あるアイドルのファンのその後の物語
優たろう
第1話
この大きくないライブハウスに収まらないほどの拍手が鳴り響く。誰かが拍手を止めた瞬間に世界が終わってしまうんじゃないかと思うほどに、その時間は長く続く。アンコールの2曲目が終わり、後は最後のあいさつをするだけ。残された時間があとわずかだと、会場の誰もがわかっていた。
天川えなは、黒目がちな真ん丸の眼にいっぱいの涙を貯めて、会場のキャパシティを大きく超えた200人のファン一人一人に目を合わせた。時折、右手に巻いたスカイブルーのリストバンドで目元を拭いながら、右から左へ、最後の一人に目を合わせ、正面に向き直った時には、すべてのファン、会場スタッフの全員が涙ぐんでいた。マイクを口元に持ってくると、涙を飲み込む喉の音を音響が拾った。拍手が止む。
えなちゃんは、「まいったな」って感じで苦笑いを浮かべると、短く息を吐き笑顔を整える。その笑顔に悔いは無いように見えた。大きく息を吸う。
「私は――。私はむずかしいことも、はずかしいことも、悲しいことも、かっこ悪いことも嫌い。みんな、わかってるでしょ? だから、」
マイクを持つ右手の甲で口元をおさえ、天井の照明を見上げて、また視線を戻す。
「だから、これだけ――。ありがとう。みんな元気でね」
さっきよりさらに大きな拍手がえなちゃんを包む。その場で大きくお辞儀をし、ステージの隅で大きく一礼した後も、しばらくの間その拍手のシャワーは鳴りやまなかった。
この日、活動期間7年半、ファンクラブ会員数150人を誇るアイドル・天川えなが引退した。
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