第8話 虹の伝説
船は大きな港にゆっくりと入って行った。
岸には赤と白に塗られたキリンのようなクレーンが並び、その向こうに広大な倉庫群が建ち並らんでいるのが見えた。
倉庫の屋根の向こうには、高いビルがいくつも顔をのぞかせている。
船はその前をゆっくりと通りすぎて行った。
「なんなの、ここは・・・」
ハゴロモは目の前に広がる風景を呆然と眺めていた。
森はおろか一本の木さえない。
どんよりとはしていないが、うっすらと靄がかかった不健康な空が広がっていた。
「街の港だの」
クロスジはこともなげに言うと、パッと舞い上がった。
「おかしいよ、ここ!」
「世界にはこういうところもあるんだのう」
「ちょっと、待ちなさいよ!」
ハゴロモが追いすがる。
サキグロはもう少し船の上から港を観察していた。
ビルの向こうにかすむ山並みを見つけるとようやく舞い上がった。
トンボたちは、少し離れた桟橋の手すりにとまった。
船は目的の岸壁に近づくと、煙突からさかんに煙を出し、船体を震わせながら大きなエンジン音を響かせた。
船尾の海が白く泡立ち、甲板から岸へロープが投げられるのが見えた。
騒がしかった船が静かになると、たくさんの人間が降り始めた。
「今日も無事に着いたようね」
トンボたちから少し離れたところで、一羽のかもめが羽を広げて伸びをした。
「いつも船が着くのを見てるの?」
「え?」
かもめは声のした方を探した。
思いがけず小さなトンボを見つけると、驚いた顔をした。
「まあ、トンボなんて珍しいわね」
「こんにちは。トンボを見るのは始めてかい?」
「こんにちは。初めてじゃないけど、ここで見たのは初めてよ」
かもめはぴょんと跳ねるとトンボのほうへ体を向けた。
「ボクらは島の港から来たんだ。犬を探しているんだけど、見なかったかい?」
「犬? そう言えば少し前に犬が降りて来たことがあったわね」
「どんな犬だったの?」
「白い大きな犬だったわ。船に乗る犬はめったにいないの。だから良く覚えてるわ」
「で、どっちへ行ったの?」
「どっちって、ほら、あそこのバスに乗って行ったわ」
「ありがとう」
「あ、ちょっと!」
かもめが呼び止めた時には、トンボたちは動き始めたバスに向かって一目散に飛び出していた。
バスは、ロータリーを抜けて大通りへ曲がるところだった。
トンボたちはその屋根にしがみついた。
バスは大通りをしばらく進み、大きな街へと入って行く。
両側にショーウィンドウが続き、何台もの車が走り、沢山の人が行き交っていた。
「うわぁ~、目が回りそう」
ハゴロモは街の喧騒に圧倒されていた。
「おもしろいのう」
一方のクロスジは、ご機嫌であたりを見回している。
街は見たこともないものであふれていた。
「あれはなにかのう」
「こっちはなんであろうの」
盛んにサキグロに話しかけている。
でも、探している母犬が住んでいる場所とは思えなかった。
やがてバスは大通りをそれて住宅街に入って行った。
しだいにあたりが静かになった。
庭のある大きな家が続いた。
バスはいくつもの交差点を右に折れ、左に折れしながら住宅街を進んだ。
照りつける日差しに出歩く人もなく、ひっそりとした街にバスのエンジン音が消えて行った。
「ねえ、どこまで行くの?」
「どこか途中で降りたんじゃないかのう」
「でも、どこで降りたかなんてわからないわ」
「とにかく終点まで行ってみよう」
住宅街を抜け、並木道を通って、やがてバスは駅のロータリーへ入って行くと、いくつも並んだ屋根のあるバス停のひとつに止まり、そのまま動かなくなってしまった。
「終点かの」
キョロキョロしながらクロスジが言った。
「彼らに聞いてみよう」
サキグロが見つめる先には、噴水の前でエサをもらうハトの群れがいた。
ハトたちは、走り寄る小さな子どもにいっせいに舞い上がった。
が、あたりを一回りしただけで、再び噴水の近くに降りて来た。
「ボクらは、バスに乗った白い大きな犬を探しているんだ」
サキグロが声を張ると一羽のハトの声が返ってきた。
「白い大きな犬か。いつごろのことだい?」
「一週間くらい前だと思う」
ハトはサキグロに確かめると仲間たちを振り返った。
「おーい、誰か知ってるか?」
「オレ、見たぜ」
えさをついばんでいた一羽がひょいと顔を上げた。
「どこで?」
「案内するよ」
飛び立ったハトは並木道を飛び越え、住宅街に入り込むと、とある家の前で電線にとまった。
「ほら」
大きな家だった。
庭の片隅に犬小屋があり、白い大きな犬が、犬小屋から離れた日陰に座っていた。
「この辺には、あと何軒か犬がいる家があるけど、ほかの犬はずっと前から住んでいるんだ。最近来たのはあの犬だけだよ」
「ありがとう」
「うんにゃ。じゃあな」
パタパタと羽音を残して飛び去るハトを見送ると、トンボたちは犬小屋の屋根に舞い降りた。
「小太郎のお母さんですか?」
「小太郎!? 小太郎はどこにいるの?」
サキグロが声をかけると、母犬ははじかれたように立ち上がり、キョロキョロあたりを見回した。
「小太郎は、あの島にいます」
「ああ・・・」
母犬はようやく声の主に目を向けた。
「小太郎は、元気でいるんですか?」
「ええ、とても」
母犬はほっとため息をついた。
「あなたたちは?」
「小太郎からあなたの事を聞いてやって来たんです」
「そうですか。小太郎はなんて?」
「ええ。小太郎は『さよなら』と伝えてくれと」
「ちょっと、サキグロ・・・」
母犬は足元の芝を見つめていた。
「小太郎は、わかってくれたんですね」
「小太郎は、自分の足で立ち上がりました」
「そうですか。あたしたち犬は、何千年も人とともに暮らして来ました。小太郎もあの島の人とともに、何かをやり遂げてくれると思います」
「ええ」
サキグロは小太郎が話した虹の伝説のことを尋ねた。
「あれはまだうんと小さい頃のことだったのに。小太郎は覚えていたんですね」
「はい」
「虹の伝説・・・、私も母から聞いたんです。遠い昔、人間と一緒に虹を探して旅に出た先祖がいたとか・・・」
母犬は遠くを見ながら話し始めた。
「雨上がりの空に虹がかかる。そのふもとに咲く青い花の下に、金色に輝く幸せの小箱が隠れている。それを手にすればどんな願いでもかなう。だって虹は、その小箱から漏れ出る希望の輝きで出来ているのだから・・・。そんな伝説です。だけど、その小箱を手にしたものはいないとも聞きましたが・・・」
「オレたちが手に入れて見せます」
サキグロの言葉にトンボたちがみな頷いた。
「そうね、あなたたちならきっと出来るわ」
母犬は晴れやかに笑った。
小太郎の様子をしばらく話したあと、トンボたちは母犬に別れを告げた。
「いつか、あなたと小太郎が会える日が来ることを祈っています」
「ええ、ありがとう!」
トンボたちは母犬のもとを飛び立って行った。
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