第17話 燃え残る夢
サキグロは、あやめ池を一回りするとハゴロモの待つ農具小屋へと入って行った。
あやめ池から離れようとしないハゴロモのために、二匹で決めた場所だった。
小屋は農道とあやめ池の間にあり、屋根の近くに明かり取りのガラス窓があった。
ここからならあやめ池がよく見えるし、雨風もしのげる。
何より日があたって暖かかった。
「おかえりなさい。あなたが飛んで来るのが見えたわ」
「そうかい? あちこちひと回りして来たよ」
ハゴロモはガラス窓の作る陽だまりにいた。
サキグロはその横に滑り込んだ。
「ハゴロモの近くは季節が逆戻りしたみたいに暖かいな」
「うふふ、あたしじゃないわ、お日様のおかげよ」
ハゴロモはおかしそうに笑った。
「なあ、クロスジはカガヤキが生まれた田んぼに行き着けたかなあ?」
「ええ、大丈夫。クロスジならうまくやるわ」
「それもそうだな」
「それより、ホシゾラのほうが心配。クロモンは意地っ張りだから」
「あははは、あいつら不器用だからな」
サキグロは笑った。
ハゴロモはみんなのことをよくわかっている。
胸のつかえがスッととれた。
「どうしてるかな?」
サキグロは窓の外に目を向けた。
クロスジやクロモンに会いたかった。
なんでもいい、彼らと言葉を交わしたかった。
「きっと今頃、故郷の変わりようにショックを受けてるに違いないわ」
ハゴロモがくすくす笑った。
「オレたちみたいにか?」
サキグロも笑った。
そうか、こいつと居られてオレは幸せだったんだ・・・
サキグロは、初めて空を飛んだ日からずっとハゴロモと一緒だったことに気づいた。
『オレは透けるように美しいこの羽に魅せられたんだ』
陽だまりの中で、ハゴロモとの長い日々を思い返した。
ガラス窓から見える空は、どんよりと低い雲が垂れ込めていた。
里山の木々が、茶色く色づき始めていている。
なん日か前、人間たちがやって来て、あやめ池に散らばる夏の痕跡をきれいに片付けて行った。
かつて青々と夏草が茂り、様々な花が咲き、いろいろな生き物であふれていた証しが無造作に集められ、ビニール袋につめられて軽トラックの荷台に投げ込まれて行く一部始終を、ハゴロモはガラス窓からじっと見ていた。
人間たちが片付けていったのは、ハゴロモとサキグロが生きた時代そのものだった。
「またちょっと出かけて来るよ」
「うん」
サキグロが出かけて行く。
どこへ行くのかサキグロはなんにも言わない。
でも、ハゴロモにはわかっていた。
「だってあたしたちは、あの場所から世界の果てを目指したんだから・・・」
『虹のふもとはどうするんだよ』
サキグロの言葉が、今もハゴロモの耳に残っていた。
『高原にだって雨は降るでしょ?』
「確かあたしは、こう言ったんだ・・・」
高原にも雨は降った。
でも、虹が出たかどうかハゴロモは確かめたことがなかった。
「サキグロは雨が降るたびに虹を探していたんだろうか?」
サキグロは何も言わない。
でも、きっと虹を探していたんだ。
今もまだ、心の隅に虹のふもとが引っ掛かっているに違いない!
「あっ!」
ここまで考えて、ハゴロモは重大なことに気がついた。
もしもそうなら、あたしはサキグロのお荷物でしかない・・・
楽園を目指したあの日、あたしはサキグロの夢を奪ってしまったんだ!
ハゴロモは思う。
サキグロの夢、そしてサキグロの一生・・・
取り返しのつかないことをしてしまった!
もしもあのまま虹のふもとを探していれば、サキグロは自分の夢を掴んでいたかもしれないのだ。
一方あたしは、サキグロに出会い、思いがけない冒険をして、高原で幸せな日々を過ごし、今また、あやめ池を毎日見ていられるようにしてもらった。
『あたしの幸せは、サキグロの犠牲の上に成り立っていたんだわ・・・』
悔やんでも悔やみきれなかった。
「サキグロに確かめなくちゃ」
虹のふもとに未練があるなら、笑顔で送り出してあげないと。
「今度はサキグロの番だわ!」
ハゴロモは思った。
でも・・・
心の片隅では、このままずっとサキグロと一緒に居たいと思っていた。
それほど時間はないのだろう、すぐに冬がやって来るのだから・・・
せめてそれまで、サキグロと一緒に子どもたちを見守っていたかった。
窓の外にはあやめ池が見えた。
あそこにあたしたちの卵がある・・・
ハゴロモは、じっとその場所を見つめていた。
池の水面にぽつぽつと、雨が波紋を広げ始めた。
「いやー、いきなり降って来たよ」
サキグロは雨に濡れてもどって来た。
「ん? どうかしたのか?」
ハゴロモの顔を見るなりサキグロが尋ねた。
「どうもしないわ」
ハゴロモはじっとサキグロを見つめている。
「どうもしないって・・・、なんでそんなにジロジロ見るんだ?」
サキグロは眉を寄せてハゴロモに近づいて行った。
「ねえ、あたし、本当のことが知りたいの」
サキグロを真っすぐに見てハゴロモが言った。
「なんだよ急に」
「ちゃんと答えて。あなたは幸せだった?」
「はあ? どうしたんだよ急に?」
サキグロは心配そうにハゴロモを覗き込んだ。
「ねぇ、あたし、あなたのお荷物になってる?」
「何を言ってるんだ。お荷物なんかじゃないし、一緒にいられて幸せだよ?」
サキグロは心配そうにハゴロモに寄り添った。
『あぁ、サキグロはやさしい。最期までうそをつき通すつもりなんだ・・・』
ハゴロモは思った。
うれしくもあり、悲しくもあった。
「虹のふもとは?」
「えっ!?」
その言葉はサキグロの胸のずっと深いところを突いた。
『やっぱりそうなんだ・・・』
ハゴロモは確信した。
「あたしのために、何も諦めて欲しくない!」
「なにを言ってるんだ」
「ずっと待ってるから」
「ハゴロモ」
「お願い!」
「冒険の季節はとっくに終わったんだ」
「終わってなんかないっ!」
ハゴロモはサキグロの手をとった。
「冒険しようとする時が、いつだって冒険の季節なのよ。ね、そうでしょ?」
「・・・」
サキグロは黙った。
「お願い、本当の気持ちを聞かせて」
サキグロはしばらくの間黙っていた。
窓の外では雨があがったようだった。
鳥のさえずりが聞こえ始めていた。
「オレはまだ、オレにしか出来ないことをやり遂げていない・・・」
搾り出すようにサキグロが言った。
「ありがとう」
ハゴロモは深々と頭を下げた。
窓に薄日が差していた。
「あたしは危うく大好きなトンボの一生を台無しにしてしまうところだった」
「オーバーだな」
ハゴロモは笑い、サキグロは渋い顔をした。
その時、窓からキラキラと一筋の光が差し込んで来た。
「あっ!」
「あれは!」
これまで見たこともないくらい大きな虹が、空いっぱいにかかっていた。
「必ず見つけて来る!」
サキグロはハゴロモを見つめると力強く言った。
「うん。見つけたら、必ずもどって来てね」
「ああ、必ずもどって来る」
サキグロは出口に急いだ。
「サキグロ?」
「ん?」
「あなたに会えてよかった」
サキグロは立ち止まり、ハゴロモをじっと見つめた。
「オレもだ」
もうサキグロは立ち止まらなかった。
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