第3話 山の向こう
「じゃ、行ってみるか?」
お日様が東の空の雲を照らし、西の空にはまだ月が残るころ、サキグロが世界の果ての山を見上げて声をあげた。
「うむ。行ってみるかの」
クロスジはカメを真似たのんびりとした口調で応じると、一番先に舞い上がった。
「おっ、そう来たか!」
サキグロがあとを追う。
ハゴロモとクロモンが笑いながら二匹に続いた。
あの日、カメと分かれてから、トンボたちはあの山の向こうがどうなっているのか何度も何度も話し合った。
何もないとサキグロが言えば、あるかもしれないとクロモンが食い下がった。
延々話し合ったが、トンボたちにわかるはずもなかった。
まっ白ではないだろう、みんななんとなく思っていた。
が、どこまでも落ち込む崖だったとして、その崖の下はどうなっているのか?
もし、崖の下に地面が続いていたら、それは世界の果てと言えるのだろうか?
逆に地面がないのなら、その崖はいったいどこまで落ち込んでいるのか?
どうやってそれを確かめるのか?
話は脱線を繰り返し、意見をまとめることさえ出来なかった。
とうとうサキグロが言った。
『よし、あの山の頂に行ってみよう。行って向こうを見て来るんだ!』
トンボたちは朝日を浴びて飛びつづける。
あやめの谷戸は、まだ黒々と夜の闇に沈んでいた。
「なあ、あの山の向こう、本当に何にもないのかのう?」
クロスジが言う。
「何にもないに決まっている!」
サキグロが怒ったようにこう答えた。
「どうかな?」
クロモンはニヤニヤしている。
「わからないから見に行くんでしょ!?」
ハゴロモが、ハラハラしながら割って入った。
トンボたちは後になり先になり、すべるように飛び続ける。
顔を出したお日様が、森の梢を照らし始めていた。
やがて田んぼやあやめ池にも、朝の光が届くだろう。
トンボたちは黙々と飛び続けた。
ずいぶん飛んだはずだった。
いつの間にか高く昇ったお日様が、きらきらとあやめの谷戸を輝かせていた。
でも、いくら飛んでもたどり着けない。
山は静かに佇んでいた。
「なあ、あの山こんなに遠かったかのう?」
クロスジは、どこまでも続く青い空に、くっきりと浮き出して見えた。
「ああ、遠かった」
ぶっきらぼうに答えるサキグロも、青空を切り取るように浮き上がって見えた。
それほど飛ばないうちに、またクロスジが話しかけた。
「なあ、この山こんなに高かったかのう?」
「ああ、高かった」
雲ひとつない青空がどこまでも広がっていた。
「なあ、今日はこんなに暑かったかのう?」
前を向いたままクロスジが言った。
「ああ、暑かった」
不機嫌にサキグロが応じた。
「なあ」
「まだあるのか?」
むっとしたサキグロがクロスジを振り返る。
「なあ、まだ何も言ってないんじゃがのう」
「わかったよ!」
サキグロが首を振ったとき、ちらりと山の向こうが見えた気がした。
「むっ!」
サキグロは、ひらりと風に乗ると空高く昇っていった。
「あん、なんだ?」
「いいから見てみろ」
「なに?」
「あっ!」
「こんなことって・・・」
次々と高く昇ったトンボたちは、山の頂で呆然と輪を描いた。
「大丈夫か?」
「うん。それより・・・」
「ああ」
トンボたちは、一匹、また一匹と、山の頂にある立ち枯れた木の枝にとまった。
「誰だ、世界は三角形だって言ったの・・・」
長い沈黙の後、クロモンがポツリと口を開いた。
目の前には、山の向こう側の斜面に続く森と、その先に広がる田んぼがどこまでも広がっていた。
「誰だったかのう」
クロスジは、ずっと向こうの田んぼを見ていた。
「オレたち、なんにも知らないな」
サキグロもまた、遠く広がる田んぼを見ていた。
「そういうことだの」
クロスジが応じた。
「どこまで広いんだろう?」
「さあ・・・」
「行ってみるか?」
「まじ?」
「行ってみなきゃ、わからんだろう」
「だな」
サキグロとクロスジは、今にも飛び出しそうだ。
「ちょーっと待った! カメさんに話してあげようよ、ねっ? ねっ?」
魅入られたように遠くの田んぼを見つめ続けるサキグロとクロスジを、ハゴロモが懸命に引き留めていた。
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