スパダリ社長の狼くん
@luna_soiree
第一章
第1話
都会の喧騒を背に裏路地を歩く。
何を思ってこんなことをしているのか、普段ならばまっすぐに愛車に乗り込み帰途についている時刻。夜半の明かりが妙にうるさく感じられて、逃げるように車を停めて闇へ紛れ込んで煙草を取り出していた。
パーラメントのボックス、別に好んで吸っているわけではない。溜まりに溜まったストレスの捌け口だ。そして銘柄はただ無難に、スーツに合うからというだけの。
忍が足を止めて、なにも考えずに空を仰ぐ。日本人には珍しい、碧玉のような瞳に星が反射する。不意にその視線が背後へ流れた。
「──……?」
闇の奥に目を凝らす。
何かがこちらを見ている。
都会の片隅の、ゴミゴミとした雑居ビル。深夜を迎えて避難指示灯だけが灯る非常階段に座り込んで、途方に暮れているその目。
(犬……いや、違う──……狼か)
うっすらと光る赤い双眸が忍を睨んでいる。一歩近寄ると、警告するように牙を剥いた。唸り声が上がる。普通の犬よりも大きな牙は、彼が本気を出せば忍の手の骨を砕くだろう。
忍が慎重にその姿を観察する。牙を剥いてはいるが……おそらく彼は忍に抵抗はしない。
こんな街中で何をしているのか、狼の瞳は完全に迷子のそれだ。怯えているだけだ。
手のひらを差し伸べる。
「おいで。怖がらなくてもいい」
グルル、と鼻に皺を寄せて狼が毛を逆立てる。
じり、と一歩背後に退いたその毛並みを追うように忍もまた一歩歩みを進める。
耳を伏せたその頭をそっと撫でた。
「大丈夫」
その事情や見た目を全て覆すほど今にも泣きそうな瞳をしている狼に、どうしようもない愛しさが湧いた。
がっしりとした首を抱き寄せる。
「いい子だね。僕が来るまで、よく待った。帰ろう」
クーンという胸を締め付けるような人恋しさの籠った声にそっと首を離す。
リードなど、持ち歩いていない。
人差し指を口元に当てて、狼に言い聞かせる。
「僕は君を縛りはしない。僕たちだけの時はね。だから、いい子でついておいで」
獣にしては妙に聡いその瞳に浮かんでいた迷いが消えた。
立ち上がった忍が踵を返して振り返る。
「行こう」
目が覚めてまず思い出したのは、昨日拾った狼だった。
高層ビルの最上階まで連れてくるのは大変だった。人目につかないようにしなければならないからだ。
忍の住んでいる物件は、ペット不可ではない。しかし狼ともなれば話は別だ。不安を訴える入居者もいるだろう。
幸いにも聞き分けの良い狼は声ひとつ立てずに従順に従ってくれたので、なんとか辿り着けたのだが。
さすがに人馴れはしていないのか、寝室まではついてこなかったのでリビングにバスタオルや毛布などで寝床をこしらえ、冷蔵庫にあったローストビーフを与えると狼はすぐに丸くなった。
そして一晩が過ぎ、忍はさてどうしようかと考える。
里親を探す?
動物園に連絡したほうがいいのだろうか?
まずは獣医だろうか。
危険な病に罹っていないか調べたほうがいい。
思案しながら寝室のドアを開け、ソファを見遣った忍がぎょっとしたように沈黙した。
ソファの上で長い手足を丸めるように眠っている青年に、忍は困惑しながら近づいた。
困ったことに彼は何も着ていない──全裸である。
不審者か? 不法侵入? 人のうちで全裸の寝姿を晒すために?
いくつもの仮定が頭をよぎるが、そんなものは都合のいい「そうだったらいい」でしかない。そのこめかみから突き出た耳と尾骶骨から伸びているふさふさの尾は、彼が早い話昨日拾った狼なのだと告げていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます