第26話 剣の異変②

 雰囲気に圧されて尻餅をついた公花が、そのままの体勢で呆然としていると、教師たちが慌てて駆けつけてきた。

 その中には、担任の田中の姿もある。


「日暮! 怪我は?」

「だ、大丈夫です、どこにも当たらなかったので……」


 面食らいながらもそう答えると、別のところでも悲鳴が上がった。


「きゃーっ!」

「誰か倒れたぞ!」

「どうしたの、蛇ノ目くんっ」


(え……?)


 公花は騒ぎのほうへと顔を向ける。

 そこには、砂地のグラウンドに倒れ伏した、蛇ノ目剣らしき男子の姿があった。


       *


 深淵から滲むようによみがえる、懐かしき時代の記憶。

 白い靄に包まれて、柔らかく立ち昇ってくる。


 ここは夢の中。明晰夢の世界。

 自分自身が登場人物のひとりとして出演している夢を、もうひとりの自分が観客として眺めている、そんな状況だ。


 まるで映画のように、シーンは流れていく。


 その一幕の主人公である白蛇は、深く嘆き、悲しんでいた。


 目の前には、腹を見せて無防備に転がっている一匹のハムスター。


 ふわふわだった毛は乱れ、呼吸はか細く途切れかけている。彼女は寿命を迎え、今まさに命の灯が消えようとしているのだ。


 天に定められた命の尺だから仕方がない――なんて納得できるはずもない。永らく生きてきた中で、初めて心通じた相手なのだから。


(寂しい。失いたくない――)


 蛇は、彼女の死の運命を変えることはできないかと、至高たる存在に願った。


 すると超自然の思念体である「光」が、淡く明滅し、空気が動いた。


『……。……、……』


 思念体は、答えたのだ。「それはできない」と。

 音が発せられたわけではない。頭の中に直接語りかけられているとでも言おうか。


 それに対し、蛇は即座に切り返した。


「叶わないのならば、自分の寿命も一緒に奪ってほしい」


 だがそれもまた、返ってきた返事は「否」。

 蛇は、慟哭した。


「……天よ。世を見つめ、生き続ける虚ろな存在として選ばれてから、はや幾年。気づけば理をはずれ、多くの命を見送った。我ひとり、こうして姿を変えず、時の流れから取り残されて……。

 なんの因果か背負わされた宿命に、文句を言うつもりはない。さりとて我は価値ある大業を成したわけでもなく、これからも成し遂げるつもりはない!

 こんな怠惰な我が、神の使命を果たすは役不足。いっそ解任してはくれまいか」


 思念体は、蛇を諭す。


『――それはできません。あなたは選ばれ、神域に入った者だから』


 もとより理屈が通る相手ではない。

 それでも引いてなるものかと、対話にしがみつく。


「……役務の解放が無理であれば、どうか彼女にも慈悲を」


『彼女は、あなたとは違う。摂理の中に生きる分子のひとつに過ぎません。それ以上でも、それ以下でもない』


 彼女の肉体はここで消滅する、それは避けることのできない運命。

 それに、永遠の命を与えることは、彼女にとって慈悲とはならない。このことは蛇自身が一番わかっているはずだと。


 蛇は言葉をなくし、黙りこくった。


 引き下がったわけではない。次の一手を考えているのだ。


 自然の摂理である「死」を巻き戻すことは不可能……。「死ねない」ことの虚しさも知っている。

 だからといって、はいそうですかと受け入れられるものか。


 一緒にいたい。ただそれだけだ。


 欲のない素直な自分は、とっくに消え失せた。諦めの悪い性格こそが、本来の我である。


(ならば、どうする――)


 牙をむき、世を荒らすか、仕事をボイコットするか。

 そんな黒い企みを巡らせていると、思念体はわずかに揺れる声で言った。


『不穏なことを考えているようですね。御使いは摂理のひとつ。機能しなければ世が乱れるというのに、嘆かわしいことです……』


 どうやら筒抜けのようだ。

 神仏は無慈悲なものだと思っていたが、目の前の存在は長く人の世に関わったゆえか、どこか人間味があるように感じる。


「知ったことじゃない」

 やさぐれた子どものように、蛇は言った。


『たしかにあなたは、これからも気の遠くなるほど長い月日を生き続けなければならない。それは楽なことではないと察します。

 ――そうですね、考慮の余地はあるでしょう』


 気の毒とでも思ったのだろうか。自然たる存在は譲歩し、言った。


『では――。魂を縁で結びましょう。いつかまた巡り合えるように。肉体は滅びても彼女の魂は輪廻の輪をくぐり、いつか転生するでしょう。それでよろしいですか』


「……それしか方法がないというのなら」


 蛇は、頷いた。

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