第157話 悠兄は……

 そうして涼風さんを実家に。

 美尊や深紅さんを寮に届けた後、俺は姉御に言われた通りの場所に空を駆ける。


 時刻は既に22時直前。


 姉御に言われた予約時間ギリギリになってお店に着いた。

 怖々お店の扉を開け「ま、待ち合わせなんですが」と告げると、優雅な仕草をしたウエイターさんに、席へと案内された。


 個室への扉を開くと、そこには――。


「――姉御……。なんか久し振りっすね!」


 やっと安心が出来た気がする!

 この店に来るとなってから、ずっと緊張で胸がバクバクしてたからなぁ~。

 今の俺に尻尾があったら、飼い主が帰って来たのを喜ぶ犬のようにブンブンと尾を振っているだろう。

 我ながらワンワンと飼い慣らされたものである。


「すまんな。深紅を襲撃した者の取り調べ、背後関係はいごかんけいの調査に私も急遽参加していてな」


「あ、それ気になってたんですよね! 聴いても――あ、まずは注文か!」


「既にコースは注文してある。人数も揃ったからな、ゆっくり話そうじゃないか」


 姉御の余裕、かっけぇ……。

 個室なのに、暖色系で彩られたオシャレな空間がまた……。


 ウエイターさんがアミューズという、日本語で言う所の副菜、そして乾杯用のシャンパンを持ってきてくれる。

 本来ならウエイターさんが注いでくれたりするらしいんだけど、姉御の希望で個室には極力、人を入れないで欲しいと頼んであるそうだ。

 一体、どんな話があるのか……不安になるね!


 姉御はシャンパングラスを軽く掲げ――。


「乾杯」


「か、乾杯!」


 俺も慌てて付いていく。

 脳内はフル稼働。

 学んでいたマナー講座の知識をフル動員!


「それ程、堅苦かたくるしくなることはない。マナーもな。今日は少し……特別だ」


「と、特別っすか? でも、ありがたいです!」


 そっか。

 個室にしてくれたのは秘密の話以外にも、俺と堅苦しく話さなくて済むようにという配慮があったのかもしれない。


 シャンパン、初めてのお酒……。

 炭酸は来るけど、美味しい……かも?


「今日の握手会は、どうだった?」


「あ……。それ、めっちゃ姉御と話したかったんですよ!」


 思わず前のめりになり、席から腰を浮かし駆けてしまう。

 いかんいかん!

 いくらフランクにとは言っても、マナーが悪すぎるのは考え物だ!


「俺の視聴者さんと触れ合って……凄く感動しました。家族、自分……。本当ならダンジョンを観るのすら嫌なぐらい被災で傷を負っている人たちが、たっくさん感謝の言葉を伝えてくれたんです」


 義足の女性。

 自分の息子を失った初老の女性。

 本当に様々な人の顔が思い起こされる。


「そうか、良かったな。……本当に、良かった。向琉あたるは被災以来、ダンジョンから生還した唯一の人間だ。生存が絶望視され諦めていた人々にとっては……ねたみや羨望せんぼう、言葉では言い表せない感情が集中していたからな。――だからこそ私は、向琉に絶対アイドル配信者になって欲しかった」


「それは……俺を被災した人間が元気や笑顔を得られる希望の象徴しょうちょうにする為っすか?」


「言い方は悪いが、それに近いな。多くの人間が大切な人を失った。その数多の思いを向琉へ重ねるのは必定ひつじょう。そんな存在が明るく善良な性格で、難き敵を軽々とほふり続ける事は――失った笑顔を取り戻す希望の星になる。……向琉の人柄ひとがらを知っている私は、そう確信していたんだ」


「お、おう……。成る程?」


 姉御――マジで俺の評価が高くない?

 被災前は、鬼だったよ?


 まぁ、あの頃は――次の宗家として相応しくとか考えてたのかもしれない。

 それに姉御も、今より血気盛けっきさかんな年齢だったから。


「……普段、コメントでは相手の顔が分からないネット特有の秘匿性がある。相手の顔を見られた事は、良い方向に作用したか?」


「はい! これからも俺は良質なエンタメを提供して行きたい! このコメントの先に俺を見て笑ってくれた人、泣いてくれた人が居る! そう思えましたね!」


「そうか……。良かった」


 姉御は心底嬉しそうに微笑み、シャンパンをまた口に運ぶ。


 そう言えば姉御と話すことは多かったけど――仕事をしていない姉御を観るのは、初めてかも?

 そっか……。

 姉御にとっても久し振りにゆっくり出来る一時なのかもしれない。

 それなら俺も姉御を癒やせるように……楽しい時間を共有出来る話をしないとな。


「姉御……。握手会場では天心無影流の兄弟子たちに助けられたって人も、沢山来てくださいました」


「ほう……。何処から、天心無影流の者と判断した?」


「視聴者は俺と姉御の動きからだと言ってましたね。……俺も間違いないと思ったのは助けられた1人――道場の前に住んでいた妊婦さんが、その人の特徴を話してくれた時です。顔に切り傷があって、片側の髪を耳にかけながら『我に掴まれ。腹の子が驚かないように』って言ったらしいんすよ」


「ふっ……。それは間違いなく悠斗だな。憮然ぶぜんとした表情で慈しむように抱える姿が目に浮かぶ」


 かつての弟弟子を懐かしんでいるのか、姉御は遠い目をしている。

 何処か嬉しそうに、そして――何処か寂しそうに。


「悠兄は……死んだんですか?」


 俺は、意を決して聞いてみた。


 姉御から、兄弟子たちの話を聞いたことはない。

 それは――死んだからだとばかり思っていたから。

 でも――。


「――悠斗だけは、生きている」


 姉御は、あっさりと答えた。

 悠兄『だけ』と言う部分に、答えは集約されているけど……。


「で、でも! 悠兄が生きているなら、今頃Sランク開拓者ぐらい余裕でしょう!?」


 当時、弟子の中では一番若いのにも拘わらず、師範代の姉御に次ぐ実力者だったんだ!

 生きているなら雷鳴を轟かせていないければおかしい!


「悠斗は今――マタドス迷宮連合に居る」


「え……」


 それって……。

 スタンピードを発生させている国際テロ組織では?

 と言うことは――悠兄も、敵なのか?



―――――――――――

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