第8話 隣人ギュスターヴは変人である

 さて。噂話に興じるのはごく一般的な夜の集いではあるが、ティレル家には他家にはない特殊な催しがある。

 この時間になるとエリザベートは良い隣人に恵まれたと神に感謝する。もっとも逆に、悪い隣人という試練をお与えになったことを、何故ですかと嘆くことも多いのだが。


「さて。今日は当たりかしら。ハズレかしら。匂いは当たりよね?」


 エリザベートが誰ともなく問うと、女達が鼻を竈に向ける。


「そう? 匂いは分からないわ」


「ハズレが続いたからそろそろ当たりかしら?」


 女達が期待と不安の混ざった眼差しで見ていると、ティレル家の主人たるギュスターヴが、竈に置いてあった鍋の蓋を外す。果実のような甘い香りがふわっと広がると、オレンジ色の暖炉の灯りに照らされて、誰も表情を綻ばした。

 ギュスターヴは鍋の中身を木の皿に掬いとると、木のスプーンを添えて近くの男に渡そうとする。しかし、男の反応は曖昧だ。


「あ、いや、うむ。実に美味しそうだ。女達は腹が減っているだろう。先にあげてくれ」


「そうか。うむ。ならそうするか」


 ギュスターヴが女達のところにやってくる。


「さあ、食べてくれ。うなぎをぶつ切りにしてオリーブオイルで炒めたあと、赤ワインで煮てみた」


 ギュスターヴは変人である。

 料理は女の仕事だし、蕪やタマネギ等の野菜を形が崩れるまで煮込めば良いだけなのに、彼はそうしない。材料をオリーブオイルで炒める手間を加えているし、水ではなく赤ワインを使うのも意味が分からない。ティレル家に集まった全員が、その主人をおかしなやつだと思っている。そして何より奇っ怪なことに、土地に伝わる料理以外の、何か新しいものを生みだそうとしている。

 食器の数は限られているから、先ずはティレル婦人が食べる。手は恐る恐るといった感じで震えているから、スプーンで掬ったうなぎが器に戻ってしまう。婦人が口を近づけて、なんとかうなぎを口に含むと、彼女の瞳から不安の雲は一瞬で消え失せた。婦人は瞳を輝かせ小さく何度も頷きながら、器とスプーンを年長の女に渡す。

 女達が次々とうなぎを口にしていく。誰も顔を歪めずに、はふはふと息を吐いているのを見て、ギュスターヴは表情を明るくするし、男達も身を乗りだして様子を窺ってくる。

 最後に、若くて都市の新参者であるエリザベートの番がやってきた。匂いも女達の反応も当たりだ。


「じゃ。頂きます」


 一気に口に入れた。確かに、当たりだった。美味しい。

 豊作や不作、戦争等の社会情勢により十分な食事が得られない時期もあるのだから、人々は食事の量に対して不平不満を抱くことはあっても、美味しいか不味いかに対して、当たりかハズレなどを感じることはない。

 だが、ティレル家においては例外であった。料理人という、聞き慣れぬ職業を自称するギュスターヴは寡黙な男だが、ワインに酔うと「いずれ全ヨーロッパ中に俺の料理を広めてみせる。フランス王フィリップ三世にもイングランド王ヘンリー三世にもいずれ俺の料理を食べさせる」と言って憚らなかった。なお、彼が料理を食べさせようとする王はどちらも既に崩御している。

 アイガ・モルタスはローマに近く、教皇庁がアヴィニョンに移転した直後でもあるため、庶民はミサで教皇の名前を聞いて覚える機会はあるが、遥か彼方パリにいる当代のフランス王の名前は知る由もなかった。イングランド王はなおさらだ。

 女達の反応を確かめ終えた男達は、自分で鍋から料理を取り食べ始めた。

 エリザベートは舌の中でうなぎを転がし、じっくり味わう。


「さあ、どうだエリザベート。君はよく鋭いことを言う。何か気づいたことはあるか?」


「美味しいよ。文句なし。うなぎはもちろん、細かく切られたタマネギや蕪の食感もいい。それに、何か香辛料が入っているんでしょ? 味が引き締まっている。ただ……」


「ただ? なんだ?」


「私達はいつも水で薄めたワインを飲むでしょ?」


「ああ。それが?」


「ギュスターヴは王様にも食べさせると言っているけど、王様は私達と違ってブルゴーニュとかオルレアンとかの高級なワインを飲むんじゃないの? 安いワインで煮た料理が口に合うかな?」


「なるほど。確かに鋭い指摘だ。煮込みに使うワインによって、この料理は味が大きく変わるかもしれないな。おいそれと上質なワインで試すわけにはいかないか。……うむ」


 では、明日は牛乳で煮てみるかという呟きは、室内の人々の話し声に紛れて消えた。

 翌日は「ハズレ」が決定したのであった。

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