花ぬすびと

Pygma

花ぬすびと

 或る日の白昼、私は、可愛らしい色のダリアを四、五本えらんで束ねていた。茎が傷まないようにゆるく紐を締めたつもりだったが、きゅうう、と微かに音がした。秋に花を咲かせるダリアだが、暦のずれから俳句では夏の季語として扱われているらしい。店内もすっかり澄んだ秋の空気で満ちている。


 商店街からすこし離れたところに二年前、小さな花屋を開いた。住宅街からは近いおかげか、開店当初に予想していたよりお客様の数は多かった。朝はお年寄りの方が、夕方は仕事帰りの会社員が多く来店するため、朝と夕方はとても忙しい。それと対照的に、昼は、とても暇だ。



 昼食を済ませて、特にすることもないので、午前中にオーダーを受けていたダリアのブーケをつくっていた。赤に、白に、淡い紫に、うすいピンク。我ながら綺麗にできたと出来栄えに満足していると、入り口の方から元気な声がした。


「お花、くださあい」


 手をハンカチで軽く拭いて、入り口に向かうと店先に小さな男の子がいた。幼稚園の年少さんか、年中さんか、自動ドアの横の胡蝶蘭と同じくらいの背丈だった。近くにある幼稚園に通う子だろうか。朝、店の外の生花に水をやるとき、親と一緒に通園する子どもをよく見かける。ただ奇妙なことに彼は、彼の手の大きさに比べると大きすぎる裁ちばさみを、乱暴な掴み方で握って、頭上に高く掲げていた。


 お母さんは何処にいるのか優しく尋ねたが、彼は、子どもらしくないぶっきらぼうな口調で短く、家、とだけ答えた。とりあえず私は、彼の持っているそれについて尋ねた。


「その大きなハサミはどうしたの?」


「ごうとうなの」


「強盗?」


 幼い姿に似合わない物騒な単語に少し驚いたが、気を取り直して彼に質問する。


「何のお花が欲しいの?」


「カーネーション」


ああ、成る程。お母さんに、誕生日か何かのお祝いで渡すためにカーネーションを買おうとしたけれど、お金がないのでわざわざ強盗の真似事までして花屋にやってきたのか。実に可愛らしいじゃないか。本来カーネーションの開花時期は三月から五月頃だが、ハウス栽培が盛んなおかげで花屋には年中置いてある。この花屋にも少しだけなら今でも置いている。


「ちなみに何色のカーネーションがいいの?」


 彼は、今度は子どもらしく小首を傾げて、暫く考えた後に、白、と答えた。


 どうして赤やピンクではなくて、白いカーネーションなのだろう。生憎この店には、白いカーネーションは残っていない。赤いカーネーションでもいいか、と聞こうとしたが、そもそもお金を持ってきてもらわなければ渡すことができない。


「お母さんにあげるんでしょう?残念だけど、お金がないとお花は買えないの」


 すると彼は今まで高々と掲げていた裁ちばさみを下ろし、小さく首を横に振ってから答えた。


「ううん、そなえるの」


「そなえる?」


「うん、おそなえするの。しんじゃったから」


「え」


 突然の衝撃的な答えに声をあげて驚いてしまった。この子のお母さんは亡くなっていたのか。でも、それでは先程の彼の答えと食い違ってしまう。


「ねえ、お母さんは家にいるんじゃなかったの?」


「うん、いるよ。いえでしんでるの」



 それからの私の行動は早かった。急いで店を閉めて、彼に案内してもらいながら彼の家に向かう。歩きながら警察への通報も済ませておく。幼稚園児のかわいい戯言であってほしいが、万一のために一応。


 彼の家に着くと、すみません、と小さな声で断ってから家に入る。扉には鍵がかかっていなかった。家の中を覗くと確かに奥の方に倒れている女の人がいた。靴を素早く脱いで彼女に駆け寄ると、彼女は意識こそ失っているようだったが息をしていた。安堵のため息をふっと短くついた後、すぐに救急車を呼ぶ。倒れている彼女の顔のそばには、剥き出しの最中が三個、雑然と置かれていた。キッチンの冷蔵庫は開いたままだった。



 救急車が到着した後のことはよく知らない。警察の人が言うには、母親は貧血で倒れた拍子に椅子の背もたれに強く頭をぶつけ、意識を失っていたらしい。後遺症が残るほどの怪我ではなかったらしく、その日のうちに退院できたという。あの男の子は、母親が病院に搬送された後に仕事場から駆けつけた父親が引き取ったらしい。



 数日たって例の親子が花屋にやって来た。店内に入ると男の子は、走り回ってはお気に入りの花を見つけると近くに寄って、その花をじいっと見つめていた。お墓参りに行く途中らしく、母親は線香やライターが入ったビニール袋を提げている。母親は、こちらが申し訳なくなるほどに何度も頭を下げた。終いには、何かお礼をさせてほしいとまで言うので、よければお花はいかがですか、と聞くと、では白いカーネーションをお願いします、と答えた。


 男の子が来たときに白いカーネーションを切らしていたことに気づいたので、あらかじめ仕入れて店に置いていた。良かった、まだそのカーネーションがすこし残っていた。お会計を済ませて、白いカーネーションを母親に渡しながら、私は聞いた。


「息子さんを連れて、お墓参りによく行かれるんですか?」


「ええ、この子が生まれる前に亡くなった私の母のお墓に。このカーネーションもお墓に供えるつもりなんです。息子も私の真似をしてお墓に手を合わせてくれるんですよ。ねえ?」


 母親は男の子の方を向いて男の子に聞いたが、花を見つめるのに夢中なのか、男の子は一拍遅れて、うーん、と中途半端に返事をした。


 私はふと、男の子の家で見た異様な光景を思い出して、母親に続けて質問した。


「ちなみにお母様は最中がお好きだったんですか?」


「そうなんです。大好物だったので、最中もいつも母の墓に供えているんですよ。何故わかるんですか?」


 私はすこし考えて、答えた。


「息子さんも上手にお供えできていましたからね。ふふ」


 母親はそのまま、それでは、と言って店を出ていった。それまで花を見ていた男の子は、店を出る直前にこちらを向いて数回お辞儀をして、小走りで母親を追いかけるように店を出た。親子が帰った後の店内には、カーネーションの優しい香りが残っていた。



 或る日の白昼、私はまた、その日の午前中に注文を受けていたブーケをつくりはじめた。今度こそ茎を傷つけないようにうんと気をつけて、ゆるく紐を締めた。ハンカチで手を拭いて顔をあげると、店の外には、暖かい陽に照らされて金色に美しく輝く秋風が吹いていた。






            〈 母まねて手を合わす子や秋彼岸 〉

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