第二十六話 長崎のポルトガル船を急襲


「幸村」

「はい」

「トキを呼んでくれ」


 おれがトキと呼んでいる腰元の事は、いずれ幸村に詳しい事情を話さなくてはいけない。どこまで理解出来るのか微妙だが、いつかは全容を話す必要があるだろう。


「殿、なんでしょう」

「トキ、ちょっと頼みたい事があるんだが」

「…………」

「長崎に太郎兵衛が行っている。彼と連絡を取る役目を引き受けてはくれないだろうか」


 トキはお安い御用と笑みを浮かべた。


「いいわよ」

「そうか、ありがとう」


 何しろ大阪と長崎間だから、相互の連絡には往復でとんでもない日数が掛かる時代だ。それをトキがやってくれるのなら有難い。

 そのトキの持ち帰った話から、太郎兵衛は長崎で商館を手に入れ、南蛮商人らと交易を始めることが出来たと早くも知った。

 こんな情報があっという間に届くのだ。もちろん太郎兵衛は腰元に転生したトキの出現に驚いたようだ。当初は何よりもその神出鬼没ぶりに言葉も出ない有様であったという。いずれ彼にも全てを話さなくてはならない。

 

 商人らの船は、夏になると来港し、同じ年の年末まで滞在してという例が多いという事だ。当然ながらその期間は、商品の需要も増えるので、地域の経済も潤っているという。イギリスの船にも来航が許されていた為、それらとの交易も行なっているとの事だった。

 太郎兵衛は、どうせなら南蛮の商品を大阪に運んだらどうかと言って来た。

 もちろん反対する理由などない。それは太郎兵衛に任せることにする。


 その年の暮れ、奴隷、つまりさらわれた日本人達を乗せた船が長崎の港を出るらしいという情報が、ついに太郎兵衛からもたらされた。これは動かねばならないな。


「幸村、行くぞ」


 おれは幸村と共に、熊本城に居る加藤清正殿の元に行くと決めた。熊本城から長崎港まで陸路では約二百キロだから、兵士が急げば六日か七日くらいで着けるだろう。

 今すぐ行けば十分間に合う。清正殿の手を借りる必要があるのだ。


 西南戦争で薩摩軍が鹿児島を発したのが二月一五日で、熊本城を包囲したのが二一日。約百八十キロを六日で歩いているようだから、一日三十キロです。


「では旅支度を致してまいります」

「いや、その必要はない」

「しかし」


 ちょうどいい機会だ、この際あれこれ説明するより実行してみせよう。ちょっと乱暴だったがな。


「トキ、二人を連れて行ってはくれないか」

「はい」


 三人を取り巻く空間がゆがんだ――


「わあ!」

「着いた」

「――――!」

「では、清正殿と会おうか」


 さすがに冷静沈着な幸村も驚きは隠せないようだ。


「これは一体!」

「九州に着いたのだ」

「…………」


 幸村は足が棒になっているのかその場を動かない。おれがさっさと行こうとするので、強引に自分を納得させ、この不可思議な事態に対処しようと試みているように見える。心なしかぎこちなく後ろを歩いてきた。

 説明は後だ。


 清正殿は突然現れたおれにびっくりしたが、訪問の理由を聞き、是非もなしと協力してくれる事になった。即刻五百もの兵を出してくれたのだが、清正殿自ら陣頭指揮を執って頂けるという。おれは一足先に幸村と港に行き、深夜、出港を遅らせる為ちょとした妨害工作を企てた。


「トキ、あの帆の下にまで行けるか?」

「もちろんよ」

「よし、幸村、落とすなよ」

「……はっ、……大丈夫です」


 幸村は自身の未だ消しきれない疑惑を横に置き、目の前の事態に対処しようと気持ちを切り替えたようだ。油を染みさせた布をマストの隙間に挟むと、トキに頼んで手に入れたライターで火を点けた。闇にまぎれて帆を燃やしてやったのだ。


 だがせっかく点けた火も意外に早く、見つけた水夫達によって消し止められたが、それでも修理に手間取るだろう。

 そして到着した清正殿が直ちに港を急襲した。ポルトガル船はまだ出港の準備をしているところだった。



 おれと幸村、清正殿ほか数名が船に乗り込み、船長と話をする。通訳はトキがいるから何の問題も無い。トキはどのような言語も、聞けば即座に解読する能力を有している。船長は、日本人達は金を払って買ったのだから、とやかく言われる筋合いはないと抗弁した。おれは日本での人身売買は既に禁止されている。直ちに日本人達を解放しないのなら、お前を逮捕し、連行することになると脅した。

 それでも船長はトキになにやらがなり立てている。だがおれは船長よりも、隣に居た幸村の方が心配だった。今にも刀を抜きそうな気配ではないか。

 こうなったら問答無用だ。


「兵を船内に入れろ」

「はっ」

「船長を拘束しろ」

「やれ!」


 もちろん船長にとっては、多勢に無勢だ。かなうわけがない。縄を掛けられ船外に連れ出された。

 後で幸村に聞くと、鯉口を切って身構えていたとの事、危なかった。刀にはある種の「セーフティ」のようなものがかかっていて、これを解除しなくては抜刀することが出来ないわけなのだ。


「あの距離なら、一刀のもとに切り伏せる自信が御座いました。ただ狭い場所でしたので、船長の首を狙い刺し貫くつもりでした」

「…………!」



 船底に閉じ込められていた日本人達は解放された。


 しかし、スペインは当時ヨーロッパ随一の陸軍国で、同時に海軍国にもなっており、ポルトガルもそれに次いでいる。布教と言えば聞こえがいいが、植民地工作の先兵という色合いがあった。大航海時代などというのは、実態を隠した都合のいい命名かもしれない。言い方を替えれば、スペイン、ポルトガルによる植民地開拓時代の幕開けでもあり、キリスト教布教と一体化した世界征服事業をアジアに展開して勢力を広げていたのだ。


 ところが日本では、その出鼻をくじかれた格好となった今回の事件は影響が大きかった。ポルトガルにとってみれば未開の国であったはずの東洋の小さな島国が、生意気にも我が国日本の主権をお前たちは脅かしているとばかりに、船長を拘束して積み荷を奪ったのだ。

 この後ついにスペインとポルトガルの利害が一致する。何が主権だ、野蛮な国などひねりつぶしてしまえとばかりに、連合軍となり長崎にやって来るという事態にまで発展してしまった。




「幸村」

「はい」

「スペインとポルトガルの軍船は二隻づつで四隻だそうだ」

「厄介なことになりましたな」


 長崎の港に外国の帆船がやって来るのは珍しい事ではない。それでもスペインやポルトガルの帆走軍艦であるガレオン船が四隻も同時に現れたので、さすがに大騒ぎとなっていた。

 連合軍はポルトガルの商船から奪った積み荷を返せと言って来たのだ。さらには謝罪と賠償金、そして今後の活動の自由を保障せよとの要求まで言って来ている。日本の法を無視しておきながら、要求が受け入れられないのなら、長崎の街を砲撃するとまで言って来ているのだった。もちろんそんな要求は無視するよう、長崎周辺の諸大名には言ってある。問題はこれからだ。要求が無視されたとなったら、当然奴らは撃ってくるだろう。砲弾は軍船からどこまで届くか分からないが、一キロ前後は離れる必要がある。長崎は港町で、海沿いに多くの建物が密集しているから、被害は甚大なものになるとみておかなければならない。



 この時代、スペインは、ポルトガル貴族から権力を奪い、ポルトガルをスペイン帝国を構成する単なる州に変える思惑があった。そして、ポルトガル軍はスペインが展開する対外戦争に駆り出されたりしていた背景がある。



「幸村、砲撃は避けられない。住民に対し、直ちに避難するように伝えよう」

「と仰られても……」

「トキ、今一度清正殿の所に頼む」

「はい」


 おれは幸村を見た。


「あ、はい、私も、行きます……」


 幸村は身体を固くして、目をつぶりそうになっている。この時点では既におれとトキの事情は話してあるのだが、果たしてどこまで分かっているのか、やはり妖術の一種であると認識しているのか……

 ちなみに腰元トキが城を出る時はいつも男装をしている。清正殿に訳を話し、住民を直ちに、海沿いから出来るだけ遠くに逃げるように、誘導してほしいと頼んだ。今は反撃など考える時ではない。

 砲撃が一段落すれば、今度は兵士が必ず上陸してくるはず。反撃のチャンスはその後だ。


「住民には家財も何も持たないで逃げろと言ってくれないか。後は豊臣家が全て保証する。安心せよと」


 清正殿は分かってくれた。すでに出ていた二千の兵士が長崎市民を説得し、逃がして回つた。


「ねこ一匹残すなよ」

「皆逃げろ!」

「逃げろ、逃げろ、逃げろ」


 兵士は市民を追い立てるようにして、長崎の港町を空にした。

 建物などは後でいくらでも建てられる、今は市民の命を守ることが最優先だ。

 

「幸村」

「はっ」

「大阪から出陣した兵は、やはり五千ほどか?」

「すぐに用意出来たのは、それだけで御座います」


 大阪と長崎の距離を考えると、急いでいるのだから仕方がない。


「分かった。多分スペインやポルトガルの兵士の数は、それほど多くは無いだろう。鉄砲は十分持たせてあるだろうな?」

「はい」

「それから長崎に近い大名にも出陣の準備をして待つように伝えろ。ただし、むやみに戦うなとな」

「分かりました」


 大阪と熊本間は約七百キロから八百キロだから、一日三十キロとしたら、一か月くらいで着くことが出来る。

 だが、すでに軍船は着いているのだから、開戦には間に合わない可能性が高い。ただ海沿いの砲撃をしのげば、後は陸戦となる。日本の兵も戦乱の世を生き抜いて来たばかりだから、経験値では負けないだろう。

 九州の諸兵には、豊臣軍が到着するまではむやみに戦うなと言ってある。



 この日本人奴隷購入の問題なんですが、スペインやポルトガルの国としては表向きというか、一応反対の立場を見せてはいた。

 一五七一年にポルトガル国王セバスティアン一世は日本人の海外売買禁止令を発布しているのだとか。

 それでも、末端までは指示が行き届かなかったのか、知らぬ素振りなのか、奴隷貿易は無くならなかったようです。

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