第5話 本人だけが気づかない

 異常出現した魔物を倒した次の日。


 東京のはずれにある都立真海高校では、中年のメガネをかけた男性教師が熱い口調で数学問題を解説していた。


 それなりに真面目な生徒達が、テスト範囲になるであろう問題に理解を深めようとするなか、ただぼうっと黒板を眺めている少年がいる。


(これだけやっても無理だったんだから、もう辞めたほうがいいのかもしれないな)


 たった半年ほどで成功をおさめている男、キョウジと出会ったことで、少なからず自分との違いを感じざるを得なかった。


 フウガの将来の夢は、世界一のダンジョン配信者になること。しかしその思いすら揺らいでいる。


 悶々とした昼休みの時間に、ふらりと隣の席に座ってきた男が笑いかけた。


「どうしたー? いつも以上に目がギラついてるな」

「え? 目が死んでるの間違いだろ」


 彼の名前は東雲しののめユウノスケ。クラス内では誰とでも打ち解けられる社交的な性格をしており、かつ成績優秀でスポーツ万能。部活はサッカー部だが、趣味は三国志や戦記物を読み漁ること。非常に変わったイケメンである。


 正反対とも言えるフウガとつるむような男には見えないのだが、二人はなぜか気が合うのだった。そして彼の纏うオーラを気にしない珍しい男でもある。


「配信者、やめようかなって」


 この一言に、ユウノスケは瞳を丸くしていた。


「どうしてこのタイミングでやめるんだ? 僕には分からないなぁ」

「やっぱ、才能ないかもって思ったんだ」

「昨日せっかくあんな美味しいことがあったのに?」

「昨日の動画観たのか。ああ、人助けできたことは良かったけど、違う道のほうが向いてそうだ」


 すると友人は何か意地の悪い笑みを浮かべた。なぜ笑うのかと、フウガは少しムッとする。


「いや失敬。もしかして……と思うところがあってさ。今日最後に一回だけ配信してみたら? 変わってることもあるかもよ」

「ああ、とりあえず。今日はやってみる」


 ため息を漏らしながら、フウガは残りの授業をこなし、放課後にはまたダンジョン配信へと向かうことにした。


 やる気が低下していた彼は、昨日から自分の動画チャンネルもSNSも確認していない。


 ◇


 陽光に照らされた黒髪が、ふんわりと柔らかく揺れる。学生服からすらりと伸びた白い脚が、目的の何かを求めて右往左往しているようだった。


 いつものんびりとしているような雰囲気の持ち主である彼女——瑠璃川ヒナタは、待ち合わせの相手をキョロキョロと探しながら歩いていた。


「おーっす! こっち、こっちや!」


 とあるカフェのテラス席にいたリィは、立ち上がって友人に手を振った。帰国子女でありハーフという彼女はカフェ内だけではなく、どこにいても目立つ。


 声を聞いたヒナタは嬉しそうに笑い、席に着くなり話題は昨日の件になった。周囲の客は二人を見てドラマのワンシーンを想像してしまう。それほど彼女達は、ただ普通にしているだけで絵になる。


 あの後、二人はダンジョンから出たところで瑠璃川家の執事や護衛に囲まれてしまった。実は彼女のダンジョン探索はお忍びであり、いつもリィと一緒に執事達を撒いてから潜っていたのである。


 ほんの僅かに服が擦り切れているところを発見した途端、執事は顔を真っ青にして都内の大病院へと車を飛ばし、二人に緊急の診察を受けさせた。


 リィはあまりにも大袈裟な対応に驚いたが、意外と珍しいことでもないらしい。ヒナタの父は現在日本で最も大きなIT企業【瑠璃川ITパートナーズ】の社長であり、娘は常人とはスケールが異なる生活を送っている。


 対して、見かけこそお嬢様然としているリィのほうは、経済的には普通である。ちなみに関西弁は日本に来た初めての友人と喋っている間に覚えたもので、関西に住んでいたことは一度もない。


 そんな風変わりな彼女にとっても、昨日起こった事は初めてだらけで刺激的だった。


 まだ診察は結果待ちとのことだが、二人とももう元気なことはお互い分かっていた。ヒナタは何度もダンジョンを潜ることで回復魔法を覚えており、リィと自分にかけることによって、傷ひとつ残らず治していたからだ。


 ダンジョンに潜ることになり、誰しもが超常の力——魔法を使えるようになった。しかし、人それぞれ覚えられるものが違う。人がダンジョンに潜る理由の一つでもある。


 だが、もし昨日のような目に遭ったとしたら、大抵の人は恐怖で潜ることをやめてしまうだろう。事件は解決したかに思えたが、彼女達にはいくつか引っ掛かっていることがある。


 一つは、昨日執事の車で病院に送られることになった時、「姫ぇー!!」と絶叫しながらダンジョンに入っていった男を見たことだ。


 もしかしたら自分達によく投げ銭であるハイパーチャットを送ってくれている人かもしれない。あの人は無事帰れたのだろうか。


 もう一つは、自分達を窮地から救ってくれた男のことである。ヒナタは昨日からずっと彼のことを考えていた。


「しかし、あのお兄さんヤバかったなー。アーカイブでビビったわ!」

「んー。それだよね。私も探してみたけど、よく分かんなくって。なんとかして、お礼をしなくちゃ」

「そやな。ウチらの命の恩人やから、しっかりお礼せんといかん。それでな……実は見つかったらしいわ。あのお兄さんのアカウント」

「え! 本当に!?」


 ヒナタはたった一日で見つかるとは露ほども思っていなかった。驚きで体全体が跳ね上がらんばかりになり、リィは大袈裟な反応に思わず笑ってしまう。


 しかし我を忘れた少女はさらに前のめりになり、ぐっと友人の首近くを掴んでしまう。


「見たい! なんて人なの!? 教えて! 早く」

「うぐ! ぐ、ぐるじい!」

「あ、ごめん!」


 ヒナタは好奇心を刺激されると、周囲が驚くような行動に出てしまうことがあった。一見すれば清楚な淑女だが、まるで子供のようになってしまう。こういう所は、なんとなく自分の弟に似ている、とリィは常々思っていた。


「はあー。危うく一日遅れて天国に行くところやった。このチャンネルや! フウチャンネルってやつ」


 リィのスマホにはUTubeのとあるチャンネルが表示されていた。動画のサムネイルを目で追っていくと、二週間ほど前の画像に目が止まる。


「すっごい! どうやって見つけたの!?」

「ウチやないって。特定するのが得意な連中がおるんよ」

「じゃあさっそく連絡取ってみようよ」

「実はSNSも見つけたんで、とりあえずDM送ってみたんよ」

「え!? もしかして、もうお返事来たの?」


 キラキラした瞳で喰い入るように見つめられ、金髪のハーフ少女は気まずそうに目を逸らした。


「それがなー。まだ返信来てない。まあ送ったの昨日の夜やし、きっと今夜あたり返してくるんやない?」

「うん! そうだねっ。……私からも連絡しようかな」

「え? 二人で連絡しちゃうと、ちょっと向こうも大変かもしれんで」

「うーん。でも、私もちゃんとお礼伝えなきゃ。っていうか、できれば会ってお話したいんだけど。そこまでしたら迷惑かな……」

「相手が良かったらいいんやない? まあでも、とりあえずウチに任せとき!」


 ドン! とそこまで厚みのない胸を叩き、月見里リィは満面の笑みを浮かべた。

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