第十九話 江戸城の炎上

 冷え込んだ翌朝早く、見通せる範囲がやっと一キロほどの朝もやの中、豊臣軍は出立した。兵士の群れが水中を行くがごとく、濃い靄の中を無言で進んでゆく。昨日の荒ぶる者どもの熱気が夜のうちに冷やされて、空気中に含まれていた水蒸気が小さな水滴となり地面に近い空中に浮かんでいるのだ。冬の大気より暖かい水温の川から上昇した水蒸気が、冷たい空気に冷やされて、小さな水滴となって浮かぶためにこの現象が生じているのである。


 向かうは東に三十キロほどの大井川だ。急げば全軍が日暮れまでには着ける。

 だが途中の村々では徳川軍の雑兵がやったのだろう略奪跡が残っている。大井川に至る道筋には多くの寺が点在しており、その寺に逃げ込んだ者も容赦なく引きずり出されて食料を物色され、抵抗する者は殺された。食料が無いとわかるや、腹立ちまぎれに放火をする。死線をさまよう者どもが何をしてもそれは仕方のない事ではある。だがおれは家臣の者達に、村人に手を出すなと厳命させた。それしか今は出来ない。

 掛川城に居ただろう留守居兵は逃げ去った後で、持ち出せなかったのか残されていた兵糧を確保した。

 再び日が西に傾くころには大井川に近づいたのだが、さすがに今度は徳川の逃げ遅れた兵は余り残っていなかった。徒で渡れる川だからだ。

 豊臣軍も皆腰まで浸かって渡り終える。ただほとんどの者は急流に足元をすくわれ、押し流されてぬれねずみ状態となってしまう。皆寒さに震えている。


「幸村、川を渡ったら一日休み、火を起こして暖をとれ、濡れた服を乾かすんだ」

「分かりました」


 大井川まで来て、これは家康殿を江戸城に入る前に捕らえることは難しくなったと感じた。無理に後を追うのは止めにしたのだ。

 ただ徳川軍はここまでで相当兵力を消耗しているはず。四年前の戦と比べ、このまま江戸城の攻城戦に持ち込むのもありかもしれない。


「勝永」

「はい」

「そなたは若い元気な者を選んで先行隊を組織し、急いで江戸に向かえ」


 勝永は今回の戦に参加している者の中で、おれを除けば最も若い二十六歳だ。


「兵糧など持たず、金だけ持ってな。徳川軍に兵を増やさせないよう妨害するのだ」

「かしこまりました」


 先を行く徳川軍の自由にさせるわけにはいかない。


「才蔵」

「はっ」

「そなたも江戸に向かい、徳川の増兵に協力する者は、豊臣政権に仇をなす者として処罰されると触れてまわれ」

「分かりました」


 ここでおれはふと気づいた。濡れた服を脱いで乾かす……

 佐助は、……まあ、……何とかするだろう。




 その後豊臣軍は小田原、鎌倉をへて再び江戸に着いた。徳川軍は妨害されたこともあり、数日の内に兵を増員するのは無理だったようだ。

 やがて意外に早く行長が兵を連れてやって来た。


「行長」

「はい」

「兵はどの位集まった」

「急ぎましたゆえ、大阪周辺の大名からと、あとこの状況で留守居の兵は要らないと考え、大阪城の兵とで二万八千で御座います」

「分かった。ご苦労だった」

「はっ」


 独断で大阪城の留守居兵を連れてきてしまった行長は、ほっとした表情を浮かべ頭を下げた。

 これで豊臣軍は十万近い兵力となったのと比べ、徳川勢は三万前後になっていると思われる。野戦なら圧倒的な差だろうが、城攻めとなると話が違ってくる。攻める側は守る側の十倍の兵力が必要だとされるからだ。信玄公の二俣城攻略でも、三万近い兵をもってしても千二百の城兵を前に攻めあぐんでいた事でよく分かる。

 どうするか。だいたい江戸城は、家康殿が大阪方との決戦に備え築いた、攻めにくい要塞だと言われている。最も奥に行くには複雑に入り組んだ通路を通り、最大四つの門を突破する必要があるという。それに大筒でも、一番頑丈に出来ているはずの表門を打ち破るというのは難しいだろう。

 できれば内側から開門の手引きをする者が居るか、それとも……

 さらにおれが一番気にしていたのは、江戸城の周囲に住んでいただろう徳川方の婦女子たちだ。城内を偵察した者によると、やはり相当数の女子たちが避難しているようだ。

 

 ――だが、やはりこれは避けて通れない選択なのか――


「幸村」

「はっ、これに」

「火矢を十万本用意出来るか?」

「十万本で御座いますか?」

「そうだ」


 十万本と言えども、千人で作業すれば一人当たり百本だ。分業で取り掛かれば出来ない事ではないだろう。


「必要とあれば」

「よし、すぐ用意せよ。それから弓の射手を鉄砲から守らねばならぬ。移動出来る盾も工夫して作るぞ」

「分かりました」

「それから、六郎を呼べ」

「はっ」


 焙烙火矢は陶器に火薬を入れ、導火線に火を点けて敵方に投げ込む手榴弾のような兵器である。爆発力や容器の破片による敵兵の殺傷を主目的とした。当時の黒色火薬は燃焼速度が遅く、周囲に多く火の粉を飛び散らせるため火災を誘発させる焼夷弾に類する効果もあった。火矢と名前がついているが、甲賀忍者は棒火矢というものを三十丁(約三キロ)もの距離を放ったとされている。これらの兵器に対抗する為に織田信長は鉄甲船を開発させたという。


「六郎」

「はっ」

「表門を火矢で燃やそうと思うのだが、その方にもやってもらいたい事がある」

「…………」


 敵の銃撃から、弓や鉄砲の射手を守る盾のアイディアはすぐ思い浮かんだ。竹や木を組み合わせた板製で、表側に造れる限りの鉄板を張り付ける。真ん中の上部には狙撃用の溝が有り、下には木製の車輪を取り付けて動かしやすくする。左右の二人で押して運び、真ん中の射手と一緒に移動。これでかなり敵の銃撃からは守られるはずだ。他には梯子も多数作らせた。第二の門や三の門攻略では必ず必要になる。


「城の周り全ての門は火矢で焼き落とす。うまく落ちなければ大筒も撃ち突入する」

「かしこまりました」


 どんな攻撃にせよ、いずれ犠牲者は出る。だがこの鶴松、いや秀矩は、あのじい様のような兵糧攻めなどはしたくない。それに前の戦で城に立て籠った者の数と比べたら、今回はずっと少ない。だから兵糧攻めには多分時間が掛かりすぎるだろう。

 城内の徳川殿には何度か使者を出し、これ以上の戦を避けようと提案もしたのだが、やはりうまくはいかなかった。


「才蔵は居るか」

「はっ、これに」

「城内から第二の門を開ける事は出来るか?」

「第二の門なら表門ほど警戒はされていないかもしれません」


 この男の有能さは言葉で言い表せないくらいだ。


「深夜に忍び込めば、あるいは」

「よし、時が来たらやってくれ」

「分かりました」


 しかし、第二の門まで突破出来たとしても、果たしてその後は……

 それに表門が破られたら第二の門も警戒厳重となるに違いない。


「幸村、十万の兵を五隊に分けろ。二万づつ交代で昼夜の別なく攻撃するんだ。攻撃していない部隊は休ませろ」

「はい」

「攻撃は盾を有効に使って、鉄砲も火矢も放て」

「分かりました」





 一月も掛からず大阪城から大筒も届き、火矢も出来る。ついに江戸城攻撃の火ぶたが切られた。


「火矢隊は前に進め!」


 三人一組の火矢を携えた兵士達は身体をかがめながら進んでいく。城壁の銃眼からは断続的に銃声が響いているのだが、盾の鉄板に当たり鋭く高い音がするだけで、兵士の被害はほとんどない。

 矢の射程距離まで近づくと、射手は片膝をつき弓を引き絞った。一度に数十本の火矢が次々と射られていく。表門は外しようのない大きな的だ。たとえ外して門を超え城内に入った矢でも、それはそれで有効なのだ。

 やがて数百本もの火矢が当たった門は炎上し始めた。他の門でも同じ事が行われているはずだ。


「ひけ!」


 火矢隊に後退命令が出る。今度は大筒の出番だ。大筒の周囲に居る兵も盾で守らせる。何度か撃つ内に狙いが定まってくると、正確に門を砲撃出来るようになった。

 だがどうやら内側で木材等を運び、門の補強を始めた気配がする。燃えてしまってはどうしようもないはずなのだが……


「火矢隊、前に」


 再び火矢隊に出動命令が出た。


「上に向けて放て」


 門の内側に狙いをつけさせた。

 火矢が次々と弧を描い飛んでいく。やがて表門の内側からも火の手が上がった。


「六郎」

「はっ」

「今だ、やれ」

「承知しました」


 豊臣軍の間から荷を満載した荷車が出て来る。周囲を盾で守られて数人の者が押しながら、炎上している表門に近づき横づけ、撤収したのを見届けると、


「火矢を放て」


 荷車に火矢を放ったのだ。無数の火炎が弧を描いて荷車に集中すると、やがて大音響と共に荷車が爆発。二晩燃え続けていた表門を吹き飛ばした。

 六郎にはありったけの火薬を搭載した荷車を用意せよと命じてあったのだ。




 やがて火は消え、面倒な燃えがらを今度は砲弾が吹き飛ばした。


「進め!」


 再び鉄砲隊と火矢隊の前進が始まった。

 坂道を直角に曲がると、第二の門が見えてくる。ここでも火矢隊が門に向かい矢を放ち、鉄砲隊が援護する。やはり盾が威力を発揮した。うまく隠れさえすれば、ほとんど被害が無い。

 しかしこの門の前まで大筒は持ってこれないから、火矢で焼け落ちるのを待つしかない。だが門が赤々と燃えているため、夜間の攻撃にも支障はない。

 何度か後退し、また攻撃を加えていく。狭い通路で大勢の鉄砲隊は入ってこれない。さすがにここは激戦になる。

 しかし、城兵の様子に少し変化が見られ始めた。表門の攻撃を開始してから既に五日が経過している。その間昼も夜も区別ない、絶え間なく続く豊臣方の攻撃にさらされ、守備兵に疲れが見え始めたのだ。反撃の銃弾が乱れ、間隔が開き始めたのだった。

 一方攻撃する豊臣方は二万づつの兵が交代で行っており、残りの兵は十分休養を取っている。


「幸長」

「はっ」

「狙撃隊を前に――」

「殿!」


 振り返るとそこに居るのは細川忠興だ。


「ぜひ、それがしに突撃をお命じ下さい」


 幸長の狙撃隊もなかなか出番が無い。しかしたとえ命中率の低い火縄銃であっても、二十丁の銃を名手が至近距離で撃てば手応えは有る。

 敵は狙撃隊の銃弾に押されている。


「よし敵の動きが散漫になってきているぞ。忠興、突撃せよ!」

「はっ!」


 攻撃の勢いはもはや門の焼け落ちるのを待ってはいない。

 忠興隊が喊声を上げて盾を打ち捨て、津波のように飛び出す。梯子を無数に立てかけて、ついに第二の門と塀が突破された。

 勢いづいた豊臣勢は次の門に向かい殺到したのだが、殆ど城内からの銃撃が無い。敵兵はさらに奥深く防御地点を変えているようなのだ。

 ところが、ここで意外な事が起こった。第三の門が開き始めているではないか。

 その門を開けているのは、


「才蔵」


 才蔵が内側から門を開いていたのだ。

 だが、その時、とどろいた一発の銃声音。才蔵の身体が不自然に傾く。


「才蔵!」


 味方の連射で敵の射手が倒れた。

 駆け寄ったおれを見た才蔵は、


「秀矩さま……、遅くなりました……申し訳……」


 そのまま崩れ落ちる才蔵をおれはしっかり受け止めた。


「くっそおっ!」


 脇を走っていく豊臣軍の後を追い夢中で走り出す。

 今度はついに最後の門だが、見ると第四の城門も開かれている。だがそこに居たのは、


「佐助!」

「殿」


 その時、再び乾いた銃声音。重い門を押していた華奢な身体がよろめく、


「佐助、なんて事をしたんだ!」


 駆け寄り、佐助の身体を支えたおれは、


「大丈夫か!」

「殿」

「どこだ、どこを撃たれた?」


 おれの声がうわずっている。


「殿!」

「なんだ」

「敵の鉄砲隊など、とっくに逃げてしまいました。あの銃声は味方の発砲です」

「はんっ?!」


 頭を上げると、周囲には豊臣の兵しかいない。


「殿、あの、申し分けないのですが」

「ん?」

「……先ほどから私の足を踏んでます」

「あっ……」


 そして、ついに天守閣が見えてきた。そこかしこで戦闘は続いているのだが、


「殿」


 幸村が声を掛けてくる。


「どうだ、家康殿は見つかったか?」

「まだ見つかっておりません」

「政宗殿は」

「政宗殿も見つかってはおりません」

「そうか」


 その時、見上げた天守閣に、火の手が上がり始めているではないか。


「あの者達は何をしているんだ!」


 本丸にも火矢隊が矢を放っている。


「やめろ、何をしているんだ!」


 だが辺り一面死闘が展開して、もうおれの命令が行き届かなくなっている。さらに、逃げ惑う女子たちがいるではないか!


「幸村、やめさせろ」

「はっ」


 混乱の中、逃げようとした一群が捕らえられたが、家康殿でも政宗殿でもなかった。中には女子の群れにまぎれて逃げ出そうとする者もいた。厳しいチェックがされたのだが、どこにも探し出すべき者の姿が無い。


「探せ、なんとして探し出すんだ!」


 おれは家臣達に家康殿を見つけろと、必死で叫んだ。家康殿が見つからなければ、この戦は終わらないんだ。だが火の手はますます広がっていく。おれは燃え上がる天守閣を呆然と見つめていた。


「くそ、何のためにここまで頑張ってきたんだ」


 今にも崩れ落ちそうになっている天守閣を見つめながら、おれはつぶやいていた。




 その後の首実検は主に幸村に任せた。あまり見たくない光景だ。

 肝心な家康殿はついに見つからなかった。伊達殿も秀忠殿もおなじだった。

 才蔵を亡くし行く当てに困っているだろうからと、佐助は大阪城に引き取ることにした。

 いや、彼女がそう言った訳ではないが……

 多分そうだろうと思って。

 きっとそうだと思う……






 大阪城の一室でおれは佐助と向かい合い座っている。

 この娘が本当にがあの佐助なのか。

 身ぎれいな衣装をまとい、薄く紅をさしている。


「佐助」

「はい」

「あの、……なんだ、……その着物は、綺麗だな」

「…………」

「あ、いや、違った」

「…………」

「そなたは綺麗だ」


 佐助は下を向き笑った。



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