Melomeworks002:蝉の本

 人間が動物に見えるって言う感覚は昔から……物心ついた頃からあった。


 その頃から、何かの『物』『物体』『道具』なんかが動物と融合した形で見える事もあった。


 話すと大抵、適当にあしらわれるんだけど。


 でも、動物に見える『物』は大抵何かがある。


 その日、見つけたのは『蝉の本』だった。


 文芸部の部室にあった。部室は蛇とか昆虫の死骸が腐ったような臭いが薄く漂っている。別に不快じゃない。獣の死骸の臭いはもっとつらい。


 何か面白い本はないかな、探していたら「釈迦釈迦」聞こえた方にいくと、一冊の本が鳴いていた。


 その時の部室に、いつもいる狼魚先輩はいなかった。僕と、ペンギンだけ。


「ペンギンー」


 僕は、蟻ノートがいっぱい並んでる棚を漁っているペンギンに声をかけた。


「え? どうしたの?」


「これって貸出可能だと思う?」


 僕は「釈迦釈迦」鳴いてる本を取って、ペンギンに見せた。


 その本は蝉の抜け殻を大量に縫い合わせた中央に、クマゼミが貼り付けられた表紙をしている。まあ、多分見方を変えれば別の表紙なんだろうけど。


「ちょっと見せて」


「うん」


 僕はペンギンに蝉の本を渡す。ペンギンは背表紙を見た。


「禁帯出になってないから、大丈夫じゃないかな」


「じゃあ借りる」


「うん。ちゃんとノート書いてね」


「うん。これ読みたいから先帰るね」


「気をつけてね」


 簡単なやり取りをして、僕は豚の皮が見えるノートに本のタイトルを書いた。『夏に消ゆ』って、読むのは結構大変だった。セミの抜け殻が邪魔。


 部屋の臭いは残らない。部室の中をくねくね通ると、何かの腸の中を転がっている石になっている気分になる。


 転石苔むさずって言うし、いっか!


 どっしり構えるより、ころころしていたい。


 僕は部室を出て、寮への道を急いだ。


 蝉の声はずっと聞こえてた。鞄に本を入れていたから、くぐもっていた。


 そう言えば、今年初めて蝉の声を聞いたな。


 クラスには蝉に見える人がいるけど、いまいち蝉っぽい泣き方で泣かない。鳥っぽい。でも蝉に見えるから蝉ちゃんって呼んでたら本人に怒られた。


 閑話休題。


 僕が帰っても、ルームメイトのカニちゃんはいなかった。


 本を読むのを邪魔してくる人じゃないけど、いないならゆっくり蝉の本の声を聞けるかな?


 僕はわくわくしながら、椅子に座って蝉の本を開いた。


『死産と言われて生まれてきました』


 書き出しが気になった。


 作者の実体験に基づいた小説って、ある。そういう本は、何か別の物に見えやすい。


 読み進めていくと、耳元で「早く楽にしてください」「もうつらいのはいやです」

「殺してください」本に書いてない言葉が次々に聞こえる。イヤホンはしていないし、音楽もかけてない。


 外の声って寮の部屋にいるとまず聞こえないんだよなー……僕は多分、桜来おうらいにはよくある不思議に巻き込まれた。


 まあでも、人間が錆びて見えたりするのに比べると視覚的な恐怖は薄い。本のページの端っこにセミの肢が見えるくらいで。


 ちょっと読み進めてみる。


「苦しいんです」「毒をください」「お願いします」「痛みが消えません」痛ましい声はやまなくて、その内容は蝉の本の内容と関係あるのかないのか、最初の内は分からなかった。


 でも、どうして蝉に見えるのか、読み進める内に推測ができてくる。


 続き物じゃない単発の本は、終わりにいくにつれてストーリーがどう畳まれるのか気になっていく。


 蝉の本の内容はかなり苦しかった。死産と言われて生まれた主人公が苦しみながら、やっと健康になって、パートナーを見つける所までいった。


「やめて」「やめて」「やめて」「やめて」「やめて」「やめて」耳元で聞こえる声は明らかに変化した。


 社会的に上手くいくような軌道に入った主人公は、病が再発してパートナーに捨てられる。


『手は尽くします』お医者さんの言葉が、最後の台詞だった。


 そこから一気に話の筋が混乱した。主人公の動転した心理が描かれ、進行する病状を可能な限り詳細に書いていた。


 でも……書かれている通りなら『心臓に針が刺されたように痛い』『夜中に何度も窒息しそうになって目が覚める』『僅かに動く度、内臓が千切れるように痛い』人間がそんな状態で入院生活を送られるのか?


 最後の一文。


「神様が私の所まできているのか、もう私は逃げられないのだから、連れていって欲しい」


 そこを読み終えると、僕はいつか聞いた、けどよく覚えていない言葉の流れを聞いた。


 読経だ。


 パタ、本を閉じると、僅かに「釈迦釈迦」が聞こえるだけになった。


「メロメさん……凄い熱中してたけど、どうしたの?」


「うわっ」


 いつの間にか、部屋にカニちゃんが帰ってきていた。


 鋏を上げる(首を傾げる)カニちゃんになんて言おうか迷う事はない。


「この本……明日部室に返すけど、読むと何か聞こえるから、開かないでね」


 ここは桜来だから。


「分かった。それより、早くいかないと食事時間終わるよ」


「あ、もうそんな時間か」


 大分時間を忘れていたな。僕は蝉の本を机の上に置いて、急いで食堂に向かって、ご飯を食べた。


 蝉の本は「釈迦釈迦」鳴いてたけど、それくらいは別に気にならない。お風呂にいく前、カニちゃんに何か聞こえないか聞いたら「特には」らしい。


 音がついてるのは久しぶりだな……僕はお風呂に入って、部屋に帰って、お釈迦様の名前を聞きながら明日の準備をして、ベッドの上の段に上った。


「ねえカニちゃん」


 寝る前、ちょっと気になってカニちゃんを見る。


「何?」


 蛍光灯のスイッチに向かっていたカニちゃんは、僕の方を振り返った。


猿黄沢さるきざわでお葬式をする時って、お坊さん呼ぶ?」


 不意に気になった疑問。でも、『そこ』な気がした。


「お坊さんはこない。神社の方で扱ってる。お寺は昔あったらしいけれど……」


 カニちゃんは鋏を上げた(首を傾げた)。


「……四方手よもての神様に祟られて、お坊さんがお亡くなりになって、お寺そのものも燃えたって聞いた」


 やっぱり、『そういう事』だ。


「それ以来、お寺は猿黄沢に立たない。『四方手の神様』が許さないらしいから」


 僕はベッドの二段目から飛び降りた。


「どうしたの!?」


 カニちゃんが驚いたけれど、僕は机の上に置いた蝉の本を取った。


「お釈迦様じゃない。四方手の神様にお願いして」


 僕が語り掛けると、蝉の本は「釈迦釈迦」鳴くのをやめて、黙った。


「メロメさん?」


「……楽になれたのかな」


 だといいけど。僕は蝉の本の事をカニちゃんに話した。この作者が言ってた『神様』が四方手の神様なら、多分、お経に頼るのが間違ってる。


「割れたお地蔵さんがあるくらいだから、四方手の神様はそうだろうね。桜来文芸部出身のプロ作家って多いらしいし」


 カニちゃんのお墨付きがあれば、間違いない。


 何より。


 力尽きたように、蝉の本は抜け殻を全部落として、表紙の真ん中についていたクマゼミも落ちた。


 僕はもう大丈夫だと思って、それをカニちゃんに言って眠った。


 次の日、狼魚先輩に蝉の本の話をした。


「貸出ノートを見た時に牡丹座ぼたんざ部員が借りた旨があって焦った。読んでどうにかなる物ではないが、トラウマになって文芸部を抜けた先輩もいた」


 もう大丈夫なのかな。


 釈迦釈迦は聞こえなくなって、狼魚先輩は僕からそれを受け取ると、元の場所に戻した。


 本棚に本が戻る時、ぽろっと蝉の死骸が落ちた。

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