第17話 財力VS権力

 ゆめはバイク通学のために、学生服スカートの下にジャージを穿いていた。

 彼女は不安そうに、玄関から入ってくる。




「お願いご主人様、のりタン先生。お父さんには、黙ってて。見られたくないの……」




 無茶を言うな。

 同じ屋敷に住んでいる父親に、髪を染めたのがバレないわけないだろう。


 現にほら。


「夢花……その髪色は一体……?」


「お父さん……」


 俺の背後から、アレクセイがやってきた。

 その声は震えている。




「ほら! あれよ! イメチェン! 黒い髪も、たまにはいいかな~って」


 明るい声で夢花は笑うが、無理して明るく振る舞っているのはすぐわかった。


 目が充血しているし、まぶたれている。

 きっと大泣きしたんだ。




 黒髪は、夢花にまったく似合っていなかった。

 グレーの瞳とはミスマッチだし、くるくると巻いている髪型とも合っていない。


 粗悪なカラー剤を使ったのか、髪質も荒れてしまっている。




「とりあえず、リビングに行こう。紅茶でも飲みながら、ゆっくり話を聞かせてくれ」


「うん。あたし、メイド服に着替えてくるね。すぐに紅茶淹れるから」


「いや、学生服のままでいい。アレクセイも席に着いていてくれ。俺が紅茶を淹れよう」


「旦那様。そのようなわけには」


「アレクセイ、これは主人としての命令だ。夢花のそばを離れるな」


「……御意。ありがとうございます」




 俺は3人と別れ、キッチンへと向かった。

 紅茶を淹れるために、お湯を沸かさなければ。


 電気ケトルに水を入れ、スイッチをオンにする。


 ぐつぐつと沸騰するお湯は、俺の心を表しているかのようだった。






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「学校帰りで、腹も減っているだろう? まずはこれを食べるといい」


 テーブルの上に、カットしたレアチーズケーキを差し出した。

 夢花の大好物だ。




「ホールで食べたい」


 俺はリクエスト通り、1ホールまるっと夢花に差し出した。

 サイズは10号、直系30cmだ。


 凄い勢いで、夢花はむさぼっていく。


「もぐもぐ……。むぐ……。うぐっ……くっ……ヒック……うう~っ!」


 食べながら、夢花は大粒の涙を零し始めた。


 アレクセイが大きな手で、娘の背中をさする。


 誰もが見守るばかりで、口を開こうとはしなかった。


 夢花が話したくなるタイミングまで、待った方がいいと思ったんだ。




 激しくえつしていた夢花だったが、徐々に落ち着きを取り戻していく。


 紅茶をグイッと飲み干し、ポツポツと語り始めた。




「今日ね、学校で生徒指導室に呼び出されたの。生活指導の先生が、『お前の髪色は校則違反だ』って……」


「馬鹿な……。夢花の髪については、保護者の私が地毛証明を提出しているのに……」


 夢花はためらっていたが、重そうに唇を動かした。




「『お前は日本人だろう? 日本人なのに、その髪色は、おかしい』……って」


 ギリッと、拳を握り締める音が聞こえてきた。

 ロシア生まれである、アレクセイの肩が震えている。




 父親は怒りで口がきけそうにないので、俺が代わりに尋ねた。


「夢花……まさかと思うが、その生活指導の先生は、夢花の髪を……」


「むりやり……黒く染められた……。お父さんとお母さんからもらった、大事な髪なのに……」


 怒りで目がくらんだ。

 何だそれ……?


 そんなことが、許されていいはずがないだろう?




「のりタン先生……。これはさすがに、問題のある指導じゃないんですか?」


 先生は眼鏡を光らせながら、静かに答えた。


「問題のある指導ですとかいじめですとか、そういうレベルではありませんね。……これは犯罪です。れっきとした、暴行罪……いえ。頭皮まで痛んでいるので、傷害罪が成立するでしょう。わたしが成立させてみせます」


 冷静な口調だが、怒りは伝わってきた。

 いつもみたいに、間延びしていないしな。


 よし、訴訟しよう。




「おおごとにしたらダメ! この県に、住めなくなっちゃう!」


「夢花? どういうことだ? 俺達に話してみろ」


「生活指導のどうは、県議会議長の息子なの」


 ああ、有名な四堂議長の……。

 地元企業から支持を集める、相当な権力者だ。




「そんなのに手を出したら……。わかるでしょ? あいつは父親の権力をかさに着て、職員室でもやりたい放題なの。校長先生だって、手を出せないんだから」


 夢花は悔しそうに、唇を噛みしめた。


「いつかアパートの廊下で、びしょ濡れになっていたあれも……」


「うん。四堂から、バケツの水をかけられた。『汚れたその髪を、洗い流してやる』って」


 急にアレクセイの震えが止まった。

 代わりに銀髪執事の瞳には、危険な光が灯る。




「……旦那様。少し休暇をいただきたいのですが」


「許可できない。目を離すと、あなたは四堂を暗殺しかねないからな」


「そのようなことは……」


「それに、いまから忙しくなる。休暇はその後で、存分に取ってくれ」


「忙しくなる……とは?」


「大掃除をする。夢花が快適な高校生活を送れるように……な……」


「旦那様、それでは……」


「ああ。執事アレクセイ・エンドーに命じる。いくらかねを使っても構わない。四堂を社会的に抹殺しろ」




 俺の言葉に、他の3人が息を呑む。




「奴は我が家の大切な使用人である遠藤親子に、耐えがたい精神的苦痛を与えた。我が家のかけがえのない財産である、ストロベリーブロンドの宝石を破壊した。許すわけにはいかない」


「……御意」


「まずは探偵事務所や興信所を使い、四堂一族のことを徹底的に調べ上げろ。県内すべての情報屋に依頼するつもりで動け」


「はっ! すぐに手配いたします」




 足早に、アレクセイはリビングを出て行く。




「わたしは~、訴訟に向けた準備を進めていきますね~」


「のりタン先生、よろしくお願いします」


「任せてください~」


 先生もツカツカと、リビングを出ていった。


 後に残されたのは、俺と夢花だけだ。




「……あたし、もう大丈夫。今度こそ着替えてくるね。メイドさんとして、ちゃんと仕事しなきゃ」


「いや。今日はもう休むんだ」


「大丈夫だって、言ってるのに……」


「雇用主命令」


「うん……。ありがとうね、ご主人様」


「何か俺に、できることはあるか?」


「そうね……。それじゃ、抱いて」


「わかった」




 俺は夢花を抱き寄せた。


 彼女は椅子に座ったまま。

 俺は立ったままだったので、腹の辺りに夢花の頭がくる。


 そのままポンポンと、染められてしまった頭を撫でた。

 この黒き呪いが、どこかへ飛んでいってしまうよう願いを込めて。




「抱いてって、そういう意味じゃないのに……」


「お前は俺を、犯罪者にしたいのか?」


「ちぇっ、既成事実を作り損ねた。でも……いいや……。いまはこれで……」





 腕の中で、夢花は眠りに落ちていった。





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