第3話 魔物と少女と無双

 驚きのあまり、少女は声すら出せずに固まっている。


 数秒ほどでようやく事態に頭が追いつくと、倒れている友人の元へと駆け寄った。


 青みがかったセミロングの髪が揺れ、大きな丸い瞳には涙が滲んでいた。


「リィ……しっかりして! リィ!」


 彼女の名前は瑠璃川ヒナタ。都内の有名進学校に通う一年生であり、登録者は数百五十万をゆうに超える配信者だ。


 配信を初めてまだ三ヶ月程度だが、人気は鰻登りで止まるところを知らない。


 彼女の配信は安全な上層に潜るのみというシンプルなもの。でも誰もが見惚れるほどのルックスと、安心して視聴できる探索シーンに緩いトークが好評で、いつの間にかトップクラスの人気配信者になっていた。


 しかし安全だったはずの上層で、想像もしない出来事に見舞われてしまった。


 友人でありカメラ係を務めている月見里リィは、魔物に吹き飛ばされて気を失っている。小柄な体が大の字で伸びていて、長い金髪が無造作に広がっていた。


 こんな筈ではなかった。リィが持っていたカメラは現在もヒナタと、静かに近づく魔物達を写している。


:ヤバくない!?

:早く逃げて!

:何これ!?

:異常出現ってやつだろ

:姫! 今から私が助けに向かいます!

:誰か通報して! このままじゃマジ殺される

:どうしよう

:近くに探索者いないのか!?

:急いで逃げないと

:姫! なんとか時間を稼いでください!

:これまずいだろ


 カメラは静かに近寄る魔物を正面からとらえていた。


 赤黒い体は丸々と大きく、全てが膨れ上がっている。熊系の魔物でも上位とされるレッドベアーという種族で、身の丈は三メートルを軽く超える。


 先ほどカメラを回していたリィは、突然体当たりを受けて壁に激突してしまった。だが、もし爪や牙で攻撃を受けていたならば、すぐに現世とお別れをしていたに違いない。


 しかもレッドベアーだけではなかった。天井に張り付いた巨大な目玉や、人間よりも大きく何本も腕を持つサソリ、ローブに身を包んだ魔法使いと思わしき魔物などが、人間をいたぶり殺そうとにじり寄ってくる。


「ど、どうしよ。どう……」


 リィを抱えて逃げることを考えたが、どう考えても不可能な選択だった。レッドベアーは逃すまいと静かに獲物を睨みつけている。


 本能で分かる。友人一人を抱き抱えて逃げられるような相手では絶対にない。


 では戦うべきか?

 これもまた無謀でしかなかった。


 体格差からして、ただの女子高生がかなう相手ではない。特殊な杖を手にしてはいるが、傷ひとつ負わせることもできないだろう。


 ならば友人を見捨てて逃げるか? 三つ目の選択肢は彼女にとって論外だった。


 リィはかけがえのない親友である。でも、親友ではなく知り合い、またはその場で会っただけの人だったとしても、結局のところヒナタは見捨てることができない。


 結果的に、彼女は宝くじのような可能性に賭けることにした。何とかして、前にいる赤熊だけでも怯ませてから逃げる。明らかに無謀な賭けだった。


「はあ……はあ……」


 恐怖で呼吸が荒くなっていく。彼女はそれでも覚悟を決めた。持っていた杖は震えながら、胸の高さまで上がっていた。


 構える少女の映像を観て、視聴者達は焦燥しきっている。各々が自らにできる手助けを考えるが、間に合わないことは薄々気づいている。


 赤と黒の怪物は、戦意を感じ取った瞬間に動いた。必死の反応で体当たりをかわそうとした細い体が、一瞬だが宙に舞い、カメラの前であっという間に地面に叩きつけられる。


「あぁ!」


 悲鳴をあげた後は、衝撃で声が出なくなった。


 魔物の体当たりをかわしかけたが、ほんの僅かに掠っただけで大きな痛手を負ってしまう。友人とは違い、今の彼女にはまだ意識が残っている。


 残酷な魔物は、まずはヒナタから捕食することに決めたらしい。ぼやけた視界いっぱいに、舌なめずりしながら近づいてくる巨体が広がった。


 続けて他の魔物達もレッドベアーにいいとこ取りをさせまいと、露骨に距離を詰め始める。


 まだ死にたくない。心の中で彼女は叫んだ。その声は誰にも届かず、誰も救うことはできない。大きな口が首筋目がけて迫った時、視聴者達は最悪の展開にいたることを確信した。


 しかし、疑いようのない予想はあっさりと外れた。ヒナタ自身ですら感じた死の予感ごと、奇妙な赤い輝きが破壊する。


 レッドベアーが絶叫を上げながら大きく後ずさった——ように見えた。しかしそれは見間違いだった。巨木のように太い胴体の、胸から上部分が後ろに倒れるように切断されていたのだ。


「……え……」


 ヒナタは何が起きているのか理解できなかった。後ろから足音が聞こえる。


 静かに近づく足音へと顔を向けると、そこにいたのは一人の男だった。黒いゴーグルをつけ、血に染まった剣を右手に持っている。


 呆気に取られた彼女の前で、ゴーグルが僅かに点滅した。


『敵の数は十体ほど。奥にいるモンスターゲートを倒せば増援を阻止できます。過去の戦闘データより、決着までは二分十秒と推測』

「あれ? ちょっと計算ずれてない? 多分五十秒でいける」


 言うなり少年は走りだした。不意をつかれたように先頭にいた巨大サソリが攻撃に移ろうとしたが、すり抜けるようにかわしていく。剣先はまるで消えたようだった。


 見るからに頑丈そうな体に線がいくつも入り、あっという間に崩壊した。


 続いて天井に張り付いていた目玉の化け物が、奇妙な毒霧を噴出させる。彼は全く気にする素振りも見せず、剣に意識を集中する。


 赤くなっていた剣が黒と黄色に変化し、より鋭角的なデザインへと変わる。霧すらあっさりと払い退けつつ、剣先から放たれた電流が目玉に直撃した。耐えきれないショックですぐにこの世から退場していく。


 続いて少年は身体中から黒い雷のようなものを発しつつ、走りを加速させた。


 ここからはヒナタには理解が及ばず、ただ遠くなっていく彼と、謎の黒い雷に葬られていく魔物の群れを見ているしかできなかった。


 黒雷に命を焼かれた魔物も、怪しき剣にその身を裂かれた魔物も、おそらくは二秒と耐えられずに生を終えている。


 あっという間に巨大な門のような魔物へとたどり着いた少年——フウガは、続けて魔物を呼び出そうとする扉に向かって跳躍した。


 四メートルはあろうという巨大な扉の上部にある黒い宝石。その奥には巨大な心臓がうっすらと見え隠れしている。魔物の中には、こうして弱点を隠している種族も少なくない。


 固い宝石に守られたその心臓部分に、少年はただ左の拳を叩きつけた。耳をつんざくような破裂音がダンジョン内に響き渡る。宝石を貫通して心臓は飛び散り、魔物を呼び出す魔物はすぐに絶命した。


「何分だった?」

『零分五十秒……前回よりも戦力の上昇を確認』

「あ、やっぱり。この魔剣、使うほどに力が増してくるな」


 やるべきことは終わったようだ。フウガはひとまず少女の元へと向かい手を差し伸べた。


「あ、大丈夫だった?」

「は、は……はい」


 呆然としつつ、ヒナタは差し出された手を取った。男は黒いゴーグルをつけており、顔はよく分からない。


「ん、んん……あ、あ? あれ、ウチ何しとったんや」

「リィ!」


 親友が起きたことで、ヒナタはようやく心から安堵した。だが、フウガは金髪の少女を一瞥すると顔が凍りついた。


(凄まじい陽キャオーラを感じる……!)


 最も自分が苦手な女子かもしれない。そう思った時の少年は決断が早かった。


「あの! すみません。本当に、本当にありがとうございま——」


 ヒナタは振り返って男にお礼を伝えようとしたが、いつの間にか周囲には誰もいなくなっている。


「あ、あれ?」


 同時にスライムや大コウモリといった魔物達も消え去っていた。二人は無事を喜びながらも、自分達を救ってくれた男のことが忘れられなかった。


 そして彼女達以上に衝撃を受けたのは視聴者である。


 彼ら彼女らは、颯爽と現れては消えた救世主の正体を知りたくて堪らない。


 かくしてダンジョン配信界隈は、嵐のように騒ぎが広がっていき、本人達ですら予想できないほど盛り上がりを見せていくのだった。

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