第54話 あなたは夏の閃光
ああ、この曲は知っている。
いくつもの異世界を渡り歩いているって設定のハードロックバンド、「ナローシュ」の曲だ。
ひょっとしたら、本当に異世界から来た人達なのかもな。
ヴォーカルの女の子とか、背中から翼生やしてるし。
曲のタイトルは、「あなたは夏の閃光」。
そういや、
これがテーマ曲なんだろう。
――いつだってそう あなたは人気者すぎるの
世界中の誰もを
聖魔学舎応援団の大合唱が始まった。
それをバックに、俺は左のトルネードから高速スライダーを投げ込む。
やっぱりここぞという場面では、慣れ親しんだ投球フォームが1番だ。
コースは
内角ボールゾーンから、大きく変化してストライクになる。
この球で、
あの日から、
初条と違い、鉄心さんは動じない。
バットを振ってきた。
打球はファウルチップになって、ストライク扱い。
今の球が、見えたのか?
左打者の鉄心さんにとって、左投手である俺のスライダーはものすごく見づらいはずなのに。
とりあえず、ワンストライクは取った。
――残酷な人ね 大勢の恋心を無下にして
それでも振り向いて欲しいと願う 私はなんて愚かなのでしょう
2球目。
超スローカーブだ。
遅い球が得意なのは、あんただけじゃないんだぜ。
遠藤先輩から強烈なピッチャーライナーを打たれて以来、さらに遅く、より鋭い変化を追求してきた。
今ならあの動体視力チートなメイドも、スローカーブで打ち取れるはずだ。
鉄心さんの打球は切れてファウル。
カウントツーナッシング。
追い込まれたのに、鉄心さんは笑っている。
釣られて俺も、唇の端が吊り上がる。
――聞こえますか? この鼓動が
狂おしくせつなく ビートを刻む
3球目。
師匠。
あなたに野球を教われてよかった。
いつだって、楽しさを教えてくれたから。
他の指導者だったら、俺はここまで野球を好きになっていなかったかもしれない。
ワンバウンドを空振りさせるつもりで投げたのに、鉄心さんは手を出してこなかった。
相変わらず、いい選球眼だ。
ボールの回転を見切って、フォークだと判断したな。
ワンボール、ツーストライク。
――感じますか? 私の視線を
胸を焦がすこの想い 深く突き刺され
4球目。
俺の中にある【
異世界で過ごした日々よ。
力を貸してくれ。
ライザーを投げた。
出だしはストライクゾーン真ん中低めに見えて、打者手元にくると大きく高めに外れるコース。
さあ。
バットを振れ。
ところがピクリと動いただけで、鉄心さんはスイングしない。
ボールゾーンまで浮かび上がるのを、見切ったっていうのか?
カウントツーエンドツー。
――あなたは夏の幻
手を伸ばせば きっと消えてしまう
大合唱しているのは、聖魔学舎の応援団だけじゃない。
熊門の応援団も、一緒になって大声で歌っていた。
両校の関係者ではない、一般のお客さん達も。
感極まって、泣いている人が多い。
さて、どうする?
1球外して、フルカウントにするか?
……いや。
選球眼のずば抜けている鉄心さんに、それは無意味だろう。
次の球で決める。
自軍ベンチをチラリと見た。
優子が両手の平を組んで、俺を見つめている。
祈っててくれ。
慈愛と安息の女神ミラディースにではなく、俺という
俺が熊門高校のエースなのだから。
――あなたは夏の閃光
だけど惹かれてしまう 私の憧れ
ライザーとの球速差で、差し込もうっていう考えか。
いいぜ。
乗った。
最高のストレートを見せてやる。
最高のストレートを見せてやるとは思ったものの、最高のストレートって何だろう?
俺にとって最高のストレート……。
最高のピッチング……。
ああ、あれだ。
あれこそ俺の理想。
俺の憧れ。
不思議な気分だった。
自分の体に、自分じゃない魂が入り込んできたような感覚だ。
俺はいま、優子と重なっている。
魂が、想いが重なっている。
大きく体を
偶然そのタイミングで、グラウンドに旋風が吹く。
熱い風だ。
全身が、不思議なほど軽かった。
手に持っているボールも、軽く感じる。
俺と優子は、
――この一瞬だけの季節
二度とは戻らない時間を
どうか私と一緒に
駆け抜けて
まだ鉄心さんは笑っていた。
バットを振り切った状態で。
全てをやり尽くしたと言いたげな表情で。
俺の投じたストレートは、憲正のキャッチャーミットに収まっていた。
鉄心さんから奪った、3つ目のストライク。
9回裏、3つ目のアウト。
試合を通して俺が取った、27個目のアウト。
試合終了だ。
大歓声なんてもんじゃなかった。
観客席の全員が、魂の限りに叫んでいた。
振り返って、大型オーロラビジョンに目をやる。
『173km/h』
やっちまった。
こりゃ、世界最速だ。
球速表示の次に、テロップが表示される。
『完全試合達成』
あれ?
そうだったの?
言われてみれば、誰からも
全然意識していなかった。
聖魔学舎はみんな非常識に足が速いから、とにかく塁上に出したくないと思って投げただけで。
自軍ベンチを見やる。
大はしゃぎして、飛び跳ねる部長の
だから揺れてるんですって!
そして優子は……。
俺が勝った時、いつも優子は満足そうな笑みを浮かべる。
今回も、いつもと同じだ。
ただちょっと違うのは、頬に一筋の涙が流れていた。
それがすごく綺麗だ。
優子、これで一緒に甲子園へ行けるな。
お前は公式戦のマウンドに立てない。
だけどいま、俺は確かにお前と一緒に投げていたよ。
甲子園でも、一緒に投げよう。
チームメイト達が、わらわらと集まってくる。
みんな発狂したような喜び方だ。
あの硬派な
憲正は……。
相変わらず、「
だから当然じゃねえよ。
受けてくれる
優子やチームのみんなが支えてくれなかったら。
きっと勝てなかったと思うぜ。
整列して、試合終了の礼を済ませる。
聖魔学舎ナインは、誰も泣いてはいなかった。
「すごく楽しかった」と、全員の表情がそう言っている。
あのクールな鉄心さんもだ。
グラウンドからの去り際、俺は空を見上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。