ブレードが男の顎を貫いたのは同時だった。

 そして、戦慄が走った。

「ふぅん……ふんふん……大将、これは、うまいね──!」

〝神の舌を持つ男〟は鋸刃に顔を斬り裂かれながらも、レシプロソーを存分に味わっていた。

「へ……へぃ……」

「次も(ヴィーンヴィーン)また(ヴィーン)大将のオススメを(ヴィーン)もらおうかな(ヴィーン)」

 顎を動かすたびにレシプロソーが鋸刃を駆動させる。男の血と肉片が飛び、醤油皿に落ちた。

「つ……次は、こちらで──」

 柳田は千枚通しを二十本余り取って軍艦に乗せた。男は頬に空いた穴から針をボロボロこぼしながらも、うまいうまいと平らげた。

「こ、この野郎!」

 柳田の頭にカッと血が上った。柳田は展示の水槽を拳で叩き割って、その破片をシャリにも乗せずそのまま握った。

「へいお待ち!」

「ほう、これはなんという魚で!」

「いいから食うんだ!」

 男は顔中血まみれにして、ガラスのおにぎりを頬張った。

「うまい──!」

「な、なんだと貴様!」

 柳田はありとあらゆるものを握った。用意していた暗殺用のネタを使い果たし、包丁を握り、まな板を握り、椅子を握り、電柱を握り、そのすべてを食べても〝神の舌を持つ男〟は死ななかった。肉を内側から裂かれ、体中から血が吹き出しても、男は微笑を浮かべたままだった。

 柳田の全身全霊の握りをもってしても殺すことができない唯一の──。

「おあいそ!」

 男が店を出ると、柳田は泣いた。



「いやぁ、ホントに(ヴィーン)すごい店でしたね。こう……古くから(ヴィーン)受け継がれてきた伝統を大事にしながら(ヴィーン)変わりネタも積極的に取り入れて、それも全部うまい(ヴィーン)っていう……」

 暗殺に失敗した夜から一週間、男が自分の店を褒めちぎる様子を、柳田はぼんやりと観ていた。

「神の舌を持つ男、か……」

 まさしく、その異名に相応しい超人であった。テレビに映る彼の体には暗殺すしの痕が生々しく残っている。

 殺しきれなかったにも関わらず、柳田の心には生涯感じたことのない清々しさがあった。

 すし職人としても、暗殺者としても、柳田は一度として満足の行くまで能力を振るう機会に恵まれなかった。

 だが、あの男の驚異的なタフネスのおかげで、自分の技術を全力で注ぐことができた──。

 フッ、と柳田は笑みを浮かべ、テレビを消した。

「父さん、すごいじゃない。これでもっと繁盛するね」

「黙って握れんのか、おまえは」

「──はい、すみません」

 ただひとつ、柳田の心中に気がかりが残っていた。

 この失敗の代償は、いずれ払わされるだろう──ということだ。いつになるかはわからないが、それは必ず遂行される。

「父さん、食べてください。コハダです」

「うむ──」

 息子の握ったすしを口に運び、柳田は深いため息をついた。

「おまえなぁ、何遍教えたらできるようになるんだ。こんな握り方じゃとても……ウッ──!」

 柳田は突然顔を引き攣らせ、胸のあたりをかきむしった。

 その様子に、息子は笑みを漏らした。

「父さん、いいんだよ。この握り方で」

「何……!」

「継がせてもらうよ、この店も、暗殺も──」

 高枝切り鋏が柳田の胸を内側から切り裂いた。

「殺してやるぞ、神の舌を持つ男……」

 息子の憎しみのこもった声が、柳田の最期の記憶だった。

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